国宝建造物編102| 山号・寺号 | 新日山安国寺不動院 |
| 所在 | 広島市東区牛田新町 |
| 起点駅・目安時間 | 広島駅・15分 |
| 経路 | 広島駅からタクシー15分 あるいは,アストラムライン不動駅下車すぐ |
| 国宝建造物 | 1 金堂 |
| 国宝彫刻等 | なし |
| その他の国宝 | なし |
| お薦め度 | ★★★ |

低い山の陰にひっそりと佇む大堂である。しかし,市街化の波はここにも容赦なく押し寄せ,寺域のすぐ前を,近代的なアストラムラインが走る。
そのため住宅街に埋もれた親しみのある町の寺といった風情で,境内も開放的。 市民の憩いの場となっている。
しかし,国宝金堂は,簡素な中にも重厚感に溢れていて,その偉容は,現存する禅宗仏殿の中では随一のものだ。とりわけ屋根のそりが美しく,この山の向こうに今まさに飛び立とうと鳥が羽を広げたようである。
この低い山の向こうには,広島の爆心地があるが,山の陰のためか,金堂には何の影響もなかったようである。
国宝を擁するこの寺の寺歴はなかなか複雑で,もとは足利尊氏が南北朝の戦乱で戦死した武将達の霊を慰めるため全国60余カ所に建立した安国寺の一つであり,ここ安芸の国に建てられたことから,安芸安国寺と呼ばれていた。
しかし,その後,禅宗から真言宗に改宗,不動明王を祀ったことから,本山一体を不動院と呼ぶようになる。
その後,新日山安国寺不動院と名を改め,現在に至る。
ところで,この国宝金堂は,もとは,廃寺同然であった山口大内氏の菩提寺内にあったものを,当時のこの寺の住持であった「恵瓊」が山口より移築したものと伝えられる。
この恵瓊は,毛利氏に仕えた僧侶であるが,外交手腕に長けていて,秀吉の毛利攻めの際に秀吉と渡り合い和睦を取り付けた人物と言われている。
もっとも,その毛利攻めの際,秀吉陣営は,毛利氏の支援を求め備前高松城へ入城しようとした明智の家臣を捕らえ,本能寺に信長が客死したことを聞き出し,秀吉は,すぐさま和睦に方針を変更する。
和睦後,間髪を入れず京に引き返した秀吉は,明智光秀と大山崎で対峙する。このことからすると,恵瓊からの申し出は,秀吉には渡りに舟であったようである。
しかし,毛利氏も,講和の結果,秀吉の治世下で五大老に数えられるようになったのだから,恵瓊の手腕は評価されねばならない。事実,恵瓊も秀吉に重用されることとなる。
しかし,秀吉の死後,関ヶ原の戦いで恵瓊は,西軍に与したことから捕らえられ,六条河原で石田三成らと共に打ち首となる。
大内氏の廃寺から,金堂を蘇らせた恵瓊は,外交僧を演じながらも,東福寺,南禅寺の住持を歴任し,しかし,最後までこの安国寺の住持でもあったという。
ひろしま美術館は,印象派絵画の日本最大の宝庫である。
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