国宝を訪ねて 国宝建造物編91

根来寺

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山号・寺号 根来寺
所在 和歌山県岩出市根来
起点駅・目安時間 新大阪駅・2時間10分
経路 JR阪和線紀伊駅バス20分・徒歩15分
国宝建造物 1 多宝塔
国宝彫刻等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★★

国宝・根来寺多宝塔

驚愕の多宝塔

 広い広域農道に面したゆとりのある駐車場は,大寺院を予想させるに十分である。木立の中の参道をゆっくり歩んで行くと,やがて紅葉の緑葉に覆われた渓谷大谷川に出る。そこに掛かる橋を渡り木漏れ日の中,左に曲がる参道をさらに進む。
 案内所が現れる辺りから門の上に多宝塔の一部がはみ出しているのが見える。多宝塔にしては少し大きい,という印象だ。拝観料を払い中に入る。
 まるで公園のように敷き詰められた緑の芝生の向こうに多宝塔はあった。大きい。実に大きい。驚愕に値するほどの大きさだ。
 これほど巨大な木造建築は,他には東大寺大仏殿,長野善光寺,知恩院等の他にあまり例がないだろう。
 調べてみると,やはり多宝塔としては日本一の大きさを誇るということだ。塔の先まで約40メートルある。トップ写真左隅の「カップル」に注目するとその大きさがある程度実感できる。10階建てのビルの高さである。

大谷川にかかる橋。ここを左にそれる。
案内所から多宝塔が見える。
木立に囲まれて悠然と立つ。
土台である白い亀腹(かめばら)も2メートル近くある。

密教と顕教

 根来寺は,真言宗の中の宗派の一つ新義真言宗の総本山である。
 真言宗の開祖・空海は,人は本来,仏であると説いたが,そうなるとなぜ修行が必要なのか問題となる。この点を巡って宗派内に争いが生じる。

 真言宗は,天台宗とともに密教の代表であるが,ここに密教とは,「顯教」に対する考えであり,顯教が仏の教えを相手の技量,能力に応じて分かり易く文章や経典などで説くのに対し,密教は,仏教の真理や教えは,そういった方法では言い表せるものではなく,修行を通じて体得するしかないとする。

 となると,いきおい,師から弟子へ,さらに弟子から弟子へと口伝が多くなり,弟子達が受け取る教えのニュアンスが微妙に異なっていくのは避けられない。そのため,このような宗派では分派活動は必然である。

 1130年頃,当時の高野山の教えに飽きたらなかった覚鑁(かくばん)は,高野山内に大伝法院を開き,真言宗に新風を吹き込もうとする。しかし,大伝法院座主でありながら,金剛峯寺座主にまで登り詰めた彼は,この点も批判され,やがて高野山と袂を分かつことを決意する。

 覚鑁は高野山に伝法院を残し,根来の地に一乗山円明寺を建て,修行を単に仏になるための追体験に過ぎないとするそれまでの真言宗を「古義真言宗」とし,仏になるための修行は必修であり,修行を重視する自己の立場を「新義真言宗」として,この地でこの教義を実践し,流布することになる。
 しかし,覚鑁の没後も高野山との対立は続き,彼の弟子が高野山から大伝法院を円明寺に移し,その後大伝法院(円明寺)は名を根来寺と改め,現在にいたる。

戦闘集団・僧兵根来衆

 しかし,その後の根来寺と言えば,かつての東映時代劇でお馴染みの「根来衆」が,真偽のほどは別として,黒い覆面を巻き付けて暗躍する。

 根来衆とは,この寺の僧兵のことで,早くから鉄砲を使いこなし,そのため権力者から恐れられていたが,信長と本願寺・顕如との「石山戦争」では,本願寺に味方して,信長に対抗する。
 また,信長の後を継いだ秀吉は,各地で宗教弾圧を繰り返し,1585年には「根来攻め」も敢行した。根来衆はその中心となって抵抗するが,全山焼き打ちの憂き目にあい壊滅状態におちいる。
 その「根来攻め」の際に幸いにも類焼を免れたのが,この国宝多宝塔である。

輪島塗のルーツ根来塗

 また,その際多くの根来衆が,全国各地に離散し,兵法の他,根来寺付近の伝統工芸漆の「根来塗」の技術を,輪島を始め日本各地に伝えた。


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