国宝を訪ねて 国宝建造物編40

北野天満宮

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 東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花
       主無しとて春を忘するな

菅原道真
名称 北野天満宮
所在地 京都市上京区馬喰町
起点駅・目安時間 京都駅・30分
経路 バス北野天宮前
国宝建造物 1 本殿・拝殿
国宝仏等 なし
その他の国宝 1 北野天神縁起(絵巻)
お薦め度 ★★

神になった人間

 神社の御神体といえば,古来から崇められていた神や山,巨石,滝,大木といった自然物が普通であるが,この天満宮の御神体は違う。人間菅原道真の霊を御神体としているのである。しかし,正確にはこの北野の地に,農耕神の一つ雷神を祀る神社が建てられたが,宮中に雷が落ち人が死んだ時,道真の霊の仕業であると伝えられたこともあって,その霊を鎮めるために道真の霊を御神体として祀るようになったものと言われている。
 いずれにしても,実在の人物を神として祀るのは珍しく,類例には秀吉の豊国神社(bS4),家康の日光東照宮(bU)等がある程度。

左遷といえば菅原道真

 この道真は,数奇な運命を辿った学者として知られる。藤原氏の権勢が華やかな頃,その勢力伸長を嫌った宇多上皇は,藤原氏を押さえ込むために藤原一族ではない菅原道真を重用し,右大臣にまで登用する。しかし,そのことが,藤原氏の恨みをかい,道真は,讒言により太宰府に左遷される。
 現在では,左遷といえば,いわゆる「冷や飯を食わされる」ことであるが,当時のそれは,生死にかかわるものであった。そのすざまじさは,例えば,太宰府に赴くのに,道中の村々に,道真に馬を使わせてはならない,食料を与えてはならないというお達しを出したほどであった。
 左遷の二年後,京に残した家族の身を案じつつ道真は失意の中,太宰府で息を引き取るが,その後,道真の怨霊が猛威をふるい,藤原家や天皇家に相次いで病者,死者を出し,挙げ句の果ては,清涼殿に雷を落し死者まで出す始末。
 その頃は,霊とか祟りの存在が,民衆の心に疑いもなく深く浸透し,生活に中に溶け込んでいた。そして,これらの出来事は,道真の祟りと信じられた。
 こうして,道真の霊を神体として篤く祀るために北野天満宮が造営されることになる。

後ろから見た本殿
正面から見た本殿

神の使い・牛

 道真は学者としての最高位,文章博士であったことから,今では,学問の神として親しまれている。そのためいつもこの天満宮は,修学旅行生で賑わっているが,中学生達が興味を示すのは,学問の成就ではなく,「牛」である。

 立派な鳥居を潜って本殿に向かうと,参道の両脇で愛嬌を振りまく沢山の牛に迎えられる。というより,牛は知らん顔してのんびりと寝そべっているだけであるが,その数は7,8頭にもなるだろうか。

 この牛と道真がどういう関係にあるのか興味が湧く。
 この点については,いろいろな説があるようだが真偽のほどは不明である。現在有力なのは,牛は道真とは無関係であり,北野天満宮の神使,という立場である。
 すなわち,神社は,カラス,蜂,猿などの様々な動物をそれぞれの神社の神使(しんし)として崇めているが,既に述べたように天満宮が当初農耕神を祀る神社として創建されたことから,その際,神使として牛を祀るようになったもの,と考えられている。

のんびり寝そべる牛。このようなユーモラスな牛が7,8匹いる。

権現造り

 修学旅行生の喧噪も本殿の横から裏手へと回るとさすがにとぎれ,京都の神社らしく深閑としている。この本殿の透かし彫りの意匠や色具合は,日光東照宮に酷似しているが,権現造りと呼ばれるこの本殿は,現存最古の権現造りと言われている。
 神社の建築様式の一つ権現造りとは,別名八棟造りとも言われ,本殿と拝殿とを石間(相の間)がつなぎ,さらに拝殿の左右には楽の間があり,3つの破風を加え都合八棟になることから,そう呼ばれる。日光東照宮(bU)や豊国神社(bS4)なども同様の造りとなっている。 

秀吉と北野茶会と御土居

  この天満宮は,秀吉の北野大茶会が開催された場所としても歴史に登場する。
 盛大な茶会の開催は,茶聖を自負する秀吉の面目躍如といったところであるが,千名を超える来会者があり,大いに賑わったという。
 秀吉といえば,平安末期以降荒れ果てていた京を再興した者として京の町では忘れてはならない人物の一人であるが,その秀吉が,京に残したものの一つに「御土居」がある。

 天満宮の裏門を出るとすぐに天神川(紙屋川)がある。川底は深くえぐられていて,このような町の中に峡谷のような景色が残されていることに驚かされる。
 この川の天満宮側の土手あたりを,深い緑が覆っているが,この奥に 御土居の名残があるはずだがよくわからない。
 御土居とは,秀吉が計画した京の町を土塁で四角く囲み,全部で7つの出入口をつけるという構想であるが,この壮大な計画も,実用されるには至らなかった。

上七軒

 北野天満宮へは,やはり,今宮から上七軒を通って行きたい。この小径には茶屋が軒を連ねていた頃の名残が,至る所に残されており,それらの多くは,今では食事どころやグリル,しゃれた洋菓子店,みやげもの店に姿を変えている。
 そのような店が集まって小綺麗な風情のある通りとなっている。
 ただし,ここからだと天満宮の東門から入ることになり,くだんの牛を見落とすことになるので注意が必要である。 

上七軒から北野天満宮東門に向かう。
東門が見える。
紙屋川の峡谷。京都市中にこのような光景が広がっているから驚きだ。

もう一つの国宝・北野天神縁起絵巻

 宝物殿には,国宝北野天神縁起絵巻8巻と附(つけたり)として白描下絵1巻が残されている。この絵巻は類品が多く作られていているが,この承久年間に作られた絵巻は,「根本縁起」と呼ばれていて,本編は,道真の生涯(1〜6巻)地獄巡り(7,8巻)からなっている。また,神社の成り立ちとか来歴とかが描かれるはずの中心的1巻が未完のまま保存されている。
 宝物殿の国宝公開は毎月25日。

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