国宝を訪ねて 国宝建造物編16

瑞龍寺

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 春の苑くれないにほう 
     桃の花下照る道に 出で立つをとめ

大伴家持・万葉集巻19・4139

 我が苑の 李の花か庭に散る
      はだれのいまだ残りてあるかも

大伴家持・万葉集巻19・4140

国宝・瑞龍寺仏殿

名称 高岡山瑞龍寺
所在地 富山県高岡市関本町
最寄駅 金沢駅・45分
経路・時間 北陸本線高岡駅下車・徒歩10分
国宝建造物 1 仏殿・法堂・山門
国宝仏等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★★

  国宝山門

            国宝仏殿 

  国宝法堂

北陸に二つの国宝建物

 北陸地方に点在する総持寺,永平寺等の名刹,古刹や古都金沢の神社仏閣をおさえ,この辺りでの国宝建造物はここ瑞龍寺と福井県小浜市の明通寺のわずか二つ。
 もっとも,瑞龍寺は平成9年に奈良正倉院とともに国宝に指定された,いわば新参者であるが,富山県内の国宝は唯一この一件である。

平地に建つ荘厳な禅寺

 高岡駅からまっすぐ南に進むと,市が整備した散歩路にでる。それを右に折れてしばらく歩くことになるが,果たしてこの先に禅寺があるのだろうか,もしかしたら道を間違えたのではと思っていると,やがて観光バスが駐車されていたり,そぞろ歩きの観光客が目につくようになり,重文の総門に至る。

 目はまだ森を探しているが見あたらない。禅寺のはずなのに,と疑問を抱きながら総門を潜る。しかし,ひとたび門を潜ると,このような荘厳な,そして巨大な伽藍が,山も谷もない平坦地にあることに驚かされる。
 この種の建物は,杉木立に囲まれた石段をひとしきり登った後にあるのが一般だが,ここには伽藍を飲み込むような深い幽谷や緑濃い木立は見あたらず,平地の禅寺といった風情であり異色である。

伽藍の中の3つの国宝

 七堂伽藍は整然と配置されていて,総門を潜るとあらわれる広大な中庭は,前後に二つに区切られ,ほぼ真四角。
 はじめに,白砂の敷き詰められた箒の目も美しい中庭があらわれる。その中を真っ直ぐに伸びる石畳があり,先に進むと国宝山門が迎えてくれる。山門の真四角なフェンダーの中には次の国宝仏殿が収まっているのが見える。期待は一気に高まる。

 山門に至ると,さらに次の中庭があらわれる。そこには芝生が植えられていて,あがったばかりの雨で緑が一層鮮やかとなっている。まるでヨーロッパの古城のようであり,白と緑の二つの庭のコントラストは,欧州の庭園と見まごうばかりである。
 その緑の庭園のど真ん中に鉛瓦を載せた軒の深い国宝仏殿が鎮座している。
仏殿の中は開放されていて自由に拝観できる。ここでは,高い天井を見上げる。美しい虹こう梁が数十本組まれていて,壮観である。 

         

 仏殿を通り抜けると,最後に堂々とした法堂(はっとう)に至る。
この寺には,禅寺にありがちな,庭や池などがなく実に明快。そして,簡素な中に,豪放磊落な禅宗の雰囲気が強く出ていて,作り手の強い意志が感ぜられる。しかし,威圧感はない。

 緑の庭を囲む回廊を歩く。むき出しの乾燥しきった柱のどっしりとした構えは,幾千もの甍と冬には幾重にも重なる雪を載せ,なお微動だにしない強さを誇示している。
 また,炊事場と思しきところ(庫裏)も公開されていて,冬場の修行の厳しさが想像され,安穏と暮らしている身には,ドキリとさせられる。

 寺伝によれば,加賀二代藩主前田利長の菩提を弔うため、三代藩主利常が,時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を建立し、曹洞宗高岡山瑞龍寺として広山恕陽禅師をもって開山した,という。

          

大伴家持の赴任地・高岡

 瑞龍寺を出てこの高岡の町をぶらぶら歩き回ると「万葉」「万葉集」という句碑や案内版等によく出会う。
 また,駅前から新湊に向かう市電も「万葉線」と名付けられている。高岡市の観光キャッチフレーズなのか「万葉と工芸の町」といったポスター類も目に付く。

