国宝を訪ねて 国宝建造物編47

南禅寺

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山号・寺号 瑞竜山南禅寺(瑞竜山太平興国南禅禅寺)
所在地 京都市左京区南禅寺福地町
起点駅・目安時間 京都駅・30分
経路 地下鉄東西線蹴上下車 徒歩10分
国宝建造物 1 方丈
国宝仏等 なし
その他の国宝 1 書跡(拝観不可) 
お薦め度 ★★★

国宝・南禅寺方丈

五山別格南禅寺

 南禅寺の歴史は古い。
 平安時代に創建された禅林寺(永観堂)の中に,亀山上皇により離宮が建てられたが,後にその南の一部が東福寺の大明国師に与えられ寺に改められたもの。そのため寺号も南禅寺となったとされる。
 その後,延暦寺との抗争で2度全山全焼するも,後醍醐天皇により禅寺の格付けが行われ,天竜寺,相国寺,建仁寺,東福寺,万寿寺の京都五山の別格としてこれら五山の上に君臨し繁栄する。
 応仁の乱によりまたも全焼し荒廃するが,金地院崇伝によって再興された。
国宝方丈は,大方丈と小方丈とからなるが,大方丈は1584年の建立になる慶長度仙洞御所の一部を,小方丈は伏見城の一部を移築したものと伝えられる。

謎の盗賊・石川五右衛門

   

 広大な境内の中に堂々と南大門が立つ。
 南禅寺南大門といえば,「絶景かな,絶景かな」とかの石川五右衛門が歌舞伎「桜門五三桐」で見得を切った場面がすぐに思い出される。門の右端から,急な階段が設えてあり,そこを登るとなるほど京の絶景が広がっている。
 この五右衛門,浄瑠璃や歌舞伎で大勢の作家が,様々な人物像に描き分けているが,実在の人物かどうかはっきりしない。
 モデルと目されている人物はいるが,その男が三条の河原で処刑された後に,南大門は建てられているので,なかなかうまくいかない。
 単なる盗賊が,見せしめとしてその子とともに極刑の「釜茹での刑」に処せられたことから,話に尾ひれが付いて中には秀吉の暗殺を企てたとの説もあり,大変興味深い。

                       

異国を想わせる不思議空間

                    

   

 また,南禅寺境内の端には,琵琶湖疎水の水を引く煉瓦造りのアーチがかけられている。日本を代表する古刹の境内にヨーロッパ風建造物が整然と設えられ,直線ばかりの禅宗建築物の中に,ゆるやかなアールが美しい。
 違和感は全くなく,かえって若葉の頃は,木々の緑に,古い煉瓦色が溶け出してこの上ない美くしさである。

南禅寺の国宝・重文

 京都五山の別格である南禅寺には,先の南大門に代表されるような壮麗で風格のある建物が多い。
 この巨大な別名「天下竜門」と呼ばれる三門が,南禅寺の国宝建造物かと思うとそうではない。その奥にある大方丈,小方丈からなる入母屋造りの方丈が,国宝である。
 国宝方丈の中に入ると小堀遠州の庭と狩野派の壮麗で力強い障壁画が目に飛び込んでくる。

小堀遠州の庭・虎の子渡し


 方丈内の庭は小堀遠州作の庭と言われている。
 禅寺にこのような庭があると必ずと言って良いほど「遠州作と伝えられています」との解説がつく。世に遠州作の庭は沢山あるが,これは,残された文献等から確認できる数少ない遠州作品の一つ。
別名「虎の子渡し」と呼ばれ,左端の大きな親虎とその横の小さな虎の子とが瀬を渡る様に似ているとして命名されている。
 遠州の庭の特徴は何と言っても西洋のパースぺクティブ(遠近法)と借景に求められる。方丈の間から眺めると,東から西へ,大きな木から小さな木,大きな石から小さな石へ,と眼がいき,白砂に付けられた箒目によりまるで水が流れているような動きが伝わってくる。背後は,5本線入りの塀,さらには東山大日山を借景として幽寂な雰囲気が演出されている。

「綺麗さび」小堀遠州

 小堀遠州は,江戸時代前期まで各方面で活躍した近江国出身の茶人,武将。
 茶,建築,作庭とすぐれた能力を発揮しているが,特に茶器等の鑑定に優れていたと言われる。
 秀吉,家康,家光等に仕え,幕府の普請(作事)奉行として大阪城,二条城,江戸城の拡張普請を手がける。また,茶室や禅寺の庭の作者としても名を残し,その作風は,日本的な伝統の中に西洋風な斬新さを加味していることから,利休の「侘びさび」に対し「綺麗さび」と呼ばれた。
 なお,茶道は利休七哲の一人古田織部の高弟として活躍し,家光の茶道指南役を務めた。

金地院崇伝

 遠州はこの南禅寺内に他にも庭を残している。
 南禅寺入口のすぐ右脇に金地院がある。塔頭の一つであるここは南禅寺の再興に尽力した金地院崇伝の院である。
 金地院崇伝は,天海とともに家康の宗教ブレーンの一人であり,「国家安康」事件に関与するとともに,大阪冬の陣,夏の陣を引き起こし,また禁中公家諸法度,キリスト教禁教令にもかかわったと言われ悪僧の評判が高かった僧である。
 その真偽のほどはともかく,彼は遠州に自由な発想で庭を造らせ,その遠州は,当時としては珍しいシンメトリックの手法を用いると共にキリシタン灯籠とも呼ばれる脚部に十字架が刻印された織部灯籠をさりげなく配置している。
 なお,天海は,難を逃れ生き残った明智光秀である,とのまことしやかな噂が流れていた,これも怪僧である。光秀の首は,秀吉の命により街中に曝されたが,皮膚が矧がされていて,首実検も出来ないほどであったことから,このような噂が囁かれた。

狩野派

 ここ南禅寺には狩野元信,狩野永徳,狩野探幽等の力強い筆になる狩野派の作品が多く残されている。大小方丈併せて124面の障壁画が残されている。中でも虎の群雄図や水呑の虎はよく知られている。
 かつて,この虎の顔を傷つけた者がいた。何を考えているのか,何も考えていないのか,いずれにしても今では無粋なガラス戸から覗くことになっている。

南禅寺界隈

  南禅寺山門の前には明治の元勲山県有朋の別荘「無隣庵」がある。
 この無隣庵のすぐ前には,「瓢亭タマゴ」でお馴染みの料亭「瓢亭」がある。
 また,南禅寺の参道やその周辺には,沢山の湯豆腐屋がならぶ。 

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