国宝建造物編69| 山号・寺号 | 元興寺 |
| 所在地 | 奈良市中院町 |
| 起点駅・目安時間 | 京都駅・45分 |
| 経路 | 近鉄奈良駅・バスまたは徒歩 |
| 国宝建造物 | 3 五重小塔・禅室・本堂 |
| 国宝仏等 | 1 薬師如来立像(但し,華厳宗元興寺)(国宝仏編bQ6) |
| その他の国宝 | なし |
| 公開 | 全て公開。但し,華厳宗元興寺の薬師如来立像は奈良博 |
| お薦め度 | ★★★ |
修学旅行生や観光客相手のお土産物屋さんが,まるで時代劇のセットのように並ぶ「なら町」の一画に元興寺極楽坊と元興寺塔跡とがある。
本堂,禅室,五重小塔等の国宝建造物があるのは元興寺極楽坊である。極楽坊は近鉄奈良駅に近いこともあって訪れる人が絶えることはない。
山門を入るとまず,正面に国宝本堂が飛び込んでくる。時の経過を感じさせる壮麗な本堂だ。
横に回ると二つ目の国宝,禅室が見えてくる。これら二つの国宝建物は,ともに天平期の雰囲気を伝えるが,鎌倉期の再築である。
屋根がくっつくほど近接して建てられているのが残念であるが,十分に往時の隆盛が偲ばれる実に豪壮な建物である。
見どころは何と言っても正面の柱間である。普通正面の柱間は奇数である。奇数であれば柱間の一つが中央にきて入口も自然とそこに設えられるが,ここ極楽坊の本堂は柱間6間と偶数になっていて,その結果,正面から見ると柱が中央にきてしまう。それなら本来の正面は横側ではないかと思いそちらに回っても,同じ6間である。
このような建物は非常に珍しいが,建築例としては,法隆寺中門が著名である。
本堂,禅室の屋根瓦に注目したい。行基葺き,行基瓦と呼ばれる屋根になっている。
行基瓦あるいは行基葺きは円筒状の縦のラインが美しいが,各々の瓦の円筒部分は,円錐状になっていて,順次差し込んで全体として円筒状にしている。
| 本堂後に続く国宝禅室。かなり巨大な建造物である。 | |
| 裏手より二つの国宝建造物を見る。左手禅室,右手本堂。 | |
山門からみて左手に,宝物館があり,その中に3つ目の国宝五重小塔が安置されている。「元興寺試みの塔」と呼ばれるこの塔は,海竜王寺(bV1)のそれと同様のものであるが,これが何のために造られたのかはハッキリしない。名前からすると完成予想模型のようであるが,どうであろうか。
元興寺は,もともと蘇我氏が明日香の地に氏寺として創建した法興寺が,元興寺とも呼ばれたり,その後,時を経て何時の頃からか飛鳥寺とも呼ばれるようになった寺である。
元興寺は,創建当初から長い間,蘇我氏の権勢そのままに隆盛を誇ったが,聖徳太子が没し,その子山背大兄王はじめ一族が滅ぼされる頃から,蘇我氏の勢力は一気に減退し,寺運も衰退するかと思われたが,その後仏教保護政策などで持ち直すも,長くはつづかず衰退の憂き目にあう。
平城遷都では,多くの官署や寺院が移転する中,元興寺も朝廷の仏教政策の一環として,明日香からこの地に新院を建てて移転し,明日香の寺を本元興寺と呼び,平城の新院を新元興寺と称するようになる。
蘇我氏という有力な後ろ盾を失ったものの,しばらくの間,寺勢衰えることはなく,東大寺や興福寺に比肩する有力寺院であった。
その点については,法隆寺の寺運とも関連して,様々な推測が可能であるが,それはともかくとして,平安時代の終わり頃には,律令国家体制が行き詰まり仏教保護政策も頓挫し始めると,さすがに後援者がいないことから一気に衰退する。現在の奈良町あたり一帯を寺地としていた元興寺も少しずつ蚕食され畑や住居となっていく。
その後元興寺は極楽坊,観音堂,小塔院の三つに分派し,現在では,わずかに極楽坊が残り,元興寺極楽坊と称して法灯を今日に伝える。
もともと元興寺は華厳宗であったが,極楽坊は西大寺の保護を受けることになり真言律宗に改宗しているが,寺の名称としては,元興寺極楽坊を名乗っている。
では,奈良町に移転して来た新元興寺は極楽坊が残っただけかと言うとそうでもない。元興寺極楽坊の南西5分ほどのところに元興寺塔跡がある。
ここには江戸末期まで華厳宗の法灯を受け継ぎ,僅かの堂宇と五重塔等を擁する元興寺観音堂があったが,火災により焼失してしまう。
現在,かつて五重塔があった所にその旨を示す石柱と近くに仮堂を残している。
その場所は,実に分かりにくいが,風呂屋の煙突のような巨大な煙突をめがけて,付近の人に尋ねて探すことになる。
ようやく辿り着くと,四方を民家に囲まれた僅かな空き地の中,巨大な礎石5,6個が頭を出し並んでいた。この上に五重塔の柱が載っていたようである。他には仮堂が建っているだけであった。
この元興寺は,国宝仏薬師如来立像一体を所蔵していることになっている。現在は奈良国立博物館に寄託され,そこで常設展示されているが,天平彫刻を代表する威風堂々とした体躯の仏様である。仮堂に戻して拝観できるようにすれば,復興の基金になると思われるが,どうだろうか。
一首は,いにしえの飛鳥を偲びながらも「奈良の明日香」と呼ばれた元興寺及びその界隈の町並みを讃える。
なお,万葉集には元興寺の僧の歌が一首載せられている。やや,いじけていて,これから立派な僧になろうとしている者のようである。身につまされる部分もあるが?
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