国宝を訪ねて 国宝建造物編84

栄山寺

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 たまきはる 宇智の大野に 馬並めて
        朝踏ますらむ その草深野

中皇命・万葉集巻1ー4
山号・寺号 学晶山栄山寺(えいさんじ)
所在地 五条市小島町
起点駅・目安時間 新大阪駅・2時間10分
経路 JR関西本線高田乗換、JR和歌山本線五条駅・タクシー10分 
国宝建造物 1 八角堂
国宝仏等 なし
その他の国宝 1 梵鐘
お薦め度 ★★★★

国宝・栄山寺八角堂

吉野川河畔に佇む八角堂

 吉野川が,やがて紀ノ川と名を変えて流れ出す辺りに,その川の一部を堰き止めカヌー乗り場が造られている。広い河原は眺めもよく,古い料理旅館も数軒軒を連ねている。
 
 バスの通る立派な道路に面しているが,およそ国宝を二つも擁している寺の受付とは思えないところで拝観料を払い,教えられるままに,田舎道のようなゆるい坂道を登って行く。
 程なくサツキの低木に囲まれた鐘撞堂に出る。

 青みを帯びた梵鐘が一口吊されている。国宝との標示がなければ,見過ごしてしまいそうである。何の囲いもなく国宝が無造作に展示されていて,あまりの唐突な出会いに驚かされる。
 指を折りその角で軽く叩くと心地よい音色が響く。この音色は古より変わることはないはずである。
 917年の鋳造だから平安人も同じ音を聞いていたと考えると,何か不思議な気がする。

 国宝の大部分は,時の経過と共に,朽ちかかり,あるいは,渋さを加え別のものへと変ってゆく。中には,使命を全うし消失するものもある。上乗せされる時代の重みがさらに別の国宝へと作り変えていくこともある。
 その意味では,他の多くの国宝と異なり全く変化しないこの梵鐘はどうだろう。
 その肌触りと音色は,現代人でも1千年以上も昔の人と共有できる。 

この鐘楼の中に梵鐘がある。手に触れることのできる国宝梵鐘だ。
国宝 梵鐘

ゆったりとした気分

 小さな池を過ぎ五月の咲き乱れる庭を通り過ぎると,国宝の八角堂が現われる。ここにも無粋な防御壁等はなく,観光客が,御堂の周りの縁側に上がり込み休息している。
 のんびりと,763年に建立された国宝の床の上で,昼寝ができる。1200年を経た木筋が浮き出した床に耳をあてると古代人が,静かに歩をすすめる様が偲ばれるよう。
 この寺は,訪れる人を拒まず,どこまでも信頼して自由に観覧させてくれる。管理は行き届いているとは言い難いが,国宝との距離をこれほど感じさせない所も珍しい。
 変化を押しとどめることはしない,あるがままの姿を観てもらいたい,そんな管理者の気持ちが十分に伝わってきて心を和ませてくれる。拝観者は,これに応え,節度ある鑑賞を心がけることになる。
 裏山に登ると,キラキラと初夏の光を返す吉野川の水面が見える。カヌーに興ずる若者達の嬌声が間近に聞こえる。

長屋王の変・藤原武智麻呂

 ここ栄山寺は,藤原武智麻呂の創建になる。
 そして国宝八角堂は武智麻呂の子仲麻呂(恵美押勝)が,父武智麻呂の追善供養のために建立したと伝えられる。
 ちなみに武智麻呂は,鎌足の子藤原不比等の長男,すなわち鎌足の孫であり,藤原南家の祖である。この武智麻呂が歴史に名を残しているのは長屋王の変に深く関わったことからであろう。
 長屋王の変は,未だその真相は明らかではないが,現在のところ,勢力の巻き返しをはかる藤原氏側が,時の権力者左大臣長屋王を讒言し,自刃に追いやった,との説が有力である。背景には,光明子の立后,長屋王の皇位継承権,左道や律令制の改変等複雑な事情が取りざたされている。
 しかし,日本の史上最大の貴族藤原氏繁栄の礎を築いた武智麻呂も,流行した疫病であえなく死亡する。

八角円堂のこと

 6角以上の堂を円堂と呼ぶが,国宝円堂は,この栄山寺のほか,法隆寺夢殿,興福寺北円堂,広隆寺桂宮院等がある。
 八角円堂は八面のうち4面に入り口が,残り4面に連子窓が設えられ,屋根には宝珠や舎利瓶を載せている。
 先人の遺勲を偲び菩提のための塔婆的な要素があり,故人の供養堂と言われ,いわば墓のような役割をはたしている。
 ここ栄山寺八角堂は武智麻呂の,興福寺北円堂は藤原不比等の,そして夢殿は聖徳太子の霊を祀る。
 なお,武智麻呂の墓は栄山寺の裏山にある。

この国宝建物のここを見る

 栄山寺八角円堂の内柱の本数は,他の堂が当然8本であるところ,4本と極めて異例の造りになっている。
 中は自由に観覧できるので確かめると面白い。

中皇命(なかつすめらみこと)

 武智麻呂の墓がある裏山辺りからJR「北宇智」あたりにかけては,かつて「宇智の大野」と呼ばれ,現在でもそれを偲ばせる地名が残されている。
 表題歌はかつてこの辺りで盛んに行われた鳥や獣狩りの際に舒明天皇の歌に対する返歌として詠まれたもの。
 中皇命が誰かはハッキリしないが,舒明天皇の娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)すなわち,中大兄皇子の妹と考えるのが一般のようである。

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