国宝を訪ねて 国宝建造物編53

仁和寺

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 かかる世に 影も変わらず 澄む月を
        見る我身さへ 恨めしきかな

西行

国宝・仁和寺金堂

山号・寺号 大内山仁和寺
所在地 京都市右京区御室大内
起点駅・目安時間 京都駅・45分
経路 バス御室仁和寺下車 
国宝建造物 1 金堂
国宝仏等 2 阿弥陀如来及び両脇侍像・薬師如来座像
(国宝仏編bP5)
その他の国宝 9 孔雀明王像 他
お薦め度 ★★★

門跡寺院・御室仁和寺

 仁和寺のある双ケ丘の辺り一帯は,「御室」と呼ばれている。御室とは,皇室の住まいのことで,代々皇室関係者が,この寺を住居としたことからこのように呼ばれるようになった。
 このような寺は「門跡」と呼ばれこの仁和寺をはじめ,さまざまな寺院が門跡寺院と呼ばれている。
 門跡は,当初,一門の祖師の法脈を継承する寺を意味したが,やがて皇族や公家が出家し代々入寺する寺,あるいはその住職を意味するようになった。
 この意味の門跡寺院としては,宇多天皇が出家入寺したこの仁和寺が最初である。
 その後,門跡寺院は,寺格を意味するようになり,延暦寺,あるいは三井寺といった大寺の長を送り出す寺院を意味するようになった。比叡山三門跡,三井寺三門跡と呼ばれる寺々がそれである。
 
 一条通りに面して一段高いところに建つ壮大な二王門は,嵯峨,嵐山の行き帰りによく目にする門である。 

金堂

 二王門をすぎるとすぐに砂利が敷き詰められた坦々とした境内が始まる。まるで神社のようだ。入ってすぐ左手に,本坊表門があり有料の庭園や襖絵が観られる。
 そこを横目に奥へと進むと遅咲きの「御室桜」が林立している。土手の桜のイメージしかない者には丈が異様に低く感ずる。当然「花」も低い位置にある。
 そこで「御室の桜のよう」と言われて,そんなに清楚に見えるかしら,などと感激しないようにしなければならない。鼻が低いという意味である。

 国宝金堂は正面のずっと奥にある。この入母屋造,本瓦葺きの金堂は京都御所の紫宸殿を移築した優美な建物である。白壁と黒い木肌と金色の金具のコントラストが実に美しい。東照宮や豊国神社の唐門の風情が漂う。
 背後の成就山の緑に抱かれて輝いている。
 
 この成就山には八八カ所巡りがある。日本で一番簡便で早く達成できる巡礼道である。西門を出るとすぐに一番札所があり,あとは順に88の小さなお堂を二時間ほどかけて巡るもの。山上では美しい京の町が見渡せる。

成就山を背に広い境内がひろがる。
国宝金堂正面

古典に頻出

 門跡寺院として格式が高く,当時から世間の注目を集めていたためか,古典にこの寺の名はよく顔を出す。
 
 有名なところでは,「徒然草」の仁和寺の僧侶の話がある。
 鼎(かなえ)という3本の足のついた桶のようなものの利用方法をめぐって,ある僧が,それは頭に被るものと言い出し,そのとおり被ったところ,頭から取れなくなって,大騒動するという話。

 吉田兼好の筆になるこの徒然草には,仁和寺の僧の話が2,3出てくるが,全体としては京の町のできごとを「つれずれなるまま」綴ったもので,当時の暮らしぶりや慣習,しきたり等がいきいきと描かれている。数ある注釈書等の中では佐藤春夫現代語訳徒然草(河出文庫)が抜群に読みやすい。現代語訳,とは銘打っているが,兼好の文体や思想が良く伝わる好書である。

 また,鴨長明「方丈記」には,仁和寺の僧が京の町に溢れる死者の額に「阿」の字を書いて引導を渡す,その数42300余り,といった話がでてくる。方丈記は,量的にも知れているので,格調の高い,原文を読みたいところ。
 
 さらに,二条「とはずがたり」全注釈(上),(下)講談社学術文庫では,当時の宮中が活写されるが,仁和寺が門跡寺院としていかに重要な立場にあったか,が良く理解できる。
 当時の宮廷のおおらかさ,と言うか乱脈ぶりが,告白体で語られ,新鮮な驚きを覚える。
 鎌倉時代の上流階級の風俗やモラルを知る上で,貴重な古典であると思われるが,なぜかマイナーな扱いとなっている。

その他の国宝9件

孔雀明王坐像

 孔雀の背中に座る明王の像である。孔雀は毒蛇を食べると伝えられるが,孔雀明王は,その孔雀を神格化したもの。通常は1面4臂であるが,ここ仁和寺のそれは頭部の両側に鬼面をつけた6臂像に描かれている。御殿内白書院にレプリカが展示されている。

御室芸術村

 日本美術史上でも,この寺には特筆すべきことが多い。
 権勢を誇る寺の庇護と広大な寺領の中から輩出された芸術家には,野々村仁清(にんせい),尾形光琳,尾形乾山等の名があげられ,御室にさながら一大芸術村を形作していたようである。
 野々村仁清は,その名を清右衛門といい,仁和寺の仁,清右衛門の清をとって仁清と名乗った。
 仁清や乾山の焼き物を「御室焼」というが,乾山の名もまた,御室にちなむ。すなわち御室の乾(いぬい)の方角にその窯があったことから乾山と名乗ったと言われている。

保元の乱

 表題歌は保元の乱に際して,一時仁和寺に身を寄せた崇徳院を西行が訪ねた時に月が明るく輝いているのをみて詠じたもの。

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