国宝仏編

国宝を訪ねて

様々な仏達

諸仏・仏の種類

 我々は一口に仏様あるいは仏と呼んでいますが、この仏様と呼ばれる中には、実に多種多様な仏達が含まれます。例えば、よく耳にするものに如来、菩薩などがあります。しかし,仏としてもっとも馴染みが深いのはやはり、「お釈迦様」でしょう。
 でも、このお釈迦様,一体、人間なのか仏なのか、疑問はそのあたりから始まります。そして,仏陀と仏と釈迦と如来、これらは同じなのか,違うのか,どのような関係にあるのか、等々疑問が次から次へと生じます。
 
 この様に仏について考え始めると,なかなか前に進みません。
 しかし、我々は,これから仏門に帰依するわけではありません。ただ、仏像を鑑賞するときに、できればこれまで以上に豊かな気持ちで接したいだけです。
 従ってその範囲で仏を理解できれば十分です。
 その手助けとなるように、諸仏を如来,菩薩,明王,天部,羅漢,祖師に分けて説明します。
 ここでは,様々な仏の来歴や果たしてきた役割等ソフト的な特徴をお話しします。
 なお,これらの諸尊を外形的にいわばハード的に区別して見分ける方法については,仏の特徴・見分け方をご覧下さい。

沢山の如来がいる?

 まず、如来です。
 如来とは、悟りをひらいた者、真理、真実を悟った者、のことで「仏陀」と同じ意味です。しかし、仏教をはじめた釈迦、言い換えれば釈迦如来の他にも、例えば、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、毘廬舎那仏等、仏教にはたくさんの如来がいて,民衆の崇敬を集めています。
 これは、悟りをひらいた者が沢山いるということですが、この如来達は、無論、釈迦を除いては全部が歴史上の人物ではありません。
 言い換えれば、お釈迦様の教えである仏教を勉強して、お釈迦様と同様の悟りの境地に達して如来になった訳ではないのです。
 では、何故,これらの如来は仏教の開祖と同様に崇められるのでしょうか。 

釈迦如来

 釈迦が生まれたのは、紀元前5世紀頃です。釈迦はインドのとある地方の名門の出で何不自由ない生活をしていましたが、ある時思い立って修行の道を選びます。
 難行,苦行,試行錯誤の末、瞑想を経て悟りをひらき、やがて仏陀と呼ばれるようになります。しかし、釈迦その人は、この悟りの境地、すなわち「真実」を教義として体系化したり、文字にして後世の人々に残そうとしたわけではありません。
 
 仏教は、釈迦の入滅後、釈迦の教えを弟子達が思いだし、それを口伝し、あるいは書き留めたりすることから始まりました。それらの積み重ねが,やがて、体系化され整備されて仏教の原典へと成長していきます。しかし、それが日本に伝えられたのは、釈迦の入滅後,実に1000年を経てからのことです。
 
 この1000年間に仏教は、インド、中国において急激に広まり,その間に様々な教義が生まれ、精緻な教典として集成,発展し,さらに、それらがまた研究の対象となり,再修正され発展し,変容を受けることになります。
 言い換えれば、素朴な当初の仏教教義は原型をとどめないほどに精緻に変容,展開してゆくことになります。
 
 その結果,それらの研究の中で、如来が、仏教に言う「悟りをひらいたもの」「真実に目覚めたもの」の意なら,釈迦のほかにも、しかも釈迦よりも以前から、そのような域に達していたものがいたとしても不思議ではないのではないか、仏教の発見した大宇宙には至る所に沢山の如来がいたはずだ、ということに気づくようになります。
 その結果,釈迦の他に大乗仏教では阿弥陀、薬師等が、密教教義では大日(毘廬舎那仏)等が如来とされたのです。

薬師如来

 薬師如来は,現世利益(げんぜりやく)をかなえてくれる仏様として天平時代から人気を集めました。しかし,その来歴等は定かではなく,東方浄瑠璃浄土にいます仏と言われています。
 また,この如来は,様々の宗派の本尊として祀られてはいますが,仏教教義的には,各宗派との結びつきは今一つハッキリしません。
 仏教教義の体系化や学問的な研究が余り進んでいない時代に建てられた寺で,その頃人気のあった薬師如来を本尊として祀ったところ,その後研究が進んで,宗派的にややそぐわない状況になったがそのまま祀っている,といったところでしょうか。
 いずれにしても現世利益を叶えてくれるのですから,すこぶる現実的で宗教の原点とも言うべき如来です。

