国宝仏編№27
| 山号・寺号 | 唐招提寺 |
| 所在地 | 奈良市五条町 |
| 最寄駅・目安時間 | 新幹線京都駅から1時間 |
| 経路 | 近鉄橿原線西ノ京駅から徒歩10分 |
| 国宝仏 | 鑑真和尚座像等 6件10軀 |
| 国宝建造物 | 5(国宝建造物編№73) |
| その他の国宝 | 1 工芸品 |
| 秘仏・公開 | 公開・鑑真坐像は6月5,6,7日公開 |
| 仏像名 | 安置場所 | 備考 |
| 鑑真和上座像 | 御影堂 | 1軀 |
| 盧舎那仏坐像 | 金堂 | 1軀 |
| 千手観音立像 | 1軀 | |
| 梵天・帝釈天立像 | 2軀 | |
| 四天王立像 | 4軀 | |
| 薬師如来立像 | 1軀 |
言うまでもなく,唐の高僧鑑真が開いた寺です。
鑑真は聖武天皇の意を受けた遣唐使の要請により幾多の苦難の後,来日を果たします。
早々に東大寺に日本初の正式な戒壇を設立し,聖武天皇らを受戒します。その鑑真が晩年,弟子に囲まれ生涯を過ごした寺です。
気品あふれる天平時代を代表する肖像彫刻です。
数度の渡航の失敗にもめげず,日本に確かな仏教を広めようと命を賭して日本へ。
しかし,中国きっての高僧も,来朝当初はともかく,晩年は,東大寺開基の高僧良弁ら日本仏教界からのお定まりのねたみ,そねみ恨みに遭い不遇であったと伝えられています。来日当初は,鑑真を見る彼らの目には畏敬の念が溢れていたことでしょう。しかし,しばらくしてその熱も冷めると,そんな意識も薄れ,鑑真はただ自分たちの存在を脅かすだけの者,と考え始めるようになります。
鑑真の座ます御影堂は,唐招提寺の最奥,講堂の裏手あたりにあります。御影堂は毎年6月5,6,7日頃の開山忌に開扉されます。まさに,若葉の溢れる季節です。
表題句には,笈の小文に「招提寺鑑真和尚来朝の時,船中7七十余度の難をしのぎたまい御目のうち塩風吹入て,終に御目盲させ給ふ尊像を拝して」との添え書きがあります。
金堂は現在改修中です。
あの天平の甍もそして日溜まりの中温もりを溜めるエンタシスの柱も,今は跡形もありません。
解体前に鎮座していた国宝諸尊は全部で9軀,薬師如来像を除き今のところ観覧はできません。時折,特別展で拝見できるだけです。2009年秋には金堂も完成し,一般公開される予定です。
800を超える化仏をつけた光背を背に負う,金堂の本尊です。盧舎那仏が本尊となっているのは,ここ唐招提寺の他に東大寺があります。大変珍しい例です。
3メートルを超える脱活乾漆造りの丈六坐像であり,天平時代後半を代表する傑作です。また,梵網経の世界さながらに台座としている蓮華座の蓮弁一枚一枚にそれぞれ釈迦が描かれています。
堂々たる体躯と切れ長の目はすこぶる大陸的で鑑真が伴った弟子義静たの手になる可能性が高いと考えられます。
薬師如来立像は,像高336センチの木心乾漆造です。
かつてこの像を修繕したとき左手の乾漆層中から平安時代の銅銭「隆平永宝」が発見され,その銅銭の鋳造されたのが796年頃であることからその頃の作品と考えられています。
金堂修復中,薬師如来立像は奈良国立博物館に特別出陳されています。
千手観音立像は薬師如来像よりもさらに2メートルも高い巨躯です。この像の製作年代は不明ですが,金堂建立当時から,金堂内の諸仏が揃っていた訳ではなく,徐々に整備されていったものと考えられていることから,この像も金堂建立後,しばらくして製作されたと考えられています。
この像は,葛井寺の千手観音とともに手が実際に千本ある珍しい像です。
やはり眉間にある第三の目でしょうか。観音様で三目はあまり例がありません。
それとやはり,千本の手でしょう。まるで波に揺れるイソギンチャクの触手の様です。
金堂中尊の左右に置かれています。向かって右が梵天,左が帝釈天です。
木造彩色仕上げとなっています。
面相は,本尊の盧舎那仏坐像によく似ています。唐風を強く醸し出すの天平時代の優作と考えられます。
須弥檀の4隅を護る木造彩色仕上げの像です。動きは非常に少なく衣文もとても簡素です。奈良時代の天部像の典型といえます。像高は4軀とも185センチ前後です。
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