国宝仏編№13

国宝を訪ねて

神護寺

神護寺案内

山号・寺号 高雄山神護寺
所在地 京都市右京区梅ケ畑高雄町
最寄駅・目安時間 新幹線京都駅から1時間10分
経路 京都駅からバス・徒歩25分
国宝建造物 なし
国宝仏 薬師如来立像等 2件6軀
その他の国宝 7 書籍・絵画・工芸品等 (その他の国宝編№38
秘仏・公開 金堂は公開・多宝塔内部は事前申請が必要

神護寺の国宝仏2件

仏像名 安置場所 備考
薬師如来立像 金堂 1軀
五大虚空蔵菩薩座像 多宝塔 5軀

神護寺の歴史

 神護寺は,道鏡の天皇即位を阻止した和気清麻呂一族の氏寺と考えられている高雄山寺とやはり和気氏ゆかりの神願寺とが合併して誕生した寺です。
 吸収された神願寺が何処にあったかはハッキリしませんが,その神願寺が朝廷の管理下にあり一定の保護が受けられる「定額寺」の資格を有していたことから,それを神護寺が受け継ぎ格式の高い寺となりました。
 神護寺は,高雄山の中腹に位置し,付近は,眼下を清滝川が流れる京都屈指の紅葉の名所です。

日本密教の発祥地

 神護寺は、最澄、空海ゆかりの寺でもあります。
 最澄は,和気一族の帰依を受けここで天台宗をはじめますが,その後入唐し,帰朝後もこの地に戻り,伝法灌頂をして,天台の基礎を築きます。
 空海もまたこの寺で灌頂を行っています。
 灌頂とは,法を授けることで一人前の僧として処遇するという儀式です。
 なお,神護寺所蔵の国宝書跡「灌頂歴名」は空海の直筆ですが,そこには,空海が灌頂を行った者の名が列記されていますが,最澄の名が最初にあがっています。

金堂

 バス停を降りてから,一旦下り,また登る。石段の多さには閉口しますが,新緑,紅葉の季節は得も言われぬ美しさです。そんな風景を楽しみながら30分近く歩くとさして広くはない神護寺の境内に到着します。

薬師如来立像

 金堂には、本尊薬師如来が祀られています。神護寺の前身,神願寺の本尊であったと考えられています。
 像高は約170センチとさして高くありませんが、両手、両足の太さ、丈夫さにまず眼がいきます。全体に力感溢れるプロポーションで、圧倒的な迫力です。観る者を威圧する厳しいまなざしが遠くを見据えていて、実にパワフルです。民主党の小沢一郎のような目をしています。元気をもらえそうな如来です。
 肉髻は高く盛り上がり,一つ一つの螺髪も大粒です。
 両手先のみが別材のれっきとした一木造りです。

怨霊封じ

 この如来は、神願寺の本尊として平安時代初めに造られたと推定されていますが,すでに述べたとおり神願寺は定額寺であったことから、国に対してその有する財産を報告することになっていました。平安初期に記された報告書である弘仁資材帳には,この薬師如来のことが記載されています。
 その記載内容から,この像は長岡京造営の頃に造られたと考えられていますが,当時は,薬師如来は病気や病気の原因と考えられる怨霊封じに霊験があると信じられていました。密教教典の「七仏薬師経」にはその名号を聞くことにより呪詛から逃れられると記されているからです。
 和気清麻呂が呪術にすぐれた道鏡を追いつめたのは770年頃,道鏡の没年は772年ですから,道鏡の怨霊封じのためにこの薬師如来が造立されたとも考えられるのではないでしょうか。

多宝塔

五大虚空蔵菩薩座像

 836年に仁明天皇がこの寺に宝塔院の建立を発願します。その本尊として造られた五仏は,現在は,金堂のななめ後方に位置する多宝塔内に納められています。
 
 多宝塔には五智如来(金剛界五仏)の変化身である五大虚空蔵菩薩座像5軀が安置されています。
 5軀はいずれも像高1メートル前後であり持物を除けばほとんど同型ですが,五像にはそれぞれ鮮やかな色彩が施されています。
 中尊の法界虚空蔵が白色
 東方尊金剛虚空蔵は黄色
 南方尊宝光虚空蔵は青色
 西方尊蓮華虚空蔵は赤色
 北方尊業用虚空蔵は黒色に,それぞれ塗り分けられ横一列に並んでいます。

 一材から彫り出し表面には木屎漆を盛り上げ仕上げています。5軀の中でひときは目を引くのはやはり中尊です。官能的な眼差しと頬の丸み,肩から腕そして肘にかけての量感は,大阪観心寺の如意輪観音に酷似します。
 二つの寺がともに空海ゆかりの密教寺院であること,寺や院の建立時期が近いこと,それぞれの寺の建立責任者が空海の弟子であり一門であること等から仏像の製作についても同一工房が関与した可能性は非常に高いと思われます。 

荒僧・文覚

 神護寺は,最澄,空海を擁して,真言密教の寺として一時期隆盛を誇りますが,二人がそれぞれ比叡山,高野山に去ると徐々に衰退していきます。
 それを,建て直したのが,いろいろな場面で何かとお騒がせして度々名前のでる文覚(もんがく)と言われています。
 この文覚,高山寺の明恵上人の師ということになっていますが,出家する前は,人妻である袈裟御前に懸想し殺人罪まで犯して追放されたりしています。僧になってからも後白河法皇に狼藉を働き伊豆に配流されたり,また,その配流先では,これまた配流中の源頼朝に平家討伐の挙兵を勧めるなど,とかく噂の絶えない,そして立居振る舞いがすこぶる悪い僧侶です。
 その頃,神護寺を頻繁に訪れていた「西行」に対しても,「なよなよして気に入らない。今度来たら殴り倒してくれる」等と言って弟子達をやきもきさせていた,という話も残っています。 

文覚の業績

 歳をとっても素行がおさまらず,生涯で3,4度配流となり,最後は配流先で一生を終えています。
 しかし,頼朝は平氏を打倒,武家政権を確立しします。この武士による政治という体制は日本史の大転換点であったことからすると,文覚は,それに先鞭をつけた偉大な僧ということになりますが,どうでしょうか。
 なお,後白河法皇に狼藉を働き,配流,そして頼朝に対する平氏打倒のそそのかし等,文覚の一連の言動は,後白河法皇の描いた筋書きであった,との指摘も有力ですが,いずれにしても小説の主人公にすると面白そうな人物ですが,いまのところ文覚を主人公としたこれといった作品はないようです。
 芥川に小品がある程度です。

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