国宝を訪ねて 国宝建造物編bU

日光東照宮・輪王寺

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  あらたふと 青葉若葉の
           日の光
          

芭蕉・奥の細道
名称 日光東照宮・日光山輪王寺
所在地 栃木県日光市山内
起点駅・目安時間 新幹線宇都宮駅から50分・東武東上線浅草駅から約2時間
経路 JR,東武日光駅からバス10分
国宝建造物 6 日光東照宮 陽明門・東西回廊・正面及び背面唐門・東西透塀  ・本殿,石の間及び拝殿
  輪王寺大猷院霊廟
国宝仏等 なし
その他の国宝 3 輪王寺の1を含む
お勧め度 ★★★★★

家康を超えた家光?

 日光山は,平安から鎌倉にかけて東国における天台宗の拠点として隆盛を誇り,日光修験が活発に行われた。
 広大な寺領と多数の僧兵を擁して関東一の霊場として永く権勢を誇ったが,その後北条氏に加担し,そのため秀吉に敗れる頃から一気に勢力を失う。
 江戸時代に入り,神となることを願った家康は,その神柩が日光に祀られるよう遺言を残す。ここにいたり祖父家康を尊敬する家光が,豪華絢爛を極める東照宮を建立する。
 その家光もまた,家康同様に,死後,祖父の眠る近くに祀るよう遺言をする。しかし,その際,決して,祖父より豪華な建物にしてはならぬ,ときつく戒めるおくも,負けず劣らずの廟が完成する。それが,輪王寺大猷院霊廟である。
 江戸幕府により莫大な費用が,文字通り湯水のごとくつぎ込まれ,ここに一大聖地が誕生した。
 日光とは,二荒(ふたら)の音読みであり,二荒は,「ふだらく」の当て字とも言われている。

日光東照宮・陽明門







 家康の夢の続きがここから始まる。

東照宮東西透塀・東西回廊・本殿

東西の透塀
回廊内部

輪王寺大猷院

 日光駅から,真っ直ぐ緩やかな上り坂が続く。上りきると川にぶつかるが,そこには紅い欄干の神橋が架けられている。
 その神橋を過ぎるとすぐに輪王寺に向かう参道が始まる。
 巨大な伽藍を多数有する輪王寺の寺域を過ぎると,東照宮は,その勇姿を現す。煌びやかで精緻な意匠が,外部にもふんだんに施されているが,それらの大半は風雨に対して無防備な造りになっていて,その点でも徳川家の力が,誇示されていると言えるだろう。
 ところで家光の廟所である輪王寺大猷院は,この東照宮横の日光杉に両脇を囲まれた参道をさらに5分ほど進むとある。
 つまり,神橋を渡り寺域のはじまる参道の先に,順に,輪王寺,東照宮,輪王寺大猷院,と都合大きく3つの寺域・神域からなっている。おなじみの東照宮を参詣して,輪王寺大猷院霊廟を鑑賞することなく,やれやれと引き返さないようにしなければならない。                         

                          薄雪に荘厳されし二荒山 (秋雨)

家康の東照宮の裏手にある,家光の廟所,輪王寺大猷院の山門。

東照宮と芭蕉

 芭蕉は「奥の細道」の中で,中尊寺,瑞巌寺,出羽三山神社とこの東照宮の4ケ所の国宝建造物に立寄っているが,その中では東照宮を最初に訪れている。
 そして,ここでは,「今此の御光一天に輝きて,恩沢八荒にあふれ,四民安堵の栖穏やかなり」と,褒めそやしている。
 芭蕉の旅も,この辺りまでは,順調であったのではないか。しかし,この先は,まさに,すぼまるような細道となっていく。芭蕉翁,齢46年,西行を慕い歌枕にあこがれて,松島,金色堂,遠く象潟(さきかた)を目指す。枯れ野を彷徨し,残雪に行く手を阻まれても,湧き出る漂泊の想いは絶ちがたく,終生,旅を栖(すみか)とする。 

芭蕉と嵐山光三郎

 芭蕉は,この奥の細道の他に「鹿島詣で」「野ざらし紀行」「更級紀行」等数種の紀行文を残しているが,この芭蕉の紀行文に沿って旅をしながら,芭蕉に関する様々な疑問や謎に迫り検証した紀行文に嵐山光三郎「芭蕉紀行」(新潮文庫)がある。
 嵐山の最新作泉鏡花文学賞受賞作「悪党芭蕉」の前に出版されたこの文庫には,その下書きとも言うべく俳聖芭蕉に対する庶民のこれまでのイメージを覆す沢山の事実が語られている。例えば,芭蕉は衆道(男色)であった。妾に逃げられてやむなく深川に隠棲した。奥の細道に出てくる歌枕には実際には行ってないところが沢山ある。佐渡で天の川は見ていない。等々。
 JTBより刊行された「芭蕉の誘惑」の文庫版化であるので面白くてためになるガイドブックとして活用できる。行く先々の名店も実名で紹介されていて,芭蕉の足跡を辿る案内書として最良のものである。
 芭蕉の業績の解説としても一級の作品であり,中でも「笈の小文は禁断の書である」は圧巻である。
 なお,嵐山は中学生の頃から奥の細道を辿っていたという大の芭蕉フリークである。先の「悪党芭蕉」とともに芭蕉ファンは必読の書である。

その他の国宝

太刀2件。銘助真(すけざね)と銘国宗。

近くに・二荒山神社宝物館と華厳の滝

 東照宮参りの前か後に少し足をのばして,二荒山神社宝物館にも寄りたい。国宝美術品太刀が2口公開されている。

  

 さらに,この東照宮の近くには,華厳の滝がある。
 森厳な森の木立の奥深くから満々と水を蓄え流れ落ちる日本で有数の瀑布。ここで,漱石の一高教師時代の教え子が投身自殺をはかる。

  
「悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす、ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ。
 万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く”不可解”
 我この恨を懐て煩悶終に死を決す。
 既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
 始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを」 

                      厳頭の感。藤村操,16歳。

 この滝の名「華厳」は,華厳経の教義に由来し,宇宙の中心,ダイヤモンドのような堅いものを意味する。
 かつて,天台密教が,この地で栄えた頃の名残と言える。
 天台密教の開祖最澄は,いわゆる南都六宗の一つ,華厳宗を学ぶが,あまりに学問的で,一般大衆の救済とは遊離していることから,さらに仏教の奥義を究めるべく入唐(にっとう)し,帰国後,天台宗を草創する。
 華厳宗の教義に裏打ちされた天台密教は,当時,都から遠く離れたこの地でも開花,発展する。

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