国宝を訪ねて国宝建造物編116

太山寺

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    太山寺 秋の遍路は 伊予絣

川端龍子

    

国宝・太山寺本堂

山号・寺号 太山寺(たいさんじ)
所在 松山市太山寺町
起点駅・目安時間 JR松山駅・50分
経路 JR松山駅からバス太山寺停下車徒歩20分
国宝建造物 1 本堂
国宝彫刻等 なし
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★

のどかな集落

 集落の横を走る通りに「一の門」がある。そこからこの集落を二つに分けるように長い参道が小高い山に向かって続く。両脇に民家が並ぶものの,土産物屋や休憩所は全くない。今,訪ねてきたばかりの石手寺とは大きな違いだ。これが四国遍路の平均的な姿であろうと,ある意味ホッとする。

 長い参道を行くとやがて急な石段に突き当たる。そこを登り切ると堂々たる門の前に出る。一息つき今しがた登ってきた方を振り返ると,集落の全体が眼下に見渡せる。のどかな松山市郊外の名も無き集落だ。

 本堂はここからさらに昔の街道筋を思わせるような山道をさらに15分ほど進む。
 寺域は結構広い。年をとってからの88カ所巡りは結構きつそうだ。
 急な石段がまた現れる。手すりを頼りに登るとようやく境内に出る。

四国八十八箇所

 ここ太山寺は四国八十八カ所の52番札所である。
 この四国遍路は,徳島の1番札所霊山寺を振り出しに,お太子様と二人で旅をして四国内の八十八箇寺をめぐるというもの。
 お太子様とは,勿論,真言密教の開祖弘法大師のことである。四国巡礼というと「観音様めぐり」が頭に浮かぶが,そうなると密教は大日如来を本尊とするので観音様と大日如来,この関係が今ひとつハッキリしなくなる。
 事実,八十八カ所のうち,観音様を本尊とする寺は,約3分の1程度。驚いたことに八十八カ所の中には,天台宗はともかく禅宗寺院までも入っている。
 しかし,宗派の違いは,傍で考えるほど深刻なことではなく,大きな仏教経典の中での眼の置き所の違いに過ぎない。

 恐らく,千手観音をはじめとする様々な観音信仰がひろく民衆に流布した後に,空海が唐から密教を持ち帰る。呪術的要素の強い密教は大衆に熱狂的に受け入れられるが,様々な変化観音は密教の呪術的側面と親近性があり両者がそのまま併存するようになったのではないか。事実,空海の唐からの招頼目録の中には観音菩薩に関するものも沢山含まれている。 

四国遍路

 昨今の遍路ブームで四国遍路に関する入門書や案内書が数多く出回っているが、中でも異色なのが川端龍子「詠んで描いて四国遍路」(小学館文庫)である。
 言うまでもなく川端龍子は大作を手がける画家の重鎮であったが、ここではスケッチブックを小脇に抱え巡礼の旅に出ている。昭和25年の頃のことである。
 この文庫では、川端の描いた1寺1画の計88枚の水彩画が掲載されている。今流行の絵手紙のようなタッチであるが、これを川端は「草書」ならず「草描」と呼ぶ。色彩と構図、はたまた曼珠沙華や紅葉、銀杏等のところどころに添えられた点景が画人の所以を教えてくれる。
 また、表題句は、ホトトギスの同人でもあったという川端の太山寺での発句だが、さすがに遍路でも二足の草鞋は履けないようである。ほのぼのとした作句が一寺3句ほど添えられている。以下はそれらの中の佳作。この文庫をめくりながらの遍路行はひと味違うモノになる。
 
                秋蝶の山門くぐる札所かな
            秋の陽をはねつつ瓦葺かれゆく
        おとなえば牛が応へる札所かな
               麦秋や描き加えたる塔一つ
                           

法華教

 観音信仰は,平安時代にかけてますます盛んとなるが,それは法華教の観世音菩薩普門品第二五を基礎にしている。この観世音菩薩普門品第二五とは,法華経の中に二八の品,言い換えれば二八章があり,観世音菩薩普門はその第二五章の意味である。分かり易く言い換えると,第二五品観世音菩薩普門となる。

 この法華教は仏教典の中心教典として,日蓮宗はもちろんのこと,天台宗や禅宗をはじめその他多くの宗派がよりどころとする教典の一つであるが,不思議なことに真言宗では,この名がでてこない。
 ここでも観音様と空海の結びつきが今ひとつハッキリしない。

最初の山門
ここも境内である。
この急な石段を登りきると山門,国宝本堂にでる。

高群逸杖・娘巡礼記

 四国遍路は,昔から庶民に親しまれていて,小説や紀行文がたくさん出版されている。
 中でも,高群逸枝「娘巡礼記」(岩波文庫)が突出している。
 この娘巡礼記は,高群が実際に巡礼している模様をリアルタイムに,いわばルポ風に当時の大分の地方紙に連載したものをまとめたものであるが,原本の新聞の連載はうら若き女性の手になるルポとして、当時としては画期的な企画であり話題となったようだ。
 岩波の文庫版は長いこと絶版となっていて、いろいろな古本屋をたずねたりして探したがなかなか手に入らなかった。しかし、同じような事を考えていた人が他にも大勢いたのか,平成16年5月に岩波文庫から再刊されるに至った。

熟田津と松山観光港

 熟田津に 船乗りせむと 月待てば
       潮もかないぬ 今は漕ぎ出でな  額田王・万葉集巻1ー8
 これは、新羅遠征に従軍した額田王の詠である。宮廷歌人と呼ぶべき職業が存在したかは不明であるが,まさにその立場に相応しい堂々たる詠である。否,この歌の存在が,多くの学者,研究者にその職業の存在を推定させた,と言うべきか。
 唐,新羅連合軍の百済侵攻,さらには日本襲来か,という大和朝廷初の外敵からの脅威に対処するため,朝廷船団は661年正月に難波を出て瀬戸内をとおり博多に向かう。その途中,道後温泉での天皇の療養をかねて3月まで伊予熟田津で船団を休ませ,態勢を整える。
 熟田津がどこかはハッキリしないが現在の松山市の堀江,和気付近であろうと言われている。
 太山寺は,山の中腹あたりにあるがその山を一つ越えるとすぐ松山観光港に出る。

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