国宝建造物編24| 山号・寺号 | 長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ) |
| 所在地 | 滋賀県大津市市園城寺町 |
| 起点駅・目安時間 | 京都駅・1時間 |
| 経路 | 東海道本線膳所乗換・京阪石山坂本線三井寺下車・徒歩10分 |
| 国宝建造物 | 4 金堂・勧学院客殿・光浄院客殿・新羅善神堂 |
| 国宝仏等 | 3 智証(中尊)大師座像・智証(御骨)大師座像・新羅明神座像 (国宝仏編bT) |
| その他の国宝 | 3 絵画・書跡等 |
| お薦め度 | ★★ |

園城寺は,壬申の乱で敗れた弘文天皇の皇子がその田園城邑を寄進することに始まり,その後円珍が再建を果たす。天台宗寺門派の総本山である。この寺門派と呼ばれる園城寺に対して,比叡山延暦寺は,山門派と呼ばれる。
この同じ天台宗に属する両派の確執は,天台教義を巡る五世天台座主円珍と三世座主円仁の争いにはじまり,993年に円珍派が山を降りたことから決定的なものとなる。その後両派の間では何度と無く抗争が繰り返される。
なお,三井寺は俗称であり,正式には長等山園城寺と呼ばれる。寺域には,西国33カ所の14番札所もある。

正面に廻るとどうしてもこの無粋なモニュメントが入ってしまう。
中国・瀟湘(しょうしょう)は中国洞庭湖の南,瀟川と湘川の二つの川がひとつとなり水煙がいつも辺りにたちこめる景勝地として古来より知られている。
その地を北宋の画家宋迪(そうてき)が,山市晴嵐,漁村夕照,遠浦帰帆,瀟湘夜雨,煙寺晩鐘,洞庭秋月,平沙落雁,江天暮雪の各所を「瀟湘八景」として描き紹介している。
古来より,この瀟湘の地を題材に多くの水墨画が描かれ,日本においても牧谿(もっけい)の筆による瀟湘八景が有名であるが,その内残存する4景中,漁村夕照,煙寺晩鐘の二景が国宝に指定されている。
京の都に住む貴族の洞庭湖に対する憧憬には強いものがあり,瀟湘八景を模して,都に近い近江の地から,「三井の晩鐘」,「粟津の晴嵐」,「瀬田の夕照」,「石山の秋月」,「唐崎の夜雨」,「堅田の落雁」,「比良の暮雪」,「矢橋の帰帆」の八景を選びそれらを「近江八景」と称した。
この近江八景は明応年間,関白近衛政家の選になると言われているが,これを広く世に知らしめたのは,浮世絵師安藤広重である。
三井の晩鐘は,もちろん三井寺で聞くことができるが,その他の七景は,この三井寺(観音堂等)からすべて眺められるという。
夕刻近くに撞かれる三井寺の鐘は地響きのような,大気の震えにも似て,夕餉の紫煙たなびく里へと這いだしていく。 全国に数ある鐘の中でも特に有名な鐘がここ三井寺には三つある。
三井寺で著名な鐘と言えば,その一つは,寺門派,山門派の争いの中で,山門派の弁慶が戦利品として三井寺の鐘を比叡山に引きずり上げようとしたところ,鐘が嫌がるので,それに腹を立てた弁慶がころげ落とした,といういわく付きの鐘である。
「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれるこの鐘は金堂横に展示されている。
この鐘を模して鋳造されたのが,金堂手前の鐘楼の中にある鐘であり,三井の晩鐘として知られるもので日本三名鐘の一つ,「音の三井寺」として著名である。
なお,この鐘もお金さえ出せば撞くことができる。一撞き三〇〇円。ここまでくると何おかイワンや,である。
ちなみに,日本三名鐘の残り二つは「銘の神護」,「姿の平等院」である。これら二つは,いずれも国宝に指定されている。
最後の一つは,観月堂の隣の鐘楼の鐘である。この鐘が,民話などの他,謡曲「三井寺」にも登場する鐘である。
謡曲「三井寺」は,人さらいに我が子を浚われた母親が,我が子に再会すべく夢枕に現れたお告げに従い三井寺に向かう。そこで狂人のごとく鐘を撞くと,一人の若者が名乗り出て,探し求める我が子との再会を果たすというもの。
子を探す狂女のつく鐘の音はどのような音だったのであろうか。
また,この鐘は「童子因縁鐘」とも呼ばれる。
鐘の鋳造に際して寄進ができなかった村人が完成したら子供3人を差し出すという。鐘ができあがるとき三人の子供の顔が鐘の表面に現れるとともに,村人の子供3人が息をひきとる。
金堂横 欄干の木組みは必見
三井寺には,金堂の他,三つの国宝建造物がある。
一つは,勧学院客殿であり,順路に従って散策するとその標示に出会う。しかし,公開されていないので外から屋根を眺めるしかない。

他の二つは,コースから外れているので,案内図を頼りに探すことになる。
その一つ光浄院客殿は,正面山門から境内を北側(右手)に回り込むと到達する。ここも非公開なので,格子の間から眺めることになる。垣間見るだけでも,威風が伝わってくる。

