国宝を訪ねて 国宝建造物編65

春日大社

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 みかぐらの まいのいとまを たちいでて
      もみじにあそぶ わかみやのこら

会津八一・南京余唱/春日神社にて
名称 春日大社
所在地 奈良市春日野町
起点駅・目安時間 京都駅・40分
経路 近鉄奈良駅・バスまたは徒歩15分 
国宝建造物 1 本社本殿
国宝仏等 なし
その他の国宝 13 
お薦め度

都会にあった原始林

 奈良市街のすぐ東側には,鹿の遊ぶ若草山があり,そこから少し南に下がると御笠山の山稜に連なるなだらかな丘陵が続く。そして,それを取り込むように背後に春日山原始林がひろがる。
 春日山原始林には,約100ヘクタールの自然林が残されていて,そこには椎(シイ)や樫(カシ)が自然状態で生息している。この中には,立ち入りの許されない御笠山の神域が含まれていて,御笠山山頂には本宮神社が祀られている。この山は,全体が春日大社のご神体だ。

社殿は絶対見せない

 春日大社に続く参道の脇には,石灯籠,少し上り坂の回廊には赤い灯籠と写真などでよく見かけるシーンが過ぎると,遠くに本殿の鰹木らしきものがわずかにのぞくがハッキリしない。
 一般に寺よりも神社は,格式ばったところが多い。この春日大社もその一つであろう,国宝・社殿には,近づけようとしない。
 特別料金を支払うと,かなり近くまで接近できそうであったので,500円を支払い近づいてみる。しかし,まるで穢れた者を拒むような高さ2メートル程の塀が視線すら拒み,本殿の屋根の一部がまさに垣間見えるだけであった。

写真中央に千木が見える。手前の朱塗りの建造物は国宝とは関係のないモノ。しかし,国宝本殿の撮影スポットはここだ。
これが一番よく見えるところ。手前の三角帽子は塀の上部。

宝物殿お前もか?

 この公開を拒む態度は,なぜかしら宝物殿にも出ている。絵画や書蹟は損傷の点から,常設展示は難しかろうが,刀等の工芸品の類は,そのようなことはない。春日大社はそのような国宝,重要文化財を多数有しているのである。
 宝物殿を有料で公開している以上,劣化とは無縁な文化財はできるだけ公開すべきでないだろうか。

 社殿拝観の極端な拒絶と併せると,神社側の姿勢が明白になる。
 興福寺の国宝館が,あれだけの国宝を一挙にしかも低料金で公開していることと比較すると,問題は決して小さくはない。

 かつて,春日大社は、興福寺と共に能の各座の有力な後見人として庶民の文化を支えてきた歴史があるだけに,残念である。

ささやきの道から高畑へ

 宝物殿を出て「ささやきの道」を辿る。この名にどのような由来があるのかは,不明であるが,うらやましい限りの散策道である。
 様々な木々が無秩序に林立するこの道がとぎれるあたりに志賀直哉の旧宅があるが,若草山の鹿は,このあたりまで顔を出している。

びいと啼く 尻声悲し 夜の鹿  芭蕉

 高畑と呼ばれる閑静な住宅街の中にある旧宅は,現在は大学の研究機関の一部となっている。
 志賀は,ここで尾道で書き始めた大作「暗夜行路」(新潮文庫)の後半をはじめ沢山の作品を書いている。
 暗夜行路は、自らの出生の秘密、すなわち不義の子ではないかとの疑念に悩む主人公が、自分の妻の不義に悩むといういささか暗い作品である。かなりの長編であり,読み切るのは大変であるが,そこはさすがに名著,途中で止めさせない展開がある。

昭和初期・その頃の奈良

 かつては春日山麓の森に沈んでいたこの志賀直哉旧宅には,武者小路実篤,小林秀雄らの多彩な文人墨客が訪れていて,さながら第二の鎌倉のような趣があったという。「高畑サロン」と呼ばれるようになるこの地で,志賀は10年近く住み精力的に執筆する。
 今でこそ,奈良と言えば一大観光地であり,ここに居を構えることは,「軽井沢に別荘」のような感覚であったのだろうが,当時は,奈良の町は驚くほど静かで,東大寺の他は観光で訪れる者もなかった,という。
 奈良の文化を紹介する者は,和辻哲朗の他になく,亀井勝一郎が「大和古寺風物詩」を書いたのも,志賀がこの地を離れた後のことである。
 
 ここまで来ると,新薬師寺までは,歩いて10分程である。

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