国宝を訪ねて国宝建造物編113

神谷神社

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 松山の 波に流れてこし舟の
      やがてむなしく なりにけるかな

西行・山家集

国宝・神谷神社本殿

名称 神谷神社(かんだにじんじゃ)
所在 香川県坂出市神谷町
起点駅・目安時間 坂出駅・50分
経路 坂出駅からバス高屋下車徒歩20分
国宝建造物 1 本殿
国宝彫刻等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★★

神谷集落

  坂出市後方に聳える霊峰白峰山は,白峯寺を中心とした信仰の山である。この白峰山へは麓に数本の登山口が開かれているが,その内の一つを守るかのように,神谷神社(かんだにじんじゃ)が鎮座する。
 
 神谷神社の創建は嵯峨天皇弘仁3年と言われ,神谷集落の奥に白峰の山稜を背にして佇む小さな社である。
 
 小さな鳥居をくぐると比較的新しい拝殿があり,その奥に神谷神社本殿があった。
鎌倉時代に建造された優雅な流造の本殿である。寺を囲むような築地塀を3方に巡らせ,横には小さな川が流れている。
 清冽な水が流れてくるのだろう,水量は少ないがゲンジボタル自生地との表示があった。
 拝殿からはなかなか本殿が見えにくい。塀に沿って裏に回ってみる。一回りしてみるが全体が撮影できるポイントは見つからない。
 撮影ポイントを探していると,自転車の軋む音がしてやがて柏手の音が聞こえた。近在の人が参詣に訪れたようだ。やがて,自転車を置いたまま社の脇の山上に向う道を登っていった。

岩倉・命

 この社の裏山には「影向石」と呼ばれる磐座(いわくら)があるというから,そこに向かったのだろうか。
 案内書を繙いてみる。
この社の祭神は,火の性情を具有する火結命(ほむすびのみこと)のようだ。また,くど,窯,煮炊き等火を扱う神である奥津彦命,奥津姫命を祀る。どうやら火に関連する神のようであるが,他に奈良春日大社の4神も祀られている。

現存最古の社流造神社

 また,案内書には,3間社流れ造り,檜皮葺,建築年の確認できる現存最古の神社,とある。
 確かに,多くの神社は当初の建築年は古くともその後,式年遷宮や建て替え等でごくごく新しいのが普通だ。そんな中で,この社は,建て替えされることなく建築当初の姿が維持されている貴重なものだ。
 もっとも,この現存最古とは,社流造の神社の中で,という意味だ。
 
 美しい反りを見せる檜皮葺の屋根は,年代を感じさせる鉛のような色をしていた。しかし,屋根を覆う幾層もの木立をぬって白峰山の頂上あたりから筋のような朝日を受けた時,黄金色に輝いた。
 鳥のさえずりが一層喧しくなる。すぐ近くから,そして遠くからも,数種の鳥の音が聞こえる。都会暮らしには信じられないほどの数だ。

近くに・白峯寺

 神谷神社からは,比較的近くに80番札所白峯寺がある。但し,近いと言っても地図を見る限り2キロもない程近いということである。実際は,曲がりくねった山道を登るし,それも相当に高くまで登る。
 遍路は,徒歩が原則などといっていたら,この白峯寺はかなりやっかいな寺だ。しかし,途中の景色はすばらしい。眼下に鏡のような瀬戸内の海が広がる。
 こんな高いところに寺を建てる必要があるのか,疑問に思うほどだ。密教寺院が持つ,あの山霧の中から忽然と姿を現す,といった雰囲気はないからである。

崇徳院廟所

この白峯寺には,保元の乱で破れ讃岐の国に流された崇徳院の廟所がある。
 
 保元の乱は,はしなくも王朝文化の終焉を告げる,朝廷内の権力争いとなったが,この乱で敗れた崇徳院は,都を追われ讃岐に流される。
 しかし,その後も継子いじめのような度重なる朝廷からの不当な取扱いに,憤怒と望郷の想いを胸にたぎらせこの地で没する。
 
