山号・寺号 | 聖寿山崇福寺(すうふくじ/そうふくじ) |
所在 | 長崎市鍛冶屋町 |
起点駅・目安時間 | 長崎駅・20分 |
経路 | 市電正覚寺行き終点下車徒歩5分 |
国宝建造物 | 2 大雄宝殿・第一峰門 |
国宝彫刻等 | なし |
その他の国宝 | なし |
お薦め度 | ★★★ |
国宝第一峰門 背後に回り見上げたところ
中国風な彩色が施されている
長崎市内の主な交通機関と言ったら,やはり市電だ。一回100円で乗換もできる。おまけに次から次に来るのでストレスがない。仕組みを理解するとタクシーなんか乗っていられない。
こんなに低料金で便利な交通システムが残っているのは,全国でもここ長崎くらいだろう。
その長崎軌道電車の終点の一つ正覚寺下で降りる。案内に従って歩けば崇福寺へはすぐに到着する。住宅街の一角に,さすが長崎,やや奇異な感じのする中国風の入り口がある。
この崇福寺は,建築資材を船で中国福州から運び,中国明末清初時代(明の末,清の初めの頃)の建築様式を用いて,建築された黄檗寺院である。
日本建築には無い意匠を今に伝える異国情緒溢れる遺構となっている。
裏山に登ると,この大雄宝殿の甍越しに,いかにも長崎らしい風景が見渡せる。
柱,天井裏等に球線が多用されている
組み物も美しい
屋根の上には愛らしいシャチが載せられている
長崎には,この崇福寺と同様に中国情緒を伝える寺は数多くある。そんな中の一つに興福寺がある。その開祖逸然は,明から亡命し,長崎の地で絵画の技法を紹介し長崎派と呼ばれる画風を作り上げた僧であるが,隠元を呼び寄せた僧としても有名である。
その隠元は四代家綱の信任を得て宇治に寺領を下賜され万福寺を建立し,黄檗宗を開く。
黄檗宗は,禅宗の一派ではあるが,信者はあまり増えなかった。しかし,隠元が,伝えた「普茶料理,隠元豆,隠元豆腐」等は,世に広まった。
現在,日本仏教は,13宗56派に分類整理されることがある。
それを成立順に並べると,南都6宗の生き残り法相宗,律宗,華厳宗をはじめとして,平安時代の密教系仏教,すなわち天台宗と真言宗,平安末期からは浄土教系の宗派,すなわち良忍の融通念仏宗に始まり,鎌倉時代に入り浄土宗,浄土真宗,時宗と相次いで開かれる。
さらに臨済宗,曹洞宗の禅宗二宗と日蓮宗もその後を追うように開かれる。
最後に,江戸時代のはじめに臨済宗の流れをくむ,この黄檗宗が禅宗の一つとして開かれ,13宗となる。
現在の信徒数は浄土真宗が圧倒的に多いのであるが,国宝建造物を有する寺院を宗派別にみると,なぜか信者数の少ない部類の臨済宗が一番だ。
やはり,応仁の乱により,かつて隆盛を誇った宗派の建物が壊滅状態になったこと,その後,京都復興時期に臨済宗が幕府に重用されるに至ったこと等,が大きく影響しているのだろう。
宋,明からもたらされた文明と臨済宗風な禅の思想が武家社会の崇敬と幕府の帰依を集め,幕府の庇護のもと臨済宗の多くの寺院が隆盛を極めることになる。
海有り,坂有りの港町長崎の雰囲気を伝える作品は多いが,中でも,なかにし礼の直木賞受賞作「長崎ぶらぶら節」が,明治から大正にかけての長崎やその近郊の農村風景とそこに暮らす人々の心情を穏やかに描いている。
うらぶれた漁村や離島にあって隠れキリシタンとして素朴に信仰に打ち込む漁民や農民。彼らの素朴で純真な生き方が,長崎弁を駆使してよく描写された秀作である。
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