最後の一つ新羅善神堂はやはり公開こそされていないが,その全容はよく分かる。しかし,三井寺が管理しているだけで,三井寺の境内にあるわけではない。三井寺の正面山門からは歩くと20分位はかかる。
消防署を目当てに行くことになるが,三井寺の案内書で詳細な地図を入手できるのでそれを頼りに尋ねるのが一番である。
新羅善神堂は,夏草の生い茂る荒れた平地の中に忘れ去られたようにして佇んでいる。しかし,その中には国宝新羅明神座像が安置されているはずだが,保安上万全な対応がなされているのか心配である。

この新羅善神堂の入口前には,弘文天皇陵がある。
弘文天皇は,天智天皇と天武天皇の間に数えられる天皇で天智天皇の子,大友皇子である。
もっとも,歴代天皇の一人として数えられるようになったのは,明治時代に入ってからである。それまでは弘文天皇は皇位をめぐって争ったが,皇位を継承したとはされていなかったのであるが,明治天皇によりそれまでの見解が変更され39代弘文天皇とされた。
その皇位をめぐる争いとは,無論,天智天皇の死後,大友皇子と天智天皇の弟,大海人皇子が争った,いわゆる「壬申の乱」である。
皇太子ではあったが,皇位に無関心の大海人皇子は,争いを避けるべく,吉野で隠棲を決意する。しかし,疑念を抱いた大友皇子が兵を集め攻撃準備をしていると知り,大海人皇子は,やむなく兵を挙げ,そして勝利する。
「歴史は勝者により語られる」
伝えられる壬申の乱の顛末は,このフレーズがなければ理解できない。無論,勝者とは大海人皇子であり,記紀・万葉は,いわゆる天武朝により編纂がなされたと言える。
それはともかく,何故,ここに弘文天皇陵があるのだろうか。
600年代当時の慣習として,即位の都度,遷都が行われていた。それに従って中大兄皇子は,都を大和から近江に遷し翌年天智天皇として即位する。それまでは大和地方の中での遷都であったことからすると異例のことである。近江は当時の交通事情からすると異境の地,と言えるからである。
では何故,中大兄皇子はこの地に都を定めたのか。
様々な憶測がなされているが,やはり地の利,が皇子にとって魅力であったのではなかろうか。当時の朝鮮半島の情勢は風雲急を告げていた。半島からの侵略は決して絵空事ではなかった。そのような情勢の中,侵略の際の退路の確保が為政者にとっては最低限の責務であったと考えられる。水路,あるいは陸路の便を生かせる地として近江の地が選ばれたのであろうことは想像に難くない。
しかし,その頃の鷹揚な貴族としては,迷惑この上ない遷都であったことも想像に難くない。
そんな心情の一端が現れているのが,飛鳥から近江に向かうとき歌われた額田王のこの歌である(万葉集巻1−18)。
では,その近江京とはどこだろうか。
この近江京については,今のところ,決定的な遺構等は発見されていない。そのため,さまざまな憶測がなされ,大津市民は無論のこと日本の古代史ファンのロマンをかきたてているが,三井寺から徒歩10分ほどの「錦織町」あたりから坂本方面にかけての琵琶湖沿岸ではないか,との説が有力である。
そして現在の弘文天皇陵がある辺りが,大友皇子の屋敷跡ではないかと考えられている。
では,何故,三井寺から錦織町にかけてが,近江京中心地であったと考えられているのだろうか。それは,この辺りから巨大な柱の跡や側溝などが掘り出されているからである。しかし,それだけでは,根拠としてはやや薄弱である。
そこで付け足されたのが,「扶桑略記」の中に記された伝説である。
そこには,天智天皇の夢に現れた三井寺の北西にある霊地,そこに天智が「崇福寺」を建立した,旨の記載がある。
そこで,この記述を元に,近江京の跡と思われる柱の跡や側溝などが掘り出された錦織町から試みに北西方向に崇福寺を探すことが行われたのである。
その結果,見事にそれらしい寺の跡が発見され,その地中からは国宝に指定されるほどの舎利塔も発見されている。
そしてその地からは,確かに南東の方向に三井寺界隈が望まれるのである。
ちなみに扶桑略記とは平安時代末期に書かれた仏教を中心とする私撰の国史であり,作者は延暦寺,あるいは三井寺の僧ではないかと考えられている。
近江京は,天武天皇が即位し飛鳥浄御原に都を移すまでのわずか5年間の都であった。
廃都近江京を偲ぶ人麻呂の次の3首はよく知られている。
金堂から南に10分ほどのところに観音堂がある。近江西国霊場めぐりの5番札所であるとともに,西国33所の14番札所でもある。
白装束の団体とよくすれ違うここからの眺望はつとに有名である。
表題句は,無論謡曲,「融」でもおなじみの「僧は推す月下の門」をふまえている。
夜,皎々たる月明かりの中,三井寺を訪ねたときの句であろうか。
芭蕉は,近くの義仲寺への埋葬を願っていたことからすると,このあたりは何度も訪れていて,夜の三井寺訪問も不自然ではない。
なお,「たたかばや」,としている,ということは芭蕉としては,推すより敲くの方がよいという,意味だろうか。
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