国宝仏編№4

| 名称 | 高徳院 |
| 所在地 | 神奈川県鎌倉市長谷 |
| 最寄駅・目安時間 | 東京駅から1時間15分 |
| 経路 | 東京駅から東海道本線大船駅乗換・横須賀線鎌倉駅乗換・江ノ電長谷下車・徒歩10分 |
| 国宝仏 | 阿弥陀如来座像 1軀 |
| 国宝建造物 | なし |
| その他の国宝 | なし |
| 秘仏・公開 | 一般公開 |
| 仏像名 | 安置場所 | 備考 |
| 阿弥陀如来座像 | 高徳院境内 | 屋外 |
高徳院については,確かな記録があまりありません。鎌倉期に作られた大仏は,当初,清浄泉寺が管理していましたが,廃寺となったので,その子院であった高徳院が管理するようになりました。しかし,その後も建長寺が管理下に置くなど紆余曲折しましたが,江戸時代に入り浄土宗の祐天上人が高徳院を整備して光明寺の末寺に組み入れます。その際,真言宗から浄土宗に改めた,とされます。
鎌倉幕府の公式記録「吾妻鏡」によれば1241年に大仏殿が完成し,その中には木造の大仏が祀られていた,と記しています。
そして,1252年には金銅の「釈迦如来」を鋳始める,とあろます。10年も経たずに金銅仏が作られ始めたのは,木造仏が台風で倒壊したからです。木像の大仏は24メートルの高さがあったそうです。
晶子は,この大仏を美男の釈迦と詠んでいますが,この大仏様は,阿弥陀様です。阿弥陀あるいは,阿弥陀様では字余り,あるいは字足らずになるからでしょうか,それとも間違えたのでしょうか。
もっとも前述の吾妻鏡も釈迦と記しています。
しかし,釈迦は,通常,禅定印を結び,阿弥陀は,弥陀の定印を結びます。禅定印は,腹の前で手のひらを上にして重ねるだけですが,弥陀の定印は,それに加え親指と人差し指で丸を作ります。
これでは区別が付きにくく,間違えてもやむを得ないかも知れませんが,下の写真を見るかぎり,この大仏様は,ハッキリと弥陀の定印を結んでいます。

像高は11メートル39センチです。青銅を用いて,下から鋳上げる方法により造られました。1メートルから2メートルの段を数段組み合わせていますが,段と段との境目は,各々を噛み合わせるなど「いからくり」と呼ばれる高度な技術を駆使しています。
この青銅製の大仏,原材料は,実は宋代の銭である,と考えられています。宋から輸入した銭を一旦高温で溶かした後,それを鋳型に溶かし込んだ,と思われます。平安末期,日本では新たな銅の鉱脈が発見されることはなく,銅の生産が大変少なくなりました。
その頃,巷では末法思想が広まり,世の中の善くない出来事はすべて末法時代にからめて説明されるようになりました。貴族の間では,恐怖心から逃れるためか写経したお経を「経筒」と呼ばれる銅製の筒に入れて土中に埋めることが流行するようになりました。この銅の成分を調べると中国華南産の銅で作られた銭の成分と一致します。そこで,経筒が銭を鋳つぶし,それを原料として再生されていたことが分かりました。ところが,長谷の大仏の銅の成分もこれと一致するのです。
中国の記録では,日本に夥しい量の銭が送られていたこと,銅自体(インゴット)の国外持ち出しは厳禁されていたこと,等が分かっています。それらの事情から判断すると,鎌倉大仏は宋銭を原料にしていると考えられます。文字通り,庶民からも浄財を募ったことと思われます。

今でこそ,野ざらしですが,かつては立派な本殿に納まっていました。
数度にわたり,本殿は喪失の憂き目をみますが,最後に本殿が無くなったのは津波が原因です。意外な気もしますが,湘南海岸ではサーファーが波と戯れている光景がよく見られますので,ありうる話と思われます。地震や台風ともなれば,地形的に大きな波が集まりやすいのかも知れません。
なお,大仏の内部にも入ることができます。
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