国宝を訪ねて国宝建造物編№100

吉備津神社

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 浮き世をば 今こそ渡れ 武士の
        名を高松の 苔に残して
              

清水宗治
名称 吉備津神社(きびつじんじゃ)
所在 岡山市北区吉備津
起点駅・目安時間 岡山駅・30分
経路 JR吉備線吉備津駅下車徒歩10分
国宝建造物 1 本殿及び拝殿
国宝彫刻等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★
公開情報

  

温羅(うら)伝承の里・吉備津

 2つ箱を並べただけの電車が岡山駅から出ている。ドアも電動開閉式であり,自らボタンを押さないと降りられない。そんな電車に20分ほど揺られると吉備津駅に到着する。
 駅から線路づたいに岡山方面に少し戻ると,大きな鳥居が目に入りそこから右手に吉備津神社の参道が始まる。
 その参道の先は小高い山となっていて「吉備中山」と呼ばれている。
 その昔,近くの片岡山に鬼が住みつき城を築き,悪行の限りを尽くした。温羅(うら)と呼ばれたその鬼を退治するために吉備津彦が当時の朝廷から派遣される。幾多の戦闘を経て吉備津彦が勝利するが、これが桃太郎伝説のルーツとも言われる温羅(うら)伝説である。
 吉備津神社はこの吉備津彦を祭神とする。
 そんなことを思い出しながら田圃の中を10分ほどで歩くと吉備津神社だ。
 かつて栄えたと思われる門前町が旧街道沿いに数件残されている。のどかな集落である。


吉備津神社に向かう参道

         
       松並木にも長きにわたって崇敬された様子がうかがわれる

比翼入母屋造

 急な階段を登ると薄暗い拝殿に出る。柱の雰囲気から国宝・拝殿,本殿だと分かる。別名「吉備津造り」とも呼ばれる比翼入母屋造りの壮麗な,可憐な社である。さすがに足利義満が再興しただけのことはあり,規模は大きいようである。






この神社は比翼入母屋造りと呼ばれる。一体、神社はその建築様式として、神明造り、大社造り、住吉造り、かすが造り、権現造り等8種類ほどに分類されている。そして、神社のほとんどがこの分類の中に振り分けられている。本宮が各地に勧請されて、それと同様の建築様式で各地に迎えられたであろうと考えれば、納得できよう、ところが、この吉備津神社の比翼入母屋造りはほとんどこの吉備津神社にしか観られないめづらしい建築様式であり、それが国宝指定された理由の多くであろうと思われる。

拝殿


 

 吉備津神社拝殿 一見すると寺と見間違うほどである。

拝殿内部を東よりから見たところ

拝殿の正面


この国宝のここを見る

 この国宝の一番の見所はなんと言っても神社としては最大級を誇る屋根の広さとその形態すなわち比翼入母屋造である。しかし、この他にも二つほど特異な箇所がある。
 一つは、基盤すなわち土台である。この国宝の土台は、亀腹と呼ばれる底の浅い鉢を伏せたような、そのものずばり亀の腹のような土が盛られている。この亀腹は、主に寺の本堂や金堂、あるいは多宝塔等に用いられ、神社本殿の土台として採用されるのは珍しい。
 他の一つは、殊に拝殿において顕著であるが、神社には珍しく大仏様(天竺様)が用いられていることである。すなわち大屋根の軒下から屋根裏を覗き込むと広い屋根を支える組み物が直線を基本に簡潔、単純に作られているのが分かる。
 この大仏様は、東大寺の南大門や印南の浄土寺に代表されるように、簡素で豪快な造りをその特徴とし、それまでの斗と栱を支柱の上に幾段も組み上げる複雑な構造とは異なり、支柱にほぞ穴を穿ち規格材を横に通すだけの単純な組み上げとなっている。

雨月物語

 しかし,この本殿の裏手に回ると長い回廊が山の斜面に沿って設えられていて,そこを数分下りると御釜殿に出る。御釜殿は,吉凶を占うときに使われる吉備津の釜が祀られていることで有名である。
 その占い方法は,水を満たした釜を茹で,その際に発する音で吉兆を占うというものであるが,「幸あればゆたかに鳴り,禍あれば荒らかに鳴ろう」との,丑寅御崎の祭神,温羅(うら)の託宣にもとづいている。

 この点,上田秋成「雨月物語」(後藤明生訳・学研M文庫)では,禍が起こる場合は,釜は鳴らない,となっているが,物語の粗筋は次のようなもの。

 昔,この神社の神主の娘に縁談が持ち上がる。神主は,この縁談についてこの釜で占うことにする。茹で上がり釜の鳴るのを待つが,釜は鳴らない。しかし,世間のしがらみもあり,思案のあげく,これを無視して,娘を嫁がせることにするが,案の定・・・・ 
 
 雨月物語は,上田秋成の作になる短編集であるが,怖いというより怪奇な話が多く,古典の中では,江戸時代に書かれたせいか古語も平易で,比較的読みやすい。
 ちなみに,本の名の雨月とは,満月ではあるが,月の出ない夜のことである。

芭蕉の評判

 この秋成,雨月物語の他にも様々な書を残している。その一つに「去年の枝折」(こぞのしおり)があり,その中で芭蕉について,「ゆめゆめ学ぶまじき人の有様なり」と,痛烈に批評している。
 金持ちの芭蕉には,西行,宗祇のように漂泊に身を置く必然性がない,というのがその理由のようだが,秋成の時代に芭蕉の情報がどの程度一般に流布されていたのか,江戸時代の情報伝達具合を知る上で非常に興味がある。
 少なくとも,現代の我々が芭蕉に抱くイメージはまだ醸成されてはいなかったようである。
 もっとも,最近その芭蕉の俳聖なるイメージに対し嵐山光三郎が「悪党芭蕉」というセンセーショナルな書名で,かかんに挑んでいる。挑んでいると言っても,氏は大の芭蕉フリークで,これまでの研究成果がいかんなく発揮された書物となって泉鏡花文学賞も獲得している。悪党,との所以は,要は「おかま」だった,ということだが,果たして真偽のほどは?
 杜国という美青年弟子との二人旅と鷹と菊がキーワードとなっている。 

高松城・中国大返し

 秀吉の水攻めで名高い高松城城趾はここ吉備津神社からすぐ。表題歌は,秀吉の水攻めに合い,将兵の助命と引き替えに城主清水宗治が自害した際に詠んだ辞世の句。本能寺の変をひょんなことから知った秀吉は,持久戦水攻め,兵糧攻めから急ぎ和平に作戦変更して,明智光秀を討つべく京に攻め上がる。世に言う「中国大返し」である。
 堤を切り,いくたの田畑を水没させ城の周囲を水で囲んだ「水攻め」。そこに宗治を乗せた一艘の舟が漕ぎ出す。辺り一面の水を浮き世に見たてて宗治が詠む

近くに

吉備津駅と吉備津神社の丁度中間辺りに。栄西生誕地を示す石碑が建っている。

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