国宝建造物編41| 山号・寺号 | 瑞応山大報恩寺 |
| 所在地 | 京都市上京区七本松通今井川 |
| 起点駅・目安時間 | 京都駅・30分 |
| 経路 | バス上七軒下車徒歩5分 |
| 国宝建造物 | 1 本堂 |
| 国宝仏等 | なし |
| その他の国宝 | なし |
| お薦め度 | ★★ |
千本釈迦堂の国宝本堂は,とても大きい。梁行5間長桁行6間入母屋造檜皮葺の本堂の中に入ると,いかにも700年は経っていると思われる直径1メートルはありそうな太い柱が強固な梁を支えている。
この千本釈迦堂の特筆すべき点の一つに,鎌倉初期の1227年に建造されたこの本堂が,京都市中で一番古い木造建築物であるということである。
京都は,「千年の古都」と言われ伝統とともに町並も往時のおもかげを伝えている,と思われがちであるが,現存する最も古い建物でも鎌倉時代と言うから驚きである。
例えば,東寺,清水寺,南禅寺,仁和寺等は,どれもその創建は,奈良時代や平安時代に遡る由緒ある寺々であるが,現在の堂宇の多くは,室町から江戸時代にかけて再建されたものが,ほとんどである。
この釈迦堂,徒然草の228段にも登場する庶民的な寺であるが,わざわざ段を起こした割には,「千本の釈迦念仏は文永の頃,如輪上人が始めた」とだけ記されていて拍子抜けしてしまう。
ちなみに,徒然草のもっとも短い段には,「改めても益のないことは改めなくても良い」とする127段,「神社仏閣には夜お参りに行くのがよい」とする192段等1行程度のものがある。
兼好の筆冴えわたる徒然草は,現代にも通ずる話が天こ盛りであるが,注釈書の類は受験参考書のようなものから人生のハウツーものの類まで沢山出版されている。
その中でも,佐藤春夫訳{現代語訳徒然草」(河出文庫)が抜群に読みやすい。一度読むと兼好の虜になり,原書が読みたくなること請け合い。そうなると別の人生が開ける,かも知れない。
| 正面入り口 | |
| 本堂前の回廊 | |
| 本堂の内部,柱が露出している。800年の時の重みが感じられる。 | |
| 800年近くにわたり堂を支えた大黒柱 | |
| 重厚感あふれる本堂 | |
| 本堂全景 |
794年に京に都が遷された時,それまでの南都六宗の横暴に手を焼いた平城京の苦い教訓からか,寺は既存のものは別として,東寺と西寺が建築されたのみで,その他に造営することは許されなかった。
そのため平安時代の京都にはさほど寺はなかったのだが,落雷,地震等の自然災害から,失火,戦火に至るまで様々な原因により,当時の建物が焼失している。
中でも安元三年(1177年)の大火は,すざまじく,その時の模様が,鴨長明「方丈記」の冒頭に描写されている。失火による火種が風にあおられ,扇を広げたようにひろがったと言うが,面白いことに「平家物語」でもほぼ同様の描写になっている。
方丈記の大火の言及はこれにとどまらず,治承四年(1180年)にも同様の火災があり,京の町が灰燼に帰したと記述されているが,この部分もまた平家物語に同様の記載がある。
となると,方丈記と平家物語,どちらが先に書かれたのか興味が湧いてくる。
長明は,55才の1212年に方丈記を述作する。これに対し,中山行長が平家物語をまとめたのはその5年ほど後の1217年頃ということになっている。
とすると,平家物語は文学作品として初の盗作部分を含んでいる古典,といえるかも知れない。もっともこれらの大火については,史実として同様の記述が他にも見られる。これらが相互に影響し合ったと見るのが穏当であろう。
しかし,京の町を灰燼と化した最大の理由はやはり,戦火である。平安遷都以後,保元,平治の乱をはじめ,比叡山,興福寺等の僧兵の横行,信長の蛮行,とりわけ10年以上続いた応仁の乱による完膚無きまでの破壊等,数え上げればキリがない。
では,この応仁の乱とは,一体どのような争いであったのだろうか。
応仁の乱は,将軍の世代交代と,細川,山名の2大勢力の対立に加え,畠山,斯波の有力守護大名の相続争いが絡んだことがその原因とされている。
希代の悪女との異名をとる日野富子が一枚も二枚もからんでいたことも間違いない。
「火を放つ」ことが,町に壊滅的な被害を与え,決定的に作用することは分かっていたにもかかわらず,いかに安易に火が放たれ,どれほど多くの人の生活が蹂躙されてきたことか。その都度,京の人々は,復興に努力してきたのであるが,中でも京の町を現在のように復興させたのは秀吉である。
秀吉は,聚楽第や伏見城を建設したのを始め,方広寺や本願寺等の寺町構想から,お土居による羅城造り,と相当の金員を投じて京の町を活性化させている。
その後を継いだ徳川幕府も,秀吉色の強いものは移築,破壊するも,京の町の開発には至るところに意を用いている。
この千本釈迦堂の境内の一角にひときは大きな「おかめさん」像があり,いつも花が絶えない。
おかめさんはこの寺のシンボル的存在で,本堂の東側廊下にも沢山の「おかめ」が集められ飾られている。何故,おかめさんなのだろう。
この寺とおかめさんの関わりはこうだ。
この寺を造るとき,棟梁が大事な大黒柱となる大木を切りすぎてしまう。代わりになる木はおいそれとは手に入らない。途方に暮れていると,棟梁のおかみさんの「おかめ」が「供斗にしたらどうか」といい,棟梁はなるほどと思いそのように実行し無事完成する。
しかし,女が口を出してうまくいった,と言われないために,おかめは自殺をしてしまう,というもの。少しわかりにくい。
そこで,棟梁がおかめの口からこの事実がばれると恥となる,としておかめを殺そうとし,それを知って悲しんだこかめが自殺した,との話もある。
| 廊下に全国から集めたおかめさんが展示されている。 | |
| こんな巨大なおかめ像も。 | |
| これでもか,とばかり外にもおかめ像 |
千本釈迦堂として親しまれている大報恩寺の冬の風物詩として毎年12月7,8日に「大根だき」がある。
ここからは,上品蓮台寺,北野天満宮に向かうと良い。
子供らの白き息飛ぶ大根煮 (秋雨)
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