 崇徳天皇には,その出生からして,悲劇の始まりを予感させるものがあった。
 白河法皇が自分と関係が継続していた待賢門院を,孫の鳥羽天皇の后にする。その後も二人の関係は続き,やがて不義の子として生まれたのが崇徳院である。
 
 鳥羽天皇の子として成長はするが,鳥羽院からみれば自分の叔父でありしかも子でもあることから,崇徳院のことを叔父子(おじご)と呼んだ。 

保元の乱

 崇徳院は,鳥羽天皇の後,即位するも退位を迫られ,弟が近衛天皇として即位する。その近衛天皇が若くして崩御すると,崇徳院は自分の子を天皇にと願うが,崇徳院のもう一人の弟が後白河天皇として即位してしまう。
 この後白河天皇と崇徳院との対立に端を発して,やがて保元の乱へと発展する。
 この崇徳天皇と親交のあった歌人に西行がいる。

西行物語

 西行は,和歌を通してこの崇徳天皇と親交があったことから,天皇の死後8年して,この地に墓参している。そして,近くに庵を結んでしばらく逗留していた。
 表題歌は,松山(現在の坂出市あたり)に到着し,すでに他界している崇徳院に対する西行の嘆きが歌われている。

 この西行は若くして出家したが,出家の動機については,様々な憶測がなされている。
 いずれにしても,月と桜を愛で,諸国を遍歴したことは間違いなく,日本各地にその庵の跡が残されている。

 この西行の著作「山家集」や各地に残された彼の伝承等を集大成し鎌倉時代に作られた説話風,実録風の作品に「西行物語」(講談社学術文庫)がある。
 しかし,この物語は作者も不明,しかも類似作が沢山あり,それぞれの作者が,時間的先後関係を勝手に変更したり,様々な箇所で興味本位の構成をしたり等,劇場的に物語が組み立てられたもので,古典としての価値はほとんどない。そのため研究対象とはなりにくく,手に入りやすい注釈書としてはこれぐらいしかない。

西行論

 現代でも,西行の数奇者ぶりやその放浪癖あるいは破滅的な潔ぎよさが共感を呼ぶのか,多くの研究書やエッセイが出版されているが,入手し易いものとして吉本隆明「西行論」(講談社文芸文庫)白州正子「西行」(講談社文芸文庫)がある。
 前者は,歌人としての西行の他に僧侶,武人としての面を歌との関連で研究した作品であり,新たな視点に基づく研究であるが,文章がかたく読みずらい。
 後者は,まず,出家の動機を待賢門院との失恋に求め,その後で歌の解釈や西行の行動等をこの線に沿って全て説明しようとするものであり,氏の著作に一貫して見られるところではあるが,まず主観的な好みに基づく結論があり,それに全てを強引に結びつけるという,氏お定まりの展開となっている。 

この西行を題材としたものに「二日物語」、「雨月物語」、「謡曲西行」等がある。

「二日物語」

 さて、憤怒の念から怨霊と化した崇徳上皇とこれを成仏させようとする西行の戦いを描いた作品に幸田露伴「二日物語」がある。
「二日物語」は諸国を行脚する西行の旅の途中二日間を此一日,彼一日と二つに分けて語るもので,此一日が崇徳上皇の怨霊との格闘,彼一日が長谷寺での別れた妻との偶然の邂逅の話となっている。
 
 崇徳院の墓を詣でようとはるばる瀬戸の海を越えて讃岐を訪れた西行は、崇徳院の墓の所在を里人に尋ねるも分からない。夜が深くなって荒れ果てた墓をようやく探し当て、回向する。その時、崇徳院が怨霊となって西行の前に現れる。