 それもそのはず,あの万葉集の選者と言われている大伴家持(おおとものやかもち)は,かつて国府が置かれていたこの高岡の地にに赴任し,5年を過ごしている。そのためこの地で,二百首以上にも及ぶ歌を詠み残し,それらの中から万葉集には,この地を詠んだ次のような歌が納められている。

立山に 降りおける雪を 常夏に見れともあかす 神からならし(家持)
玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり (家持)
うらうらに照れる春日に雲雀上がりこころ悲しも独りし思へば(家持)
朝床に聞けばはろけし射水川朝漕ぎしつつ歌う船人(家持)

 2首めの「二上山」は300メートル足らずの山。市民のハイキングコースとなていて,山の上からは越中海岸が見下ろせる。
 最後の歌の「射水川」は,小矢部川と名を変え今も高岡市中を流れている。

越中秀吟

 表題歌2首は巻19の冒頭歌である。
 これら2首は,桃と李(すもも)を取り合わせて詠んだものであるが,都会的な印象があり,奈良の都での詠と考えがちであるが,高岡の地で詠まれている。前年に,都に帰り,妻を伴って高岡に戻った頃の歌である。
 田舎道で桃の花を愛でる都育ちの美しい妻の姿を詠んだもの。
 もっとも,この点については,「出で立つ」がふいに現れる意味であるとして,通りすがりのおとめである,との説も有力。
 また,伝統的な1句,3句切れ,との説に対し,2句,4句切れと考える者が多い。 

万葉集

 万葉集は,奈良時代後期に大伴家持らによって編纂された日本最古の歌集である。そこに選ばれた歌は4500首に及び,古代の天皇,皇族,著名な歌人のものから無名の民衆,作者不明のものまで,幅広い階層から選ばれている。

 この万葉集については沢山の研究書や訳が出ているが,斎藤茂吉「万葉秀歌上・下巻」(岩波新書)が秀逸。新書本の隠れた大ベストセラーである。ちなみに上記3首の中から2首選ばれて解説が付されている。

 意外な事にこの万葉集,日本最古の和歌集としての意義もさることながら,和歌の前に書かれた題詞や左注等に,その歌が詠まれた状況が端的に記されていて,そこから当時の風俗,行事から,著名人の婚姻関係,内縁関係,恋愛関係等を知る上で貴重な資料となっている。
 もっとも,当時の考え方,生活,風習,しきたり等がどのようなものであったかについては,万葉集の他は古事記,日本書紀,懐風藻等限られた資料しかないことから,万葉集の解釈についても,細部に様々な異説が唱えられており,今なお研究が進行中で諸説が入り乱れているのが実情である。

 そこで,かつては通説的と見られていた解釈も見直しを余儀なくされるものが多いが,その代表は,やはり蒲生野を舞台に繰り広げられた額田王と天武天皇との歌のやり取りであろう。
 人目を忍ぶ恋の歌と誰しも疑わなかったが,現在では宴会の席で詠まれた戯れ歌と考えられている。詳細は→bR2苗村神社
 従来の万葉集の解釈に対する異説をまとめたものの中で,新しくしかも読みやすいものに,古橋信孝「誤読された万葉集」(新潮新書)がある。最近,新聞の書評欄で話題となっている。 

芭蕉も通過した高岡の町

 奥の細道紀行の帰り道,芭蕉は,この高岡の地も通過している。しかし,この瑞龍寺については,何らの言及もない。
 5ヶ月に及ぶ大紀行が,僅か,原稿用紙30枚程度にまとめられたものであってみれば,割愛も致し方ないことであろう。出羽三山神社では,「此の山中の微細,行者の方式として他言することを禁ず」とも記して,書くべき事とそうでない事をハッキリさせている。加賀百万石前田家の菩提寺という事情が何事かに影響したのだろうか。

旅のアクセント・風の盆

 瑞龍寺へは,9月の1,2,3日あたりに訪れたい。なぜなら,高岡からは,少し遠いが,一旦富山に出て越中八尾にまわり屏風のようにそそり立つ雄壮な立山連峰と「風の盆」を見たい。
 今では観光バスが,猫の額ほどの町に容赦なく見物客を送り込み,静寂は望むべくもないが,それでも
高橋治「風の盆恋歌」(新潮文庫)を読んでから訪れれば,彼らの存在は気にならない。学生時代の淡い想いをふとしたことから蘇らせ,年に一度の逢瀬に燃え上がる二人を哀調を帯びた胡弓の調べが包み込む。

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