国宝を訪ねて 国宝建造物編bW

円覚寺

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 箱根路を わがこえくれば 伊豆の海や
       おきの小島に 波のよる見ゆ

源実朝・金槐和歌集
山号・寺号 瑞鹿山円覚興聖禅寺
所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内
最寄駅・目安時間 新横浜駅・45分
経路 横須賀線北鎌倉駅下車・徒歩1分
国宝建造物 1 円覚寺舎利殿
国宝仏等 なし
その他の国宝 1 梵鐘 (その他の国宝編bP3)
公開情報 正月三が日,11月初旬
お勧め度 ★★★★


      唐様山門の後方の大きな屋根が国宝円覚寺舎利殿

鎌倉唯一の国宝建築

 鎌倉に数ある古刹の中で,唯一国宝の指定を受けているのが円覚寺舎利殿。円覚寺舎利殿は1400年頃に建てられた唐様式建造物雨代表格であるが,舎利殿とは,遺骨,特に仏や聖人の遺骨を納め奉るところで,この舎利殿には,仏牙舎利すなわち釈迦無尼仏の遺骨が分納されているという。

鎌倉五山

 円覚寺は,宋から渡来した臨済宗の僧,無学阻元を開祖とする北条家の菩提所であるが,鎌倉五山の第二位に列せられた後,長く筆頭の建長寺と覇を競ってきた。
 その競いが寺を興隆させ,禅宗を始めとする中国文化の日本第一の学問所として長きにわたり君臨させることになった。
 
 鎌倉五山とは,禅宗寺院の格付け制度であり,三代将軍足利義満が宋の制度に倣い定めたもの。他に京都五山,さらには鎌倉尼五山もある。
 当時はこの五山を中心に,宗教は勿論のこと文学,学問,芸術等様々な文化が花開いた。
 ちなみに,鎌倉五山,残りは寿福寺,浄智寺,浄妙寺の三山である。
  

鈴木大拙

 横須賀線北鎌倉駅の北口からすぐに円覚寺の森が始まる。深閑とした濃い緑の中に身を置いた時,日本が生んだ最大の哲学者・仏教徒鈴木大拙を思い一つ身震いをした。
 鈴木は,この地で参禅し,大拙の道号を受ける。師は,円覚寺の禅思想を広く海外に伝えるとともに,西田哲学にも多大な影響を与えた。
 なお,西田と鈴木は同郷(石川県),同年,学校も共に東大(選科)にすすむ。しかし,その後は,鈴木はアメリカ留学,西田は郷里に戻り,京大の助教授になるまでの間,学校の先生となる。
 さらに不思議なことに二人の墓は共に鎌倉東慶寺にある。ちなみに,没年は西田が20年ほど早い。
 この鈴木大拙には著書が多数有るが高邁で気楽には読めない。しかし,その触りだけでも,という
向きには鈴木大拙「無心ということ」(大東出版社)がある。真宗衆徒向け講演を活字にしたものであり,彼の著書の中では一番読みやすいのではないだろうか。ちなみにお値段は1500円。
 西田には文庫本がある。西田幾多郎「善の研究」(岩波文庫)読むべし。 

漱石・門

 古の伝統に導かれるように,多くの文化人がこの地に参禅している。明治の文豪夏目漱石もその一人。漱石は山門を入ってすぐの塔頭「歸源院」に滞在。彼はその時の経験を「門」としてものしている。夏目漱石「門」(岩波文庫)
 「宗助」は昔の罪にさいなまれつづける。ある日その苦しみから逃れるべく,否,平常心を保てるように参禅することを思いつく。禅寺の門を敲き参禅を願い出,かなえられる。
 数日間の参禅を終えた宗助は,門は開けてもらうものではなく自分で開けるものと気づく。
 深遠な円覚寺の森の中で,とまどいながらも見よう見まねで参禅する宗助の情景が精緻なしかも過不足のない漱石独特の文体で描かれる。


 また,境内には多数の塔頭があるが,仏日庵もその一つ。この庵の中の「烟足軒」(えんそくけん)は川端康成「千羽鶴」(新潮社)の主人公菊治と父親の愛人太田夫人・その娘文子との出会いの舞台となっている。
 菊治は太田夫人と関係を持ち,夫人はそのことに悩んで自殺してしまうが,菊治のその後の生活の中に,怨霊のように,澱のように現れる。
 物語は,中途で終わったままであり,そのため代表作的な地位は与えられていないが,康成の美意識や彼の自殺の原因を彷彿させ,きわどい。しかし,編集者の適切な脚注と併せて読むと「お茶」の基礎知識が身に付く面白い読み物となっている。

もう一つの国宝・梵鐘

     巨大な鐘を吊す鐘楼の柱も美しい

 東の急坂を登ると国宝の梵鐘が吊されている。茶店で休憩した後,眼下に広がる絶景と一緒に鑑賞する。見逃しがちなので注意が必要である。

   

    さすがに梵鐘は公開されていた。

訪問適期

 この哲学の地を訪れるなら,境内を鮮やかに彩る牡丹の季節がベストか。
 明月院(あじさい寺)も近いので,建長寺とともに梅雨の頃,訪れるのもよい。
 なお,舎利殿は,普段は,柵の手前から遠望するしかないので,舎利殿を間近に鑑賞したいならば正月三が日と11月3日頃の三日間行われる「宝物風入」の際に訪れたい。

 円覚寺舎利殿は,普段はここからしか観ることはできない。
 屋根を観てそこから全体に想いを馳せるしかないが,その姿は東村山の正福寺地蔵堂(bV)に酷似している。

一言

 文化財を大切にしたいとの想いなのか,観光客を文化・芸術とは無縁の心ない者の集団と考えているのか,はたまた他の思いからか,いずれにしても舎利殿への道は遠い。
 正月三が日,11月初旬と年に数日しか拝観できないのである。
 文化財所有者・管理者の自由と言えばそれまでだが,国宝建造物を所有している仏閣には,自由に中を鑑賞させるところもあれば,そこまでは公開しないが間近に鑑賞させる寺が殆どである。
 神社については,神がおわす?とかで,社自体を見えないようにしているところが少なくないが,寺においてはそのようなところはほとんどない。
 ただ,観光客が少なく管理人を常駐させることが難しいことから,やむなく公開を制限しているところは,少しはある。しかし,観光客が途絶えることのない,あの,この円覚寺である。
 仏像ならば,公開できないと言われても少しは納得できるが,建造物については,梵鐘と同様に是非公開していただきたいものである。
 円覚寺は,かつては文化擁護,流布の第一人者であった。文化財所有者のリーダーとして他の寺院の模範になってもらいたいものである。 

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