国宝仏編№5
| 山号・寺号 | 長等山園城寺(三井寺・御井寺) |
| 所在地 | 滋賀県大津市園城寺町 |
| 最寄駅・目安時間 | 京都駅から30分 |
| 経路 | 東海道本線大津駅下車・バス・徒歩10分 |
| 国宝仏 | 智証大師座像(中尊大師像)等 3件3軀 |
| 国宝建造物 | 4(国宝建造物編№24) |
| その他の国宝 | 3 絵画(黄不動)・書跡等 |
| 秘仏・公開 | 非公開 但し,中尊大師像のみ10月29日に開扉 |
| 仏像名 | 安置場所 | 備考 |
| 智証大師座像(中尊大師) | 唐院大師堂 | |
| 智証大師座像(御骨大師) | ||
| 新羅明神座像 | 新羅善神堂 | 平安時代後期の製作 |
ここ三井寺は,天台宗寺門派の総本山です。天台5代座主円珍が再興,整備しましたが,比叡山延暦寺の山門に対し,寺門と称し幾度となく抗争を繰り返しました。
また,興福寺と同様に僧兵を養い,武門と争った日本でも有数の大権力寺院でした。ここには国宝仏3軀が祀られています。

NHK教育テレビ・新日曜美術館より
唐院大師堂(御廟)は金堂の左手三重塔の横にあります。そこには,智証大師円珍を偲んで造立された二つの像が祀られています。中尊大師像と御骨大師像です。
中尊大師像は,当初,比叡山に置かれていましたが,寺門派と山門派の対立の際,山から降ろされ三井寺に安置されることになりました。須弥檀中央の厨子に納められていることから,中尊大師像と呼ばれています。
中尊大師像は,檜の一木から頭部を彫りだし,両側部,両膝部を矧ぎ合わせています。像高は85センチほどです。頭は異様なほど尖っていますが,それは円珍の伝記に頭部は杯を逆さまにしたようであった,との記述があることからきているものと思われます。なお,このような頭の形を霊骸(れいがい)と呼びます。
秘仏ですが,10月29日の御祥忌法要に開扉されます。
もう一つの大師像,御骨大師像も木造です。像高もほぼ同様87センチです。御骨大師の名は,円珍の遺言により遺骨を像の内側に納めることになったため,このように呼ばれています。
須弥檀中央の中尊大師像の右側に祀られています。しかし,秘仏であり,公開されていません。


円珍を護った神,新羅明神の座像が国宝新羅善神堂に祀られています。新羅善神堂は園城寺からは少し離れていて大変分かりにくいところに建っています。消防署の裏の方です。弘文天皇陵の近くです。人気のないところに,国宝建造物と国宝彫刻があります。無論,セキュリティ-は万全と思われますが,これまで見てきた国宝彫刻の中では一層の警備が求められると思います。
その新羅善神堂に新羅明神座像は主神として祀られています。新羅明神は新羅の国神です。像は顔面が白色で彩られていて,異様です。目は黒い点で描かれ,口の回りにも深いシワが描かれていて,その点でも異形です。全体として異風ですが,神像彫刻中極めて評価の高いものの一つです。
なお,平成20年には大阪市立美術館の国宝三井寺展にてこの3仏が一挙に公開されました。

いずれも平成20年11月放送NHK教育テレビ・新日曜美術館より接 写。中央に全画面の残像が映っている。
ここ新羅善神堂で思い出されるのは,やはり甲斐武田氏の始祖新羅(しんら)三郎義光です。
義光はここ新羅明神社で元服したことから,新羅と名乗るようになったのですが,どうして朝鮮半島の国名を名乗るようになったのかについては,様々な憶測が囁かれています。
その中の一つに源氏の祖先が新羅系製鉄民族であったとする立場もあります。
かつて新羅には弥勒信仰を中心に結集した「花郎」と呼ばれる集団がありました。 花郎は,新羅王朝の青年貴族もしくはそれに類する王朝護衛集団,しかも美しい青年達の集団ですが,源氏のルーツがこの「花郎」である,とする人もいます。
確かに源氏と言えば「南無八幡大菩薩」,石清水八幡宮で元服した八幡太郎義家,そして八幡社と言えば,その総社は宇佐神宮であり,そこには製鉄技術にまつわる神話も残されています。また,境内には弥勒寺も存在します。関連はかなり密接であり,無視できません。
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