 ただ,この二日物語は,文豪の作品ではあるが,書かれた時代が,言文一致運動が始まる明治のはじめ頃であり,文語体,漢文書き下ろしの文体は,現代小説に慣れ親しんでいる我々にとっては,滝沢馬琴,井原西鶴らの作品を読んでいるのとあまり変わらない印象を持ってしまう。
 和漢混交,四六べん儷調のような流れのある文章ではあるが,小説の型式そのものが未だ確立されていない頃の作品であり,「。」になかなかたどり着けないし,改行,空白行,段落分けや章立ても少ない。その結果,誰の発言か,誰から見た解説か,登場人物の意表なのか作者のそれなのか,等視点がぶれて判然としない場合も多い。
 露伴には,この他に,「五重塔」,「連環記」,「風流仏」等の傑作が多数あるが,おしなべて読みにくい。しかし,我慢して読むとさすが文豪非常に面白い。
 なお,これらの作品は文学全集,露伴全集等には抄録されているものも多いが,単独作品としては手に入れにくい。検索エンジンで「青空文庫」,作家別の「か行」をクリックして入手するのが手っ取り早い。

雨月物語・白峰

 また、上田秋成「雨月物語」の「白峰」は,やはりこの崇徳院の怨念を題材とする怪奇物語である。
 崇徳院は,讃岐に流された後,失意の中,自らの血を墨に写経した大乗教典五部を仁和寺の門跡である実弟の覚性法親王に送るが,その取り巻きの進言により,その受け取りが拒否される。
 それを知った崇徳院は,鬼の形相で末代まで祟たってやると言い放ち,怨念を秘めたまま死をむかえる。

 讃岐を訪れた西行の回向に対して成仏できない崇徳院の霊が現れ西行と問答を繰り返す,という謡曲的な構成になっている。

 雨月物語・白峰の語り口には,おどろおどろしいものがあり,それだけでも十分引き込まれるが,現代の権力闘争や,社長レースを彷彿させるものがあり興味深い。
 この雨月物語には,全部で9編の物語が収録されているが,国宝建造物との関連では他に吉備津神社(bP00),三井寺(bQ4)にまつわる話が入っている。

讃岐うどん・厳選3店

 ちょっと話題を変えて,行列の出来る讃岐うどん厳選3店。
 讃岐うどんの名店は沢山あるが,その中から次の3店はおすすめ。交通機関は,タクシーしかない,しかも,彦江製麺所を除いて駅から遠いので相当料金がかかる。
 自分で探していくには3店とも分かりにくい。一番簡単な方法は,ナビに電話番号を入力する,という方法。

宮武 0877−75−0576

宮武 琴平町上櫛梨
名物おやじのいる店
行列はすざまジイ。なんと言っても観光バスが入れる駐車場があるから店内は何時も満員。店の周囲にはうどん御殿らしき建物が建っている。値段も安いし,麺も腰がある。「あつあつの小」にゲソ天といえばあなたも讃岐うどん通。
あつあつ,に対しひやひや,がある。これは,麺と出汁の暖かさのこと。小とは一玉のこと。この店独自の呼び方だ。

なかむら 0877−98−4818

なかむら 飯山町西坂元
川の脇にある名店
なんといっても出汁が美味かった。麺の堅さも丁度良い。朝9時からの営業というのに開店時に10人ほど集まっていた。
裏庭からネギを取ってくる,と言われた店,のようだが,なるほどそれらしい裏庭はあ
ったが,ネギは大方取り尽くされていて生長する暇がないようだ。

彦江製麺所 0877−46ー3562

彦江製麺所 坂出市横津町
 坂出駅から近いが,分かりにくいと言ったらこれほど分かりにくい店もない。表通りに看板があるが,「ここから西へ100メートル」と言われても西も東も分からない遠来の客には無用の長物。略図すら書かれていない,不親切極まりない看板は橋のたもとのパチンコ屋の通りを挟んで向かい側神社の角辺りに立っている。
 この店に行くには,まず,この店の駐車場を探すのが順序。その後,駐車場内の案内をを頼りに店に向かうのが一番。
 客は圧倒的に地元の人が多い。それだけ味は確実だ。
 麺洗いのおばさんの年季の入ったパフォーマンスは必見。この3店の中では一番麺が硬い。

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