国宝仏編№12
| 名称 | 蜂岡山広隆寺 |
| 所在地 | 京都市右京区太秦蜂岡町 |
| 最寄駅・目安時間 | 京都駅から30分 |
| 経路 | 京都駅からバスまたは山陰本線太秦駅から徒歩 |
| 国宝仏 | 弥勒菩薩半跏像等 6件17軀 |
| 国宝建造物 | 1(国宝建造物編№52) |
| その他の国宝 | 2 書跡(広隆寺縁起資材帳・広隆寺資材交替実録帳) |
| 秘仏・公開 | 公開 |
| 仏像名 | 安置場所 | 備考 |
| 弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒) | 霊宝殿 | 1軀 |
| 弥勒菩薩半跏像(泣き弥勒) | 1軀 | |
| 不空羂索観音立像 | 1軀 | |
| 千手観音立像 | 1軀 | |
| 十二神将立像 | 12軀・伝長勢作 | |
| 阿弥陀如来座像 | 講堂 | 1軀 |
聖徳太子と渡来人秦河勝ゆかりの寺です。

ここ,広隆寺霊宝殿には,沢山の国宝,重文が陳列されています。
不空羂索観音立像,十二神将立像等の他に二つの弥勒菩薩像があります。
霊宝殿に入って直ぐに十二神将立像が佇立しています。増長天と月光菩薩の間に6軀。日光菩薩と広目天の間に6軀並んでいます。
平均身長120センチほどの小柄な像ですが,表情はとても厳しく薬師如来及びその信者を護る役目をキッチリと果たしている精悍な顔つきです。十二神将の作例としては,新薬師寺のそれに次ぐ古いものです。
檜の一材から木取りし,内刳りも施されています。平安後期の作品であることは,腰の自然なひねり方などポーズが全体としてしなやかであり,嫌みがないこと等にあらわれています。技術的には,かなり洗練されています。
「広隆寺来由記」は仏工長成法橋作としています。定朝の弟子長勢のことと思われます。
ここ広隆寺には二つの弥勒菩薩があります。宝冠弥勒と泣き弥勒です。霊宝殿の正面中央に2軀並んでいます。
国宝第1号指定の弥勒菩薩半跏思惟像はその宝冠が大きく特徴の一つであることから「宝冠弥勒」と呼ばれています。
寺伝は新羅から聖徳太子に送られたとし,それを裏付けるように材は日本では用いられることのないアカマツ材製です。また,韓国にはこれに酷似する弥勒菩薩半跏思惟像が沢山みられることから,半島伝来の仏と考えられています。
由来はともかく、思惟するその姿は観る者を魅了します。また、華奢な体つきはその指先まで繊細です。
その前に立って姿を見ると、微笑んでいるのか悲しんでいるのか、何を瞑想しているのか、しばらくその場から足を離すことができません。
この弥勒が,思索の末,諦め,そして微笑んでいる,としたらすこぶる仏教的な表情であると言えると思います。
そのように考えられるとしたら,仏教と芸術が融合したことになりますが,当時の造仏界がそこまでの水準に達していたとは思われません。
やはり,渡来仏とするのが妥当でしょう。
広隆寺の当初の本像です。
日本書記には,太子没年の翌年新羅から、太子供養のために仏像が送られた,との記述があり,これが「泣き弥勒」である,とする立場があります。
しかし,衣文の流れや工夫のない指の彫り具合が飛鳥彫刻の特徴をよく示すことから,飛鳥時代末期の造像と考えられ,日本書紀の記述とは年代的に付合しないことから,やはりその仏像は上記の「宝冠弥勒」ではないかと思われます。
樟材を用いた一木造りのこの像は,天衣や裳裾に革(獣皮)が用いられ,写実的な志向がうかがえます。このような手法は大変珍しく注目すべき点でしょう。
なお,この菩薩は,かつて如意輪観音として祀られていたこともありましたが,その後889年頃作成された国宝「広隆寺資材交代実録帳」には,弥勒と記されていて広隆寺における混乱は終息したようです。
弥勒と如意輪観音はその特徴がよく似ていて,争われるケースは沢山あります。
この2軀の前には,わずかですが畳が敷かれていて,おおくの人が長い時間正座して弥勒達と対話しています。
広隆寺には多くの国宝仏があり,霊宝殿に安置,公開されているが,それらの中でも弥勒菩薩はその優美な挙措が観る人の心を捉えて離さない。かつて京大生が感極まり小指を持ち帰るという珍事まで発生した。
実は,広隆寺には弥勒菩薩は2体有り,それぞれ宝冠弥勒,泣き弥勒と呼ばれているが,有名なのは宝冠弥勒の方で,霊宝殿では宝冠弥勒が中央に置かれ,その横に泣き弥勒と呼ばれる小さめの弥勒菩薩が置かれている。いずれがあやめか,立ち去りがたい優雅な顔立ちである。
この美術の教科書でお馴染みの仏像が,弥勒菩薩であることは,広隆寺の国宝書跡「広隆寺縁起資材帳」などに明記されていて争いがない。
しかし,この広隆寺の弥勒菩薩と極めて類似する奈良中宮寺の仏像は,なぜかしら如意輪観音とされている。
両者を見比べると,ほとんど同じ様に見えるので,どちらかが間違いではないか,多分両方とも弥勒菩薩だろう,と,誰でも思う。
なぜなら,この中宮寺の像は,如意輪観音の代表ともいうべき観心寺(№87)の本尊とは,似ても似つかず,誰が見ても,広隆寺の菩薩にそっくりだからである。
小指を軽く頬に充てるのが,如意輪観音の特徴であるとされたことから始まった争いであったが,最近では,中宮寺の仏は,弥勒菩薩とも如意輪観音とも呼ばず「半跏思惟像」と呼ぶのが一般となっている。
霊宝殿の国宝仏はこれにとどまらず,12神将,不空羂索観音,千手観音と続き国宝ではないが11面観音の優雅な姿も並んでいて見飽きることがない。
案内書によれば,もう一体国宝・阿弥陀如来座像があるはず。しかし,霊宝殿を隈無く見渡すもその姿はない。
実はこの仏だけは,正門正面の講堂に鎮座する。講堂は,料金所の手前にあることから,無料開放されている。そのためか,れっきとした国宝仏であるが,訪れる人は少ない。
講堂には,他の国宝仏と離れて丈六の阿弥陀如来が鎮座しています。
講堂は無論,境内にありますが,料金所の手前に建てられています。そのため無料で鑑賞できます。
この阿弥陀如来は胸の前で説法印(転法輪印)を結んでいて,作例としては余り多くなく,珍しい部類に属します。
この阿弥陀如来は,神護寺,観心寺の像との類似性から,同一工房,あるいは同一人による製作と考えられています。
国宝・広隆寺縁起資材帳の阿弥陀仏に関する記述に「永原御息所願」とあることから,淳和天皇の没した840年頃天皇の女御の発願により製作されたと考えられます。
胸の前で両手の手のひらを向かい合わせる「釈迦の五印」の一つで,釈迦が法を説いている時の手を現したものです。
普通,阿弥陀如来は,上品上生等の9種の定印の一つを結んでいますが,それは浄土宗が盛んとなる平安時代後半以降のことです。それ以前に造られた阿弥陀如来は釈迦如来と同様の印を結んでいました。そのことから,この像も平安初期までには造られたと考えられています。
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