国宝建造物編71| 山号・寺号 | 海竜王寺 |
| 所在地 | 奈良市法華寺北町 |
| 起点駅・目安時間 | 京都駅・60分 |
| 経路 | 近鉄奈良駅・バス |
| 国宝建造物 | 1 五重小塔 |
| 国宝仏等 | なし |
| その他の国宝 | なし |
| お薦め度 | ★★★★★ |
このような寺が,まだ奈良にも残されていたのかと思われるほど,さりげない寺である。ここの境内に入り込んでしまうとまるで時代の壺の中に落ち込んだよう。天平の奈良の寺が,ここにポツンと残されている,と思うのは私だけではないであろう。
通りから山門に至る道は,細く真っ直ぐに延びていて,その片側には,土塀が続いている。よく見ると,土壁の中に瓦を横に並べて文様としているのが分かる。しかも,その一部は崩れるままに放置されていて,もう自然に帰りはじめている。
朽ちかけた山門を中に入ると,期待は裏切られることがなかった。
境内は,春のゆきやなぎ,秋の萩をはじめとする八重葎が生い茂る。
狭隘な寺域の正面に重文西金堂がある。この中に高さ約4・5メートルの五重小塔が安置されている。これが国宝五重小塔だ。奈良時代に制作されたこの小塔は,薬師寺東塔に極めて類似し,当時の建築様式を知る上で大変重要な遺構となっているが制作目的はハッキリしていない。
| 重文西金堂 | |
| この中に,国宝五重小塔が置かれている。 |
| 国宝五重小塔 | |
堀辰雄「大和路・信濃路」(新潮文庫)には,昭和初期ののどかな佐保路の風景がつづられた後,堀がこの寺に偶然迷い込んだ末,子供らが遊びに興じるのを見ながら,しばらく休憩をする場面がある。
おそらく,寺の外はともかく,境内はその頃とほとんど変わりはないであろう。
狭い寺域の四方には,近隣の寺の塀があるだけで,見渡しても現代の構造物が殆ど発見できないからである。
そうであるなら,千年前のこの寺の姿は,堀が迷い込んだ時とも,また現在ともあまり変わりがないと考えられる。
なお,堀はこの国宝に気づかなかったのか,全く触れていない。
この海竜王寺から隣の法華寺あたりに藤原不比等の邸宅があった。そして不比等の娘(光明皇后)は,不比等の死後それを受け継ぎ皇后宮とし,さらに,この海竜王寺や隣の法華寺に改めたとされる。
表題歌は577,577の上句と下句からなっている。二人が一組となり掛け合って作ったり詠唱したりしたと考えられている。
この旋頭歌は万葉集には60首近くが載せられているが以後ほとんど詠まれることはなくなった。
三笠山に月が出たらいいのになー,佐紀山の夜桜が見られるから,といった現代でも通ずる歌となっている。
奈良の風情を余すことなく伝える秀歌である。
なお,佐紀山は奈良の町の北に横たわる平城山の西半分あたりの山のこと。
この海龍王寺では,八一が次の歌を詠じている。
玄ムが一時この寺の住職であったことがある,と言われるが,その玄ムが唐から持ち帰った経の一つに「海竜王経」があり,それが寺名になったと,伝えられる。
なお,隅寺とは文字通り平城京の東北の隅に在った寺だからである。
すぐ隣に法華滅罪の寺,法華寺(国宝仏編bR0)がある。
法華滅罪寺は,聖武天皇が鎮護国家建設の一環として,また仏教流布のため全国各地に造らせた寺のいわば総本山である。
歴史的にも著名な寺であるが,この寺を一層有名にしているのは,光明皇后をモデルにしたのでは,と言われる国宝・観音の美しさである。しかし,よく見るとこの観音様,手が異様に長い,というか足が異常に短いようであるが,どうだろうか。
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