阿弥陀如来

 阿弥陀如来は,古くから民衆に親しまれてきた如来ですが,最も注目されたのは,浄土教が広く流行した平安末期から鎌倉時代にかけてのことです。
 末法の始まる頃,来世への希望を託すべく阿弥陀様を祀ることが流行します。源信の「往生要集」が広く読まれ地獄と極楽の存在が信じられていました。日本各地に阿弥陀堂が建てられ篤く阿弥陀仏が祀られました。
 鎌倉時代に入ると法然が口称念仏の方法をあみ出します。念仏さえ唱えれば臨終の際には浄土から阿弥陀様がたちどころに迎えに来てくれるのです。
 さらに親鸞は,瞬時に迎えに来てくれるのなら現世では何の不安もない,現世で歓喜が得られるとして,阿弥陀信仰は最盛期を迎えることになります。 

大日如来

 密教系の如来です。宇宙そのものを神格化しすべての現象はこの大日如来から産まれるとします。
 この大日如来には智恵の金剛界大日如来と慈悲の胎臟界大日如来とがあります。金剛とはダイヤモンドのように固いことを意味します。万物はダイヤモンドのように固い智恵に裏打ちされ,しかも母親の胎内のような中に穏やかに揺らいでいる,密教はそう考えます。
 大日如来の前身は毘廬舎那仏です。毘廬舎那仏と言えば東大寺の大仏様が有名です。唐招提寺金堂の本尊も毘廬舎那仏です。

菩薩とは?

 次に,観音菩薩、観音様に代表される菩薩ですが,ここに言う菩薩には、如来、すなわち真理を知り悟りを開くことを目指して修行中の者という意味が与えられています。しかし,大乗仏教では、観音菩薩を中心にやや異なった意味が与えられています。
 すなわち、菩薩とは、如来になれる資格はあるが、苦しみから逃れようとしている衆生全てが救われるまでは、如来にならない、と誓願をたてた者、という意味だとされます。このことは観音菩薩において顕著です。
 
 そこから,観音様にすがれば必ず救ってもらえるという、すこぶる現世利益(げんぜりやく)的な、いわゆる観音信仰が産まれました。
 うがった見方をすれば,必ず救ってもらえるという観音信仰の教義から、全ての者が救われるまでは、如来にならない、と誓願をたてた者との菩薩の概念がうまれたとも言えます。しかし,先にも触れたように普通には菩薩は如来を目指して修行中の者を意味します。 

 菩薩の種類としては,この観音菩薩の他に弥勒,日光,月光,普賢,文殊,地蔵等の各菩薩をあげることができます。
 次ぎにそれぞれの菩薩がどのような仏として崇められてきたか見ていきたいと思います。まずは,観音菩薩です。

観音菩薩

様々な顔を持つ観音菩薩

 四国88カ所,西国33カ所等に代表されるように,観音信仰は,奈良時代の後半から平安時代の前期にかけて,大衆の人気を独り占めにし,それは,現在まで続いているようです。
 では,何故観音様は衆生の人気者になったのでしょうか。
 その理由は,やはり,現世利益的な仏様であるからでしょう。
 それとともに,先述したように「観音の立てた誓願」にもあると考えられます。すなわち,釈迦になれるのにその道を選ばず,民衆をあまねく救う,といった潔さ,心情に多くの人が信頼と共感を寄せたのではないでしょうか。
 ところで,観音菩薩と聞くと、十一面観音、千手観音、馬頭観音、楊柳観音その他、いろいろ思い出します。
 また、観音菩薩は、33の姿に変えて救いを求める衆生の前に現れる,ともいわれます。例えば、男に、女に、獣にと。
 
 では、変身するこの33観音の中に、十一面観音、千手観音、馬頭観音等は含まれているのでしょうか。変化(へんげ)するのだから当然含まれている,と思いきや,実は含まれないのです。
 そうなると、十一面観音、千手観音と33変化観音とはどのような関係にあるのか、気になります。少し詳しくみてみます。
 
 観音菩薩が、日本に伝わった頃、観音が変化する前の、いわば普段の姿は、やはり一つの顔と二本の手をもつ普通の仏と考えられてきました。それが聖(正)観音です。しかし、その後日本にもたらされた様々な仏教典には,観音菩薩として,様々な記述があることが知られるようになり,そこから様々な観音様が表現されるようになります。
 
 例えば,33の姿に身を変えて,救いを求める衆生の前に現れてくれる,という仏ならば、常日頃から辺りを見回しているはず、として十一面観音が、
 多くの衆生を救ってくれるというなら沢山の手が必要なはず、として千手観音が、
 全ての,救いを求める衆生を確実に掬い取るなら、網とロープが必要では、と不空羂索観音が、
 と,いった具合に沢山の観音に関する記述から沢山の観音が造られたのです。
 従って、十一面観音、千手観音、馬頭観音等は、33の姿に変わる前の本来の姿をいろいろ想像して考え出されたものといえます。
 ちなみに,33観音とは,楊柳,竜頭,持経,円光,遊戯,白衣,蓮臥,滝見,施薬等です。この中に十一面観音、千手観音、馬頭観音等は含まれていません。

