国宝を訪ねて 国宝建造物編43

妙法院

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国宝・妙法院庫裏

山号・寺号 南叡山妙法院
所在地 京都市東山区妙法院前側町
起点駅・目安時間 京都駅・15分
経路 バス東山七条下車
国宝建造物 1 妙法院庫裏
国宝仏等 なし
その他の国宝 1 書跡 ポルトガル国印度副王信書
お薦め度 ★★★

国宝・妙法院庫裏

国宝になった台所

 この寺で国宝に指定されているのは,他ならぬ庫裏である。
 庫裏とは僧侶らが食事や入浴,休息等の日常生活をおくるところ。しかし,この庫裏は,さすがに国宝だけあって重厚感溢れる建物となっている。特に,3層屋根の最上階は「煙出し」と呼ばれ,煙突にしておくのはもったいない程の雄姿であり,感動してしまう。
 暗闇の中で眺めたらまるで軍艦が近づいて来るように見えるのではないだろうか。

 内部は,公開されていないが,その点は見学者に配慮されていて入り口部分が開け放たれている。少しではあるが内部を覗くことができる。垣間見るその梁の太さや,竈の煙でくすんだ黒光りする柱のつやと輝きには息を呑むほどに圧倒される。台所に感動してしまうのだから,不思議と言えば不思議である。

 なお,特別回覧日が設けられているので,その日に訪れると普段は入れない庫裏の内部を見学でき、僧侶の日頃の暮らしぶりを垣間見ることができる。

国宝庫裏
これが台所?

天台三大門跡寺院

 この妙法院は,梶井門跡,青蓮院門跡と並ぶ天台宗三門跡の一つであり,皇后門跡,あるいは新日吉門跡とも呼ばれる。
 門跡は,宇多天皇が仁和寺に出家して御門跡と称されたことから,一般に皇族や身分の高い公卿等が住んだ寺院の呼び名となったが,この妙法院の山門には「妙法院門跡」の標示があり,また,境内を囲む土塀にも5本線が入り格式の高さを誇っている。
 
 妙法院は,後白河上皇が現在の京都パークホテルあたりに法住寺殿(御所)を営み付近を整備していた1160年頃,比叡山の昌雲が里坊を開いたのがはじまり,と言われている。
 しかし,それがどの辺りであったか,また,昌雲を開祖とすることにも異論がある。
 ただ,昌雲が後白河上皇の護持僧として篤い帰依をうけた1184年頃には,現在の地とほぼ同じ場所で,蓮華王院(三十三間堂)の管理もしていたと考えられている。
 その後,綾小路御所(現在の建仁寺付近)に移転したこともあるが,1614年には再び現在の地に帰還している。

妙法院の裏話

 この妙法院は,他の門跡寺院とは異なり,歴史の直中にあって,その波に翻弄されてきた,とも言える。
 門跡寺院と言えば,皇子を出家させ,体よく処遇するための存在と考えられるが,この妙法院では,天台座主(延暦寺)から住持になるケースが多く,宗教界に与える影響も決して小さくなかった。そこで,宗教的にも政治的にも時の権力者やそれに抵抗する陣営から,相当の圧力が加えられることになる。
 それを如実に物語る話が「太平記」にある。
 
 佐々木道誉は,鷹狩りの帰り妙法院の前を過ぎる時,モミジの枝を従者に折らせる。それを咎め立てした妙法院の手の者ともめる。腹の虫が治まらぬ道誉は,後日,事もあろうに妙法院に火を放つ。
 延暦寺の強硬な抗議により上総の国への配流ということになったが,その地に向かう時,見送りと称して多くの配下の者が,猿の面などをつけたり,腰に猿の皮をぶら下げたりして妙法院の前を通過した。
 猿はいうまでもなく日吉大社(延暦寺)の神使であり,まさに,比叡山,妙法院に対し面当てをした訳である。
 なお,佐々木道誉は,当時バサラ大名として名を馳せていた。バサラとは,権威を否定し,時代の先端をいくと自称するエーカッコシーのこと。バックに足利尊氏が控えていたから出来ただけのことで,権威に楯突くと言った,思想的背景がなせる技ではなかった。単に,尊氏の側近という立場がさせた奢りにすぎない。

家康の秀吉嫌い

 妙法院については,他には秀吉,家康との関わりが面白い。
 伏見城,大阪城,方広寺大仏殿をはじめとする建築好の秀吉と,その歿後秀吉の建築物をことごとく破却した家康からのプレッシャーは相当なものであった。
 秀吉は,後白河院が法住寺殿を営んだ歴史にも注目してか,現在の国立博物館辺りに目を付け,方広寺造営を計画する。その際,現在の妙法院から三十三間堂をも含む広い区画を方広寺の寺域とし,太閤塀で囲んだりする。そして,その一部,現在の智積院の地に愛息「鶴松」の菩提寺「祥雲(禅)寺」を建造する。また,豊国廟,豊国神社の建築にも着手する。
 しかし,豊臣家滅亡後に,家康は,この付近から方広寺,祥雲(禅)寺等の秀吉に関連した建物を破却し,妙法院を現在の地に移転させ三十三間堂を含めた付近の管理を命ずる。家康は,なぜそのような大人げないことをしたのだろうか?

その他の国宝 ポルトガル国印度副王信書

 当時ポルトガルの植民地であった印度ゴアの総督が秀吉に宛てた手紙。
 ローマの景色や様々な意匠が文面の周囲にデザインされている。羊皮紙が用いられたこの手紙は,秀吉に対し日本でのキリスト教布教活動の保護を願い出ている。

近くに 智積院の国宝障壁画

 妙法院のすぐ横には智積院があり,その国宝館では襖絵が多数展示されていて,長谷川等伯およびその一門の筆になる国宝障壁画の数々が観覧できる。中でも桜と楓の2双の襖絵は,圧巻である。
 

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