国宝仏編№37

国宝を訪ねて

岡寺(龍蓋寺)

 秋のひは 義淵が深き まなぶたに
   さしかたむけり 人のたえまを

會津 八一(南京続唱)

岡寺(龍蓋寺)案内

山号・寺号 東光山岡寺(龍蓋寺)
所在地 奈良県高市郡明日香村
起点駅・目安時間 新幹線京都駅から1時間30分
経路 近鉄京都線・橿原線橿原神宮前駅からバス
国宝建造物   なし
国宝仏 義淵僧正坐像 1件1軀
その他の国宝 なし
秘仏・公開 奈良国立博物館常設展示

岡寺(龍蓋寺)の国宝仏1件

仏像名 安置場所 備考
義淵僧正坐像 奈良国立博物館 1軀

岡寺・龍蓋寺の歴史

 岡寺の開祖義淵は,子供の頃、天智天皇により引き取られ,天智天皇の子草壁皇子とともに飛鳥の岡宮で育てられました。岡寺は,奈良時代に入り成人した義淵がその岡宮に開いた寺です。西国33カ所の7番目札所でもあるこの寺には巡礼者が沢山訪れるます。
 この寺の本尊は4メートルを超える我が国最大の塑造如意輪観音ですが,国宝仏は、この本尊ではなく義淵僧正坐像です。

義淵僧正坐像

 義淵僧正坐像は岡寺の開基、始祖である義淵の肖像と伝えられる木心乾漆造の像です。木心乾漆造とは,木彫の像に木屎漆を盛りつけ,しわ,衣紋等の微妙な起伏を表現する技法のことです。
 義淵は法相宗の高僧でその弟子には,行基,良弁,道鏡などがいます。
 
 像は,袈裟をかけてゆったりと座っていますが,表情は随所に皺をつくる厳しいものとなっています。すこぶる精悍な顔つきをしていますが,肋骨を露わにして老僧の雰囲気もかもしだしています。
 膝の上に置いた二つの手の所作は,法隆寺行信僧都坐像と極めて似ています。手には,如意棒があったと思われますが,今は失われています。
 なお、この像は,現在,奈良国立博物館に寄託され常設展示されています。

飛鳥路

 近くには,大和三山を背景に,飛鳥三大寺の一つ川原寺,聖徳太子誕生の地ともされる橘寺等,飛鳥時代にゆかりの寺が沢山佇んでいます。飛鳥時代の遺跡が至るところに残るこの地は,シーズンともなれば古代史の息づく近在の村を巡るファンで溢れています。

飛鳥寺

 そんな寺の一つに飛鳥寺があります。様々な調査でかつては多くの院や塔頭の集合した巨大な寺院であったことが分かっていますが、現在は、そのうちの一つ安居院が残っているだけです。
 この寺の寺宝はなんと言っても飛鳥大仏です。止利仏の差靴伝えられる古色豊かな表情の仏像です。 

謎の巨石群

 また、この岡寺周辺には、石舞台をはじめとして酒船石、亀石等の巨石が点在しています。少し足を伸ばすと益田岩船、鬼の俎、鬼の雪隠塔もあります。また、猿石、二面石といった風変わりな石の加工物もあります。
 石舞台は、蘇我馬子の墓と考えられ、ほぼ定説化されていますが、酒船石や亀石等については、その用途につき現在も論争があります。 

火の路 松本清張

 この酒船石を中心に飛鳥の巨石遺蹟の源流を遠くイランに求める小説に松本清張「火の路 上・下」(文春文庫)があります。
 主人公通子は、飛鳥地方に点在する謎の巨石を研究するT大学考古学研究室の助手です。通子は、日本書紀の記述と明日香村に点在する謎の巨石を結びつけ、皇極(斉明)天皇が醸し出す巫女的雰囲気を仏教以外の異宗教に求め、道教思想、ゾロアスター教と遡り、灼熱の砂漠が広がるイランに旅します。
 この物語は、通子が酒船石を訪れることから始まります。文中には、岡寺周辺の巨石遺蹟、石造遺物等が沢山出てきます。 







狂心の渠(たぶれごころのみぞ)

 なお、「火の路」中に皇極天皇が大がかりな工事を好み、民衆を犠牲にして様々な無駄とも言える工事をしたとの日本書紀の記事を紹介しています。書紀には、皇極天皇が新宮造営のための石の運搬施設として、香具山から「石上山」まで大運河を建設し船を並べて石を運び石垣等を作った、との記述があり、その運河を「狂心の渠」と呼んで非難しています。、
 しかし、書紀のこの記述は、中国の古書を地名を変えて引用して、編纂者が皇極天皇を変わり者扱いしようとし捏造したものとの見解も唱えられていました。その傍証として、そのような運河跡や石塁が現在でも発見されていない点があげられています。確かに、書紀編纂の時代背景を考えると、政治の主導権は天智系から天武系に移っていて、そのような可能性は充分にあり、火の路の展開もそのような見解を基礎にしています。 

亀形石造物の発見

 ところがです。
 21世紀に入り、明日香村が道路建設のため岡寺近くの丘陵地帯を切り開いたところ、石塁とともに石畳、風変わりな石の工作物等が出てきたのです。亀の形をした水利施設はそのまま亀形石造物遺構と呼ばれ公開されています。酒船石のすぐ近くです。
 しかも、その石は、この付近から産出されたものではなく、天理市付近の山から切り出した石であることも判明しました。
 その結果、書紀の「石上山」が、天理市の石上神社付近の山であったとすると、書紀の記載は、捏造でもなんでもなく、皇極朝において、事実そのような大土木工事がなされていたことになります。
 今後は、「狂心の渠」そのものの発見が待たれることとなりました。
 高松塚、キトラ等の古墳もあり飛鳥路は、今後も要注意です。                                

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