国宝を訪ねて国宝建造物編110

瑠璃光寺

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山号・寺号 保寧山瑠璃光寺(るりこうじ)
所在 山口市香山町
起点駅・目安時間 新山口駅・1時間
経路 JR山口駅からバス10分徒歩
国宝建造物 1 五重塔
国宝彫刻等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★★★★

庇に雪を載せた国宝・瑠璃光寺五重塔

小京都山口に佇む塔

 小京都山口きっての古刹。
 京都の浄瑠璃寺同様,その名に惹かれて,ここを訪れる人も多いと思われるが,期待を裏切られることは決してない。
 寺は,山口市内を見渡せる小高い山の中腹に開かれていて,そのシンボル五重塔は,緑の木々に囲まれ控えめに佇立する。
 五層の檜皮葺の屋根に結晶した露が朝日を浴びる頃もよいが,やはり,塔は夕日であろう。
 奈良,京都で見られる大塔は,天空に少しでも近づきたいという,人間の欲望を形にしたように見えるが,この塔は少し違う。
 西方にあるという浄土を,背伸びをし憧れを持って立ちつくし見つめている。可憐なその姿に,夕日が燦々と降り注ぐ。流麗な五層の曲線を描く屋根が西日を照り返して、ほどよいあかね色に染まる。
 夕日の中で,母を待つ子のように佇むその姿は市内の至る所から眺めることができる。


瑠璃光寺の歴史

 国宝瑠璃光寺五重塔のある寺域は、かつては大内義弘が一族の菩提を弔うために建てた香積寺に属していた。そして、義弘が応永の乱(1399年)で没すると弟盛見(もりはる)が兄の冥福を祈り五重塔の建立を発願する。しかし、盛見は、五重塔の完成を見ることなく、やはり、敗死する。
 一方、後に謀反を起こすことになる、大内家の家臣陶一族が、香積寺の近くに瑠璃光寺を建てる。
 その後、時が流れて、群雄が割拠し、勢力地図は様々に塗り替えられるが、香積寺は、周防を勢力下に治めた毛利氏の支配下に入る。その毛利氏は、関ヶ原の戦いで敗れ、家康により萩に移封される。そのときかの香積寺も萩に移転、と言っても建築資材として解体移転されることになる。しかし、五重塔については住民の嘆願が聞き入れられ、解体を免れることになる。そして、五重塔だけ残した香積寺の跡地に、先の瑠璃光寺が移ってきて五重塔も管理することとなり現在に至る。


「西の京」山口

 ここ山口は、室町時代の頃大内氏が繁栄の基礎を築いた城下町である。
 周防の豪族大内氏は、14世紀中葉、24代弘世が出て、周防、長門、石見の守護代となる。弘世は、山口を京の町を模した街造りを始めるなど進取の気鋭に富んだ人であった。続く25代義弘も京都の文化を大いに受け入れ、そのスタイルは、31代義隆等にも受け継がれ200年間にわたり途切れることが無かった。
 その間に、雪舟をはじめとする画家や、連歌師、応仁の乱の戦火を逃れてきた貴族や僧侶、その他の文化人を受け入れ保護してきた。フランシスコザビエルもその中の一人であり、大内氏の庇護の元、山口に長期にわたりとどまり、布教にあたり、山口を日本における布教活動の重要な拠点の一つに数えていた。多数の信者を獲得し、そのため市内には、現在も至る所に当時の名残を伝える地名や記念館などが残されている。
 これらの事業を支えた財力は、地の利を生かした、朝鮮や明国との貿易、あるいは瀬戸内海の海運を整備、掌握することによりもたらされたものだが、その遺産を今に伝える市内を一望するには、サビエル記念館のある「亀山公園」から眺めるのがベスト。

驚異の作家

 「瑠璃光寺の五重塔は私には、この世とあの世の境に立つ、結界に見えました」。この五重塔の魅力に半世紀あまり取り憑かれ、構想14年ついにものした作家が久木綾子である。久木綾子「見残しの塔」(新宿書房)
 
「大工たちは神の手と仏の慈悲と忍耐をもっている。でなければこんなに人の心を打つ塔堂伽藍は立ち上がらぬ」塔の神聖さと荘厳さを充分に知り尽くした氏は、85歳から筆を起こし、4年をかけて完成する。塔を挟んで日向国と若狭国から話が始まり、やがて瑠璃光寺において結実する。
 全体的な構想力において大作家とは距離があることは否めないが、一行ごとの文章力には脱帽せざるを得ない。

中也のふるさと湯田温泉

 この小京都山口といえば,中原中也の故郷である。河上徹太郎編「中原中也詩集」(角川文庫)は,読みやすく旅の友には最適である。
 中也記念館は,瑠璃光寺からもさして遠くない湯田温泉の中にある。

山頭火のふるさと

 また,山口は,放浪の俳人,山頭火の故郷でもある。そのため,彼の足跡は県内の至るところに残されている。
 壮絶な乞食道を実践した山頭火は,友人,知人が用意してくれる庵をも拒否し,放浪に放浪を重ね,その病的ともいえる放浪癖は,終生おさまることがなかった。

 西行,芭蕉に憧れ,そのままに行動する彼は,旅には,何も求めず,彷徨の果てにも何も掴もうとはしない。
 行乞を重ねる彼の躰には,農耕民族の血は微塵も流れていない。定住をまるで異国の民の風習と考える生来のジプシーのようである。

 しかし,山頭火の俳句には,のんびりとした中にハッと眼を醒まされ,そして心温まるものが多い。

分け入っても分け入っても青い山(山頭火)
 うしろすがたのしぐれてゆくか(山頭火)
 まったく雲がない笠をぬぎ(山頭火)
 笠へぽつりと椿だった(山頭火)

 かれの生き様そのもののように,俳句の伝統,形式にとらわれることのない自由,奔放な律詩である。

山口の国宝等

 近くには,毛利博物館がある。
 また阿弥陀寺には,国宝鉄宝塔等がある。

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