国宝建造物編79
| 名称 | 石上神宮(いそのかみじんぐう) |
| 所在地 | 天理市布留町 |
| 起点駅・目安時間 | 京都駅・1時間10分 |
| 経路 | 大和西大寺、平端乗換JR・近鉄天理駅・タクシー10分 |
| 国宝建造物 | 2 拝殿・摂社出雲建雄神社拝殿 |
| 国宝仏等 | なし |
| その他の国宝 | 1 七支刀(観覧不可) |
| お薦め度 | ★★ |
JR・近鉄天理駅の真東に天理教本部がある。石上神社はその南東あたりに位置するが,はなはだバスの便は悪く,せめて天理教本部まででも,と思うが,それすらかなわない。歩いていくと40分程度かかると言うのでここはタクシーを利用する。1200円程度だ。
タクシーは,天理教一色の町を走る。5分ほどで天理教本部の前をとおり,さらに5分ほどで石上神宮に到着する。
この石上神宮のあるあたりは,万葉の頃布留(ふる)と呼ばれ,交通の要衝であった。南に海柘榴市(つばいち),そこから吉野,初瀬(はせ)さらには伊勢へとつづく。
今は,この石上神宮辺りから真南の大神神社(おおみわじんじゃ)辺りまでを「山の辺の道」と呼び,多くの古代史ファンが万葉のロマンを求める。
石上神宮は,日本最古とも言われる古い神社だけに,深い山に分け入るような参道もどことなく神々しい。大きな鳥居の先には,緑あふれる山が広がっている。その中をゆっくり進むとほどなく社に到着するが,神域は意外と狭い。しかし,その狭い中に,二つの国宝建造物がある。
おかしな事に,国宝は二つとも拝殿である。
拝殿が二つあるのはどうしてだろうか?
その内の一つは,無論,石上神宮の本来の拝殿であるが,他の一つは,他からの移築である。それで一つの神社に二つの拝殿があるのだが,その理由には後で触れるとして,この本来の拝殿の奥には,普通,本殿があるのだが,ここ石上神宮にはそれがない。
一見おかしなこのことから,石上神社がいかに古くから民衆の崇敬を集めていた神社かが分かるのである。
すなわち,古代は,神は天にいて祭祀の時だけ呼び寄せるもの,あるいは山,海,岩,滝,など自然の中に祭神はやどり,それを拝殿から拝むものと考えられて,昔は拝殿だけの神社が多かったのである。
ところが,現在は,このような拝殿だけの神社としては,他に大神神社があるくらいだが,石上神社は,この大神神社と同程度の由緒ある神社と言えることになる。
歴史のあるこの神社は,かつては,物部氏の氏神であったことから,石上神社も物部氏の盛衰とともに隆盛,衰退の道をたどる。
物部氏は,大和朝廷では軍事をつかさどっていたが,それはもともと物部氏の祖先が氏神として崇めていたこの石上神社を朝廷が武器庫として利用したことから,物部氏が武器の管理,やがては軍事全般を支配するようになったと考えられている。
このような性格の神社であることから,古代の鉄剣が神宝として伝えられ現在は国宝になっている。

屋根の上に緑苔が美しい。
この石上神宮から徒歩10分ほどのところに内山永久寺跡がある。石上神宮の神宮寺であった永久寺は,その昔は法隆寺と寺領を争うほどの大寺であったが,明治の廃仏稀釈の際に跡形もなく消滅した。
国宝摂社出雲建雄神社拝殿は,その永久寺から移築したものである。拝殿中央を馬道(めどう)と呼ばれる土間が貫く割拝殿最後の遺構である。
芭蕉の訪れた頃の永久寺は,法隆寺に匹敵する知行を得ていた,と言われる。そんな大寺院であったことから、当然数多くの美術品を有していたのであるが、神仏分離の混乱の際に,それらのほとんどが破壊され、あるいは宮司等により持ち出されやがて消え失せた。
幸運にも数点が、藤田美術館の手に残っているが,その中には,国宝指定を受けている絵画もある。
混乱の中でも,多くの寺が,なんとか生き残ったのに,ほんの数ヶ月の内に廃寺にまで追い込まれる。このように永久寺が数奇な運命を辿ったのは,やはり神宮寺としての色彩が濃かったのだろう。
永久寺は,江戸時代後期から神宮寺としての性格を色濃く映し出し,神仏分離は,神仏混淆が激しかった神宮寺にまず向けられたのであろう。
山の辺の道は是非歩きたい。三輪山を眺めながら歩きたいなら,石上神宮から南下する方がベスト。
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