国宝仏編№34

国宝を訪ねて

中宮寺



  

中宮寺案内

山号・寺号 法興山中宮寺(法興尼寺)
所在地 生駒郡斑鳩町法隆寺北
起点駅・目安時間 新幹線京都駅から1時間30分
経路 JR・法隆寺駅徒歩20分
国宝建造物   なし
国宝仏 菩薩半跏像 1件1軀
その他の国宝 1 工芸品(天寿国繍帳残闕)
秘仏・公開 公開

中宮寺の国宝仏1件

仏像名 安置場所 備考
菩薩半跏像 本堂 1軀

中宮寺の歴史

 中宮寺は,法隆寺夢殿のすぐ隣にあります。聖徳太子が母后穴穂部間人皇女(あなほべのはしひと)のために建てた寺です。
 なお,現在の新本堂は吉田五十八の設計により昭和42年に再建されました。 

菩薩半跏像

 菩薩半跏像は,楠材により造られていて,全面に黒漆塗りがほどこされています。しかし,かつては彩色が施されていて,衣には緑青と朱色と金箔を細く切って線として利用する,いわゆる金切線が残っています。
 また,その顔は均整がとれていて胸から腹にかけても自然な曲面が造出され,人間の描写に近づいています。
 同時期に制作された法隆寺金堂の釈迦三尊像が平面的で全体的に固さが感ぜられるのとは大分異なり,立体的で肉身の雰囲気が出ています。
 
 小柄な細身の女性とほぼ等身大のこの像は,頭に二つのぼんぼりを載せて可愛らしく飛鳥・白鳳彫刻の爛熟期の傑作と呼ぶに相応しいものとなっています。

半跏趺座と結跏趺座

 胡座をかいて座った姿勢から,さらに右足首を左足の膝の上にかけた状態を,半跏趺座と呼びます。これに対し結跏趺座とは,その状態からさらに左足首を右足の膝の上に載せた姿勢を言います。
 座禅を組む際には,この結跏趺座が望ましいのですが,体の固い人は,半跏趺座でも良いことになっています。

飛鳥時代彫刻と白鳳時代彫刻

 この二つの時代は,おおよそ天智天皇の即位あたりで区分することができます。より古い飛鳥彫刻の特徴は,古拙の笑みと左右対称形からもたらされる神秘的な雰囲気にあります。
 一方,白鳳彫刻のそれは,古拙の笑みも消え,また左右対称もくずれて,神秘的な表情から童顔童形へと変化していく課程に求めることができます。

半跏思惟像と弥勒菩薩

 台座の上に座り右足を左足の膝の上にかけ,左足を踏み下げる,左手は右足首にそえて,右手の指先が軽く右頬に触れる,このような形の像を半跏思惟像と言います。中国では,半跏思惟のポーズをとる像のほとんどは,弥勒菩薩です。
 また,朝鮮三国時代の新羅では弥勒信仰が盛んでしたが,そこでもその信仰に合わせて多くの半跏思惟像が造られました。
 さらに,大阪羽曳野の野中寺には金銅製の半跏思惟像があり,それには「弥勒御像」との銘があります。京都広隆寺(国宝仏編№12)の宝冠弥勒も国宝「広隆寺資材交替実録帳」によれば「弥勒菩薩」と記されています。

弥勒菩薩と菩薩半跏像

 このようにみてくると,この中宮寺半跏思惟像も,広隆寺の宝冠弥勒等に類似していることから弥勒菩薩として造られたものと考えるのが適当と思われます。
 しかし,中宮寺では,長い間,この像を如意輪観音として伝えてきました。如意輪観音と言えば大阪観心寺のそれが代表的な像ですが,あまり似ているとは思えません。どうしてこの様なことになったのでしょうか? 
 推測の域をでませんが,当初,弥勒菩薩として造られたものが,奈良時代以降に盛んとなった如意輪観音への信仰に応えるため急遽,如意輪観音とされたものと考えられます。その背景には,両者の儀軌が非常に似通っていた,との事情があったと思われます。
 現在では,学術上,弥勒の明示を避け「菩薩半跏像」と呼ぶのが一般です。
 なお,全く同様の論争が京都願徳寺(国宝仏編№19)にもあります。

弥勒信仰

 弥勒信仰とは,今も兜率天で瞑想に耽り修行している弥勒菩薩を祀るものですが,その詳細は次のようなものです。
 弥勒は未来に釈迦の後をついで仏となることが約束された菩薩ですが,釈迦の説法を聞く機会の無かった衆生が,死後,一旦兜率天にのぼり,56億7千万年後に如来となった弥勒とともに地上に戻り,竜華樹の下で弥勒の説法にあずかることを願うものです。

もう一つの国宝・天寿国繍帳残闕

 中宮寺には,もう一つ国宝があります。天寿国繍帳残闕です。
 これは,聖徳太子の死を悼んだ妃橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が,太子の住む天寿国を偲んで作らせたものですが、少しずつ劣化が進み何度か補修がなされています。本物は非公開ですが、中宮寺では,その複製を観ることができます。畳半畳ほどの大きさの中に,美しい浄土の世界が描かれています。

この国宝のここを観る

 この刺繍には,沢山の亀が描かれています。しかもその亀の甲羅には4つずつ文字が縫い出されていました。そのことに気づいた当時でもすでに、その一部は欠けていて完読はでき無かったようですが、判読された結果が,太子の伝記である「上宮聖徳法皇定説」に載せられています。そこにはすでに述べたようなこの刺繍が作られた経緯が書かれていたようです。
 なお,この上宮聖徳法皇定説については,その内容を廻って果たして史料的価値があるのか争われています。

← 前の国宝仏 次の国宝仏 →

国宝仏編4ゾーン 東日本ゾーン 京都ゾーン 奈良ゾーン 西日本ゾーン
様々な仏達 仏の特徴・見分け方 仏師とその時代 仏像の造られ方 秘仏巡礼

国宝を訪ねてTop 国宝建造物編Home 国宝仏編Home その他の国宝編Home 国宝情報Home

copyright. 2002. kokuhoworld .all rights reserved