国宝仏編№49

国宝を訪ねて

臼杵磨崖仏



臼杵磨崖仏案内

名称 臼杵磨崖仏
所在地 大分県臼杵市深田
起点駅・目安時間 新幹線小倉駅から2時間30分
経路 日豊本線臼杵駅下車バス
国宝建造物   なし
国宝仏 臼杵磨崖仏群 1件6龕59軀
その他の国宝 なし
秘仏・公開 公開

臼杵磨崖仏

仏像名 安置場所 備考
古園石仏 屋外 13軀
山王山石仏 屋外 3軀
ホキ石仏第一群 屋外 4龕25軀
ホキ石仏第二群 屋外 2龕18軀

石仏群

臼杵磨崖仏群

 広い駐車場の周りには,土産物屋や食事処が並んでいます。
 最近では,臼杵美術博物館も開館しました。そんな賑わいの外れから,すぐに「ホキ石仏第二群」の石仏達が現れます。感動はすぐに迫ってきます。
 
 それまでの単なる岩肌が仏師達の手により,次から次へ,まるでイリュージョンのように仏に変えられていく。里人は,どのような想いで,この石仏達をみてきたのでしょうか。
 この「ホキ石仏第二群」石仏群を先頭に4つの群に分けて石仏が祀られています。これら4群の仏達を覆う森は霊気に満ち溢れているようです。

 今でこそ,覆屋が設えてありますが,これまで諸仏は風雨に晒されていました。そのため風化が進み原形から遠く離れてしまった痛わしい仏達も沢山います。しかし,風化は必ずしも信仰の妨げにはならなかった様です。かえって,この姿にこれまで以上に強い信仰心が生まれたようです。

いつ頃,誰が?

 いつ頃,誰が何の目的で造ったかは不明です。誰しも考えつくのは,地理的にみて国東半島の六郷満山文化との関連でしょう。となると,六郷満山文化が開花発展したのは宇佐神社を中心として平安期の初め頃ですが,これとの関連は薄いようです。
 なぜなら,石仏の風貌,その作風等から考えて,制作年代はずうっと下がって平安末期から鎌倉期にかけて,と考えるのが一般的だからです。
 となると,近在の有力豪族が中央より仏師達を招き,仏師達が材を木から石に変えて取り組んだ、と考えることになります。しかし、木を彫っていた者が簡単に石を彫ることはできないと思われます。かなりの数の熟練工の仕事と思われますが、石仏は日本にそれほどあるわけではありません。さらに不思議なことには石仏群の規模からすると相当な財力が傾注されたと思われますが,当時の臼杵には,平氏あるいは藤原氏といった誰もが思いつくような有力豪族は見あたらないのです。
 
 それやこれやで,謎は深まるばかりですが,現在では,その豪族は平家物語にも登場する大神一族の緒形惟栄(おがたこれよし)ではないか、とする立場が有力です。

満月寺仁王像と石の鳥居

 この臼杵磨崖仏群の拝観に際して,意外と見逃しがちなのが,臼杵石仏公園の向かいにある満月寺仁王像です。2体の石造仁王像がまるで土中から湧き出したように置かれています。実際,下半身は土中にあるようです。
 石仏群から歩いてすぐのところにあります。必見。




 見逃しがち,と言えば,「石の鳥居」もそうです。石の鳥居は,国道から折れて石仏群に向かうその信号機の角近くにあります。
 満月寺への参道入り口と考えられるこの鳥居も半分近く土中に埋もれています。

野上弥生子

 小説「迷路」で知られる野上弥生子はこの臼杵市の出身です。
 平和主義者で日本女性史にも名を残すほどの先駆的な野上は,この田舎町の造り酒屋の長女として産まれます。裕福でしかも教養溢れる父母の元で育ち,14歳で上京し,明治女学院に学びます。
 やや堅い感じのするこの作家の作品群の中で異彩を放つのが「秀吉と利休」。利休切腹の真相に迫ります。野上弥生子にはこの本から近づくのがお勧めです。

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