国宝を訪ねて 国宝建造物編17

明通寺

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 かくかくに 人は言ふとも 若狭道の
        後瀬の山の 後も逢はむ君

坂上大嬢・万葉集巻4−737
山号・寺号 棡山明通寺(ゆずりさんみょうつうじ)
所在地 福井県小浜市門前
起点駅・目安時間 新幹線米原駅・2時間
大阪より直通バス2時間30分
経路・時間 北陸本線敦賀駅乗換・小浜線小浜駅からタクシー20分,または東小浜駅下車タクシー10分またはレンタサイクル20分
国宝建造物 2 本堂・三重塔
国宝仏等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★★

国宝・明通寺本堂

海のある奈良・大陸文化の入り口

 「海のある奈良」と呼ばれる福井県小浜市は人口わずか3万3千の小さな港町である。しかし,100を超える寺院が海沿いの小さな町にひしめいている。この明通寺もそのうちの一つである。
 大陸に近いこの港町は,古来から朝鮮半島や中国との交易が盛んで,そのおもかげを,そこかしこに見いだすことができる。歴史を感じさせる町の佇まいが切れはじめるあたりで,静かに訪れる人を待っている。

寺の創建

 東市場の信号を山側に折れ,小さな川に沿って進む。若狭米を産出する肥沃な田園が広がる。小川と田んぼ,懐かしい風景が3キロほど続きそれが途切れるあたりに明通寺はある。
 明通寺は,大同元年坂上田村麻呂の創立にかかる,との寺伝を有するが,現在の本堂は鎌倉時代に建てられ,大正時代に大々的な修理がなされている。大きなそりが美しい檜皮葺の屋根には苔が緑をなしていて,時代を感じさせる。また,堂の周りに設えられた回廊や欄干等にも風雪の傷みが入り,冬の厳しさを思わせる。
 単層入母屋造のこの本堂は,鎌倉時代を代表する密教本堂の様式を伝えるものとして貴重である。
 
 本堂から階段を少し上ったところにある三重塔も国宝である。
 寺名は,田村麻呂が造立した像をこの寺に祀ったところ,以後,光明がいつも山川に通ずるようになったことから,明通寺と称するようになった,とされる。

大伴家持の妻・恋人

 かつて若狭の国府が置かれた小浜は,まるでこの町を優しくつつむような後瀬山に護られている。
 後瀬とは,「後に逢瀬」を連想させ,国府小浜が比較的都に近いこともあって,その名は通っていたようである。
 表題歌は,恋愛関係にありながら,別れたものの10年ほどの後に夫婦になったと言われる家持の妻の歌である。
 これには,家持の返歌(万葉集巻4−739)がある。       

  後瀬山 後も逢はむと 思へこそ 死ぬべきものを 今日まで生けれ

 後瀬山は,小浜駅のすぐ南に位置する小さな山である。山上には後瀬山城跡がある。

正岡子規「歌よみに与ふる書

 ここ小浜市は福井県ではあるが,県庁福井市からは大分離れていることから,文化圏としては,あきらかに関西,京都である。その証拠に福井市からの交通の便はすこぶる悪いが,大阪からは日に何本も直通バスが運行されている。
 そんな小浜市ゆかりの書として,正岡子規「歌よみに与ふる書」(岩波文庫)を持ち出すのはいささか気が引ける。しかし,他に適当なものが思い浮かばないのであえて本書を紹介することにしたい。

 正岡子規ゆかりの地は無論,東京根岸,鎌倉,松山といったところが思い浮かぶが,ここでは本書に併収されている「曙覧の歌」の中で子規が福井市出身の橘曙覧を絶賛しているのでここでとりあげてみる。

 「歌よみに与ふる書」は,千年の間疑われることなく尊ばれてきた古今集,新古今集を,調べを求める余り,あまりに技巧に走り過ぎた,としてこれまでの評価を否定し,万葉集こそ至上の歌集であると評価した子規の評論である。
 その書簡(論文)の中で,紀貫之,藤原定家,賀茂真淵等をことごとく歌人としては通俗に堕す,として否定するが,ただ,源実朝と橘曙覧の二人だけは万葉の心を理解した真の「歌よみ」であるとして激賞する。

越前の歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)

 「金塊和歌集」で知られる歌人実朝はともかく,多くの人は歌人橘曙覧を知らない。私も,数年前に,2年間,福井市に在住した経験があるが,勤王の志士としての橘曙覧の名はかろうじて知ったものの,「歌よみに与ふる書」にその名を発見したのは,実に最近のことであった。
 その橘曙覧は,幕末から維新にかけて近在では名をなした大きな紙問屋の跡取りであったが,身代を弟に譲り自ら学問や歌の道を志す。
 諸国放浪の後,福井市の中心足羽山の中腹で,再三の士官の誘いを断りながら,赤貧に甘んじ,家族を愛して暮らす。

たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて喰ふ時  橘曙覧 

近くに・神仏混交の寺・神宮寺

 平安時代に神と仏をともに受容するために,本地垂迹という考えが唱えられ,その頃から二つの区別は曖昧のままであったが,明治の神仏分離運動ではその点が明確に区別されるとともに仏教が否定された。
 そして,日本各地で廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ多くの寺や仏像が破壊された。しかし,明通寺近くの神宮寺では,神と仏が並び祀られ,神仏が融合したままだ。本堂には,神と仏が祀られ,思わず息をのむ一種異様な空間である。
 なお,この神宮寺は東大寺二月堂の風物詩「お水取り」にゆかりの寺としても有名である。

お水取りとお水送り

 東大寺の修二会(しゅにえ)に全国から神々が集まったが,若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)だけが遅刻した。遠敷明神は,お詫びに十一面観音に備える閼伽水(あかみず)を若狭から二月堂まで送り届けた。この言い伝えが,その後,有名なお水取り神事の序章となる。
 神宮寺の閼伽井戸でとられた御香水は,神宮寺を流れる遠敷川を約2キロほど上流に上った鵜之瀬の淵に注がれる。その香水はここから地下水脈を通って奈良東大寺二月堂に溢れ出す。
 3月2日神宮寺では,松明が炊かれ,顔まで白装束で覆った男衆が水を取り運ぶ。

                     ここで火が炊かれる。閼伽井戸は奥の小屋の中にあり,そこに香水が湧き出る。

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