国宝を訪ねて国宝建造物編112

功山寺

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山号・寺号 功山寺
所在 下関市長府川端
起点駅・目安時間 新下関駅・50分
経路 下関駅行きバス20分唐戸乗換えバス15分
国宝建造物 1 仏殿
国宝彫刻等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★★★


  

国宝・功山寺仏殿

バス停・城下町長府

 「城下町長府」という名の海沿いのバス停から,山の手を目指して商店街を5分ほど進むと穏やかな坂が始まる。そのあたりから町並みは一変し,かつての武家屋敷街を思わせる長い土塀をもつ高級住宅街となる。それぞれの家の敷地は広く,築地塀越しに手入れの行き届いた木々が見え隠れする。その土壁が尽きる頃,毛利家屋敷跡があらわれ大きく左にカーブを切ると目指す功山寺の山門にたどり着く。

 こじんまりとした寺を想像していたが,なんとも堂々とした威厳に満ちた寺の様である。通りに面した山門からは落ち葉の積もった石段がはじまり,その奥は森厳な森への連なりを予感させる。

土塀に囲まれた屋敷が緩やかな坂道に沿って続く。
この小径の両側は驚いたことに全て民家である。

幕末の功山寺

 

 石段を登り始めるとやがて山門の内側の四角いファインダーには反り上がった鋭角の屋根の端が見えてくる。
 期待は一気に高まるが,石段を登りきりその全貌を目にしたとき期待は裏切られることがなかったと分かる。国宝という名に値する数少ない仏殿である。
 屋根全体の形象は,円覚寺舎利殿と同様であるが,実に大きい。仏殿の中ではかなり大きい方だ。

とおりに面した山門である。
 三門(中門)に色づき始めた楓がかかる。この先に国宝仏殿が佇む。
 風格ある三門だ。その奥に仏殿の屋根らしき反りが見える。
境内は2段になっている
どこからみても隙がない。
組物と反りが美しい。

七卿落ち

 広く急な石段を下りる時,その昔,都から落ち延びた7人の公家に謁見し,ここで挙兵した若き高杉晋作のたぎる血潮を,ふと思い返す。
 幕末,この寺は,長州の尊皇攘夷派の拠点であった。そのころ,都から逃れた7人の公家の内,5人が数ヶ月間ここに逗留する。世にいう「七卿落」である。

 七卿落とは,源平盛衰記を原典とした謡曲「七騎落」からのネーミングである。
 平氏に追われ敗走する頼朝は,いつしか主人,従者の計八騎が生きのびたことに気付く。源氏の歴史の中では,かつて8騎で敗走し,好ましくない結果を生じさせたことが2度あった。
 頼朝は縁起が悪い,として一人減らし,7騎にせよと従者に命ずる。従者は,泣く泣く我が子を船から振り落とす。

高杉晋作の挙兵

 晋作は,5人の公家に謁見後,この功山寺で奇兵隊を挙兵する。
 開国か攘夷か,倒幕か,この時代を駈け抜けるようにして生き抜いた若者達を描いた林房雄の傑作に「青年」があるが,現在,入手は困難である。

 三好徹・学研M文庫,山岡荘八・講談社歴史文庫等も「高杉晋作」を語るが,大部であったり,あるいは文学性に欠ける作品が多く,想像を交えた出来事が淡々と語られるだけであり,あまりお薦めできない。

城下町ベストテン

 長府は城下町のおもかげが色濃く残された町である。
 昔の町並みが印象に残る町としては,萩,唐津,知覧,角館等があげられるが,長府の町並みもこれらに決して引けをとらない美しい町並みである。
 「城下町ベストテン」の企画があれば,入賞するのではないだろうか。

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