国宝仏編№42

国宝を訪ねて

葛井寺

葛井寺案内

山号・寺号 紫雲山三宝院剛琳寺葛井寺(ふじいでら)・藤井寺とも
所在地 大阪府藤井寺市藤井寺
最寄駅・目安時間 新幹線新大阪駅から1時間
経路 地下鉄御堂筋線天王寺乗換・大阪阿部野橋から近鉄南大阪線藤井寺駅下車・徒歩
国宝建造物   なし
国宝仏 千手観音坐像 1件1軀
その他の国宝 なし
秘仏・公開 毎月18日公開

葛井寺の国宝仏1件

仏像名 安置場所 備考
千手観音坐像 本堂 1軀

葛井寺の歴史

 南口の改札を出て線路伝いに少し先に行くと藤井寺商店街のアーケードが見えてきます。狭くて小さな昭和30年代の昔懐かしい商店街です。しかし,決して寂れている風ではなく、ところどころの店に、いなせな若いお兄さんもいたりして活気があります。そのアーケード街の中をキョロキョロしながら暫く行くと左手に藤井寺の山門が見えてきます。しかし,この山門は正面のそれではありません。藤井寺の横っ腹です。しかし、多くの人は,便利なのでどうしてもここから入ってしまうようです。正面からの眺めは後回しにしてここから入ることにします。
 
 山門までのそして境内に入ってからの狭く短い参道には,その両脇に屋台や出店が結構並んでいます。近在の農家の人やテキ屋風の人がテントを連ね、客との調子の良い掛け合いが飛び交い年配参詣者の楽しみの一つとなっているようです。
 この藤井寺、行基が開基し,在原業平の父,阿保親王が再興した寺と伝えられています。
 藤井寺市の中心にあっていつも参拝者で賑わう西国33所の5番札所です。 

千手観音坐像

 本堂に上がり300円の拝観料を払って早速シュミダンの前に進みます。
 恭しく開帳された扉の奥に写真で見慣れた千手観音が祭られている,ようです。と言うのは中があまりにも暗く、ほとんど見えません。そこまでしなくてもと思うほど,真っ暗です。
 顔をまさに「拝みたい」と願う参詣者も多いこととは思いますが、そんな願いは,不謹慎とばかりに,荘厳な暗闇が演出されています。
 
 こんな庶民的なお寺がなにゆえに肝心なところで頑なに拝顔を拒絶するのでしょうか。もっとアッケラカンとして,近くで見せる方が,土地柄にもマッチするのではないのかと,ついつい思ってしまいます。
 
 ライトの一つ、灯明の一つを工夫すれば,多くの人が満足することが出来ると思われますが,そういったところまでは気が回らないようです。沢山仏様を拝見してきましたが、これまでこれほどまでに見にくい環境は経験がありません。恐らくは,故意に威厳を高めようといった意図はなく,単にそのことに気づいていないだけのことでしょうが、一刻も早い改善が望まれます。 

千本の手

 写真でお馴染みの像ですが、写真から想像して丈六に近い大きさかなと漠然と考えていましたが,そうではありませんでした。
 等身大に近い意外と小さな観音様でした。
 脱活乾漆造であるこの像の特徴は何と言ってもその手の数の多いことです。まるで光背を負っているかのようです。その手の数は,正確に数えると1039本の脇手と2本の正面の手の合計1041本だそうです。
 1039本の脇手の中の1001本の脇手には,それぞれ手のひらに眼がついています。多くの眼で人々の苦しみを探し出し救おう,という菩薩の誓願がこのような形で現されています。人気のほどがうかがえます。
 
 寺の創建からしてこの像は天平時代に安置されたと考えられますが,その体躯にはその時代特有の豊満な情趣がなく,細やかで写実性に富んでいます。そのようなことから天平末期の造像にかかるのではと考えられています。
 なお,公開は毎月18日となっています。
 
 千の手があると言われる千手観音は,一つの手で25界の衆生を救うとされることから,25界を隈無く廻るとして40本の手が作られました。それに本来の2本の手を加えた42本の手を持つ千手観音像が一般的な千手観音像の姿です。しかし、この像は、唐招提寺の観音(現存953本)と共に実際に千の手が作られた珍しい仏様です。

近くに

野中寺

 バスで5分くらいの所に野中寺があります。ここには弥勒菩薩座像が祭られていて毎月18日には拝観できます。藤井寺とは大違いで茶室のような方丈の間で,ほんの目と鼻の先の距離で鑑賞できます。
 この座像は,500mlのペットボトルぐらいの大きさの重文ですが,弥勒菩薩の基準とされる像です。それは,この像の台座部分に病気平癒を願い弥勒菩薩を奉る旨が刻印されているからです。もっとも,制作刻印した者が,弥勒菩薩の原姿を誤解していた可能性もないではないですが,大陸や朝鮮半島の弥勒菩薩像をも判断材料にすると右手を軽く頬にあて半跏で座るのが,弥勒の儀軌に適うようです。
 その結果,奈良中宮寺の寺伝では如意輪観音とされる半跏思惟像は,弥勒菩薩と考えられるようになり,現在ではその名称も菩薩半跏像となっています。
 野中寺へは,藤井寺から一旦藤井寺駅に戻り,そこからバスが便利です。徒歩で向かう場合は途中,仲哀天皇陵に立ち寄ることもできます。徒歩で20分くらいかかります。

仲哀天皇

 第14代仲哀天皇は,神功皇后の夫であるとか,応神の父であるとか,熊襲征伐の途中,海の彼方の国を治めよとの神託を無視したことにより神の怒りに触れ変死を遂げたりとか,そんな紹介のされかたばかりで積極的な事績が語られることはない。また,応神の父とされる点には異説も多く、ここで王朝が断絶したと考える人も沢山います。 

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