国宝を訪ねて 国宝建造物編94

太山寺

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山号・寺号 三身山太山寺
所在 神戸市西区伊川谷町前開
起点駅・目安時間 新神戸駅・45分
経路 神戸市営地下鉄西神線伊川谷駅バス(1時間に2本程度)
または,地下鉄総合運動公園駅からタクシー5分
国宝建造物 1 本堂
国宝彫刻等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★


   

葷酒山門入禁

 バス停のすぐ前に山門がある。プーンと銀杏の臭いがした。見ると山門の向こうに大きなイチョウの木がある。通り抜けはできないので左側から回り込む。山門の内側だから寺域と思われるが,いきなり酒屋がある。これには少し驚かされるが,すぐ隣に塔頭らしき寺があり,「葷酒山門に入るを禁ず」との石柱が立っている。この対比が少し笑える。酒やニンニク臭い輩は門を潜れない,ほどの意味。
 その石柱からは,石畳の参道がつづくが,左手は放置されたビニールハウス等が立っていて長閑な田園風景が広がっている。その田圃の奥には紅葉した里山が連なっている。
 200メートルほどの参道を進むとかつての塔頭らしき寺も数軒有りあり,太山寺の往時の大きさが偲ばれる。
 その先に中門があり,門の中に太山寺の本堂らしきが見える。

鎌足の長男定恵

 「播州太山寺縁起」によると,定恵の開山,藤原宇合(うまかい)の建立と伝えられている。定恵は,藤原鎌足の長男。時の権力者の長男が出家,それも若くして出家し,直ぐに入唐している。これはかなり異例のことであり,謎に満ちている。鎌足の長男として命が狙われていたのを逃がすため,常陸の身分の低い妻を娶っている鎌足の出自を隠すため等,様々な憶測がなされている。

建築様式

 建物の東西にそれぞれ和様と禅宗様が分かれて造られていて,鎌倉時代の大堂の代表と言われている。簡素で力強い姿は感動的だ。

歌舞伎・苅萱



 黒の蔀度に朱の柱が絶妙なアクセントとなっている。





 ここには,歌舞伎「苅萱」の石童丸伝承が残されている。
 苅萱は,おおよそ次のような話。
 昔,筑紫の領主であった加藤繁氏は,かつての友の娘千里が不遇の身となっているのを知り屋敷に住まわせる。しかし,妻とはうまくゆくはずもなく悩んだ末出家する。繁氏の妻から命を狙われるようになった千里は,その後を追うようにして筑紫を出る。身重の千里は途中播州明石の大山寺で石童丸を出産,石童丸は大山寺で成長する。やがて,噂は二人を高野山に導く。
 しかし,高野山は,女人禁制ゆえ,石童丸は,麓の学文路(かむろ)に母を残し,一人,まだ見ぬ父の消息を尋ねることになる。石童丸が尋ねた沙門は,石童丸を我が子と気づくが,「お前の父は既に他界した」,と伝える。学文路に戻ると母は急死,一人になった石童丸は,再び沙門を尋ね入門しともに暮らすことになる。父は,生涯名乗らず二人は,供養のためと2体の地蔵を彫る。
 
 しかし,この太山寺と石童丸の関係は今,一つハッキリしない。
 大山寺は,太山寺の旧寺号であり,かつては播州明石大山寺と称していた。
 だが,有名な石童丸の話ぐらいは,太山寺のホームページに載せても良いと思われるが,寺のページは至って簡素にできている。気になるところである。
 しかし,高野山観光商業組合出版の
マンガ「石童丸」には,身重の千里が筑紫を逃れ播州の大山寺にて石童丸を産んだとするので,これらの事情を総合すると太山寺は,石童丸ゆかりの寺となるのだが。 

    朱の肌に 柿の実添えし 太山寺       秋雨

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