国宝建造物編87| 山号・寺号 | 観心寺 |
| 所在 | 河内長野市寺元 |
| 起点駅・目安時間 | 新大阪駅・1時間40分 |
| 経路 | 御堂筋線なかもず乗換南海高野線河内長野駅からバス15分 |
| 国宝建造物 | 1 金堂 |
| 国宝彫刻等 | 1 如意輪観音座像 (国宝仏編bS0) |
| その他の国宝 | 1 観心寺縁起資材帳 |
| 公開制限等 | 如意輪観音座像は,4月17日,18日のみ公開 |
| お薦め度 | ★★★★ |
山門に立つとそこから,まるでカメラのファインダーを覗いたかのような構図がひろがる。中央になだらかな石段が続き,その両側からは,雨に洗われたモミジの緑がせまる。そのさらに奥には,目指す金堂らしき建物の甍が覗く。
近時,河内長野も山が開かれはじめ,この寺のあるあたりは開発されたばかりのニュータウンのすぐ裏山のようだ。しかし,それでも俗界と隔絶した深山の禅宗寺院を期待させる寺域が広がっている。
観心寺の寺伝は複雑で,役小角創建にかかる寺を空海が如意輪観音を祀り,寺の名前を「観心寺」に改めたとされる。
またぞろ「空海か」とも思うが,他の寺々の安易な「空海開基寺伝」とは異なり,この地は,奈良,京の都と高野山を往来する際の中継地点,通過地点にあたるることから,空海が両者を行き来の際,宿泊,利用したとされるから信憑性が高い。
| 正面山門。ここから国指定史跡の境内がはじまる。 | |
| 数段ずつまとめられた石段が続く。 | |
| 国宝金堂 | |
| 屋根の反りが美しい。 | |
| 金堂内部の組み物。 | |
| 外側,回廊庇の上部 | |
空海が祀ったといわれる如意輪観音はすこぶる有名である。しかし,その芸術的,美術的評価を巡っては,「実に艶っぽい」,「艶めかしい章魚(たこ)のよう(亀井勝一郎)」と意見は二つに分かれる。
ホンモノを観てこの論争に加わるなら公開日は4月の二日間に限られる。
国宝金堂は,後醍醐天皇の命により,楠正成が建立した。建物は和式,唐様式に天竺様式を織り交ぜた「観心寺様式」と呼ばれる,入母屋,本瓦葺きの重厚感溢れるものとなっている。
殊に,柱や床は,その用材や加工方法も歴史を感じさせる,威厳のある建物となっている。
また,この寺は,空海入寂後は南朝との関係を深くし,中でも楠正成とのゆかりが深い。
金堂の横には,正成が寄進したが,建てかけのママ現在に伝わる「建掛塔」がある。檜皮葺らしき屋根は,700年の間枯れ葉が積もり,鳥が運んだのか春には名も知れぬ木々の新芽が顔を出す。
まるで正成の再建を待つかのように宿っているが,正成は湊川の戦いで戦死したので,永遠にかなわぬ夢となった。
他に,正成の首塚もある。
| 楠正成ゆかりの「建掛塔」一体何を建てるつもりであったのか。大きさからして三重塔か? |
南北朝時代をビビッドに描写する太平記。その太平記の楠正成と並ぶ主人公新田義貞。
表題歌派はその新田義貞の代表作。義貞は,勾当内侍に恋をする。その頃,勾当内侍は宮中にいたことから雲井の月としている。
自分は思い焦がれて涙しているのに,そんなことは知らずに月は澄んでいる,と言った意味。後に晴れて夫婦となるが,義貞は越前藤島で戦死。現在でも,福井市に新田塚という地名がある。
なお,歌人俵万智は藤島高校出身。高校に通う時「田原町」駅を利用した,とも。
悲報を聞いて勾当内侍は,琵琶湖に投身したとも伝えられている。
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