国宝建造物編117| 山号・寺号 | 大宝寺 |
| 所在 | 松山市南江戸 |
| 起点駅・目安時間 | 松山駅・20分(タクシー10分) |
| 経路 | バス停大宝寺下車(一時間に数本) |
| 国宝建造物 | 1 本堂 |
| 国宝彫刻等 | なし |
| その他の国宝 | なし |
| お薦め度 | ★★ |
大宝寺は大宝年間(701年〜704年)に開基された松山市西方大峰ヶ台の南斜面にひっそりと佇む古刹だ。
川沿いのバス通りから発展途上の町並みを山に向かって5分ほど歩くと,まず粗末な山門が現れる。落ち葉も積もっていて足を滑らせそうになる石段は急で長く、荒れ寺の風情であり,期待は高まる。
気を付けながらゆっくり登って行くと石段の最上部に中門がありその中に本堂らしき屋根の一部が見え始める。
やがてなにやら曰くありげな桜の樹が目に付くが,それよりもその横に白壁の本堂が置かれている。こちらの見学が先だ。
風雪に耐えた木目の深い正面三間の蔀戸が前部を覆い,くすんだ木部と対照的な壁の白さが気持ちよい。こじんまりとしているが見栄えのする御堂である。
威厳に満ちた堂はさすがに伊予国最古の木造建築物と言われているだけのことはある。三×四間四方の構えはその上に本瓦葺の屋根を軽々と載せている。
| 国宝本堂正面。手前右側が「うば桜」である。 | |
| 裏山に登り御堂を見る。遠くは,松山市街。 | |
御堂の全部を見ようと,寺の裏手に回る。大峰ヶ台の山肌に沿ってお墓が中腹あたりまで続いている。墓群の最上部まで登って振り返ると、眼下に御堂の甍が銀の鈍い光を放っている。穏やかな斜面はそこからゆっくり松山市内の家並みに向かって降りてゆき,そのずうっと先の小高い山には蒼空の中に浮かぶ松山城の雄姿までも見ることができる。
境内の中央にある曰くありげな桜の木は「うば桜」と呼ばれている。
姫の病気平癒を自分の命と引きかえに乳母が,この大宝寺の薬師に祈った。姫は元気になったが,やがて乳母は死ぬ。以後,乳母の命日になるとこの桜が咲くようになる。
松山と聞いて思い出されるのは,やはり「道後温泉」と「坊ちゃん」である。しかし、最近では,それだけでは足りない。正岡子規の名を思い出さない訳にはいかないのである。
正岡子規はこの地で,俳句と短歌を詠んだ俳人であり歌人でもある。そこで、近年松山市は,俳句の町として名乗りをあげ、様々な俳句に関するイベントを実施したり、句碑をいたるところに建てたり、と今ではその努力が実り、道後温泉、坊ちゃんと並んで松山市の観光の目玉の一つとなっている。
この俳句の町松山は奇しくも行乞(ぎょうこつ)の俳人山頭火がその長き旅を終えた地でもある。この山頭火については近年研究が進み伝記的な書物は沢山あるが,自伝はない。
その中では「山頭火随筆集」(講談社文芸文庫)が本人の心情を垣間見ることのできる作品となっている。
一見気ままな旅の情景の中に,物乞いの苦渋も、血を吐くような句作の労苦も伝わってくる。山頭火の生活ぶりや行乞の何たるかを知ることのできる好個の書である。
松山駅から道後温泉,石手寺に向かう途中に護国神社がある。この護国神社の横に山頭火の終の棲家となった「一草庵」がある。
建物維持のためかか、かなり手が入っているし、直ぐ横まで民家が接近していることから,山頭火の草庵とのイメージからはほど遠いが、それでも直ぐ近くまで山がきていて当時の雰囲気も多少残されているのではないかと思われる。
数十年におよぶ放浪の旅を終わらせ,静かな,しかし短い余生をこの地で過ごすことになる。
去りがたく記念に手にとる落ち葉かな (秋雨)
| 「春風の鉢の子一つ」の句碑が建つ | |
| 奥が玄関となっている。玄関脇にはノートが添えられていて山頭火ファンが全国から訪れていることがわかる。 | |
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