霊場巡りとその本尊

 西国33カ所や四国88カ所の霊場巡りに代表される霊場巡礼は、観音菩薩を本尊とする寺々を巡拝する旅です。
 そして、その寺の多くは、天台宗あるいは真言宗であることから、教義としてこれらの宗派と観音菩薩とは、切っても切れない関係にある,と誰しも思うところですが、そうでもないようです。
 そのあたりの理由を突き詰めていっても余りハッキリした答えは見あたりません。というのは,仏教は時代とともに発展を続けたのであり,当初から現在分析されているような理路整然とした体系が必ずしも出来上がっていた訳ではないからです。

 教義的に言えば,観音様のことは法華経の普門品(観音経)に詳しく書かれています。そして法華経は数ある仏教典の中の中心的教典の一つです。ですから,天台宗でも真言宗でもそれを重要な教典として位置づけています。殊に天台宗や,そこから産まれた日蓮宗ではそのことがハッキリしています。かえって,真言宗との結びつきはやや希薄なくらいです。
 その真言宗で一番観音様がもてはやされたことについては,大乗仏教、あるいは胎蔵界曼荼羅図、法華経の位置付け、化身概念、その他,空海入唐時の中国仏教界の情勢等が絡み合っていると思われます。
 もっと割り切った考え方が許されるならば,呪術により病気を治したりする密教と現世利益(げんぜりやく)的な観音とが都合良く結びつけられた,と言って良いのかも知れません。

観音の数・顕教と密教

 それはともかく、
 天台密教では、聖観音、十一面観音、千手観音,不空羂索観音、馬頭観音、如意輪観音を「六観音」とし,
 真言密教では,不空羂索観音の代わりに准胝観音を加えて「六観音」、または,天台の六観音に准胝観音を加えて「七観音」と呼んでいます。
 なお,六観音とは,六道の救主とする六種の観音菩薩ことです。

如意輪観音と弥勒菩薩

 話はやや細かくなりますが、如意輪観音と弥勒菩薩のことをお話しします。この二つの観音は,実によく似ていて寺によっては、如意輪を弥勒に、弥勒を如意輪として,それぞれ異なって(間違えて)伝えていることもあります。それはなぜでしょうか。
 まず、どうして混同されるようになったのでしょうか。想像の域をでませんが、次のように考えられます。
 すなわち、飛鳥、天平時代には弥勒信仰が盛んに行われました。弥勒とは,釈迦入寂後の56億7千万年後といった気の遠くなるような時を経た後,次に如来として衆生を救済に来る者のことですが,それまでの間、衆生のことを思いながら修行している姿を半跏思惟像で表しました。
 このことは中国に半跏思惟像を弥勒菩薩とする例が沢山あることからも裏付けられています。
 しかし、平安時代に入ると、密教が盛んになり,沢山の観音様が造られるようになりました。それらの中で,如意輪観音は、大阪河内にある観心寺の如意輪観音に代表されるように、変化観音として右手を軽く頬にふれた思惟の形をとりながらも、6本の手で、すべてを意のままにできる如意宝珠と煩悩を取り除く法を持つようになります。
 そして、その後盛んになる観音信仰の中で、飛鳥、天平時代に造られた各地の弥勒菩薩が、外見上酷似する半跏思惟のポーズ故に,如意輪観音と改称されるようになったのではないか,と思われます。

その他の菩薩

 菩薩にはその他に日光,月光,文殊,普賢,地蔵等の菩薩があります。

日光菩薩・月光菩薩

 日光菩薩・月光菩薩は薬師如来の脇侍として,薬師如来と共に三尊で祀られるのを通例としています。この二つの菩薩により薬師如来の病気快癒パワーが24時間,日夜つづくことが示唆されています。

文殊菩薩・普賢菩薩

 文殊菩薩・普賢菩薩は釈迦の脇侍として釈迦如来と共に三尊で祀られます。文殊の智恵に対して普賢は慈悲の菩薩です。二つの菩薩が釈迦の徳を一層高いものにします。知恵と慈悲を対比させることは、密教の金剛界、胎蔵界を思い起こさせます。

地蔵菩薩

 地蔵菩薩は,よくリリーフの菩薩と言われます。釈迦の入滅後,56億7千万年経つと弥勒が如来となり衆生を救済するために地上に降りてきます。その気の遠くなるような長い間は地蔵菩薩が迷える者を救うとされています。
 特に,死後,冥界を彷徨う者を導いてくれると言われています。中でも,さんずの河原で泣きながら石を積む子供を暖かく導いてくれるとされ,子供を亡くした母親を中心に絶大な支持を得ています。それがさらに進んで現在では水子地蔵なる名も冠せられ地蔵様にとっては、はなはだ傍迷惑な形態にまで進化?しています。

明王とは?

 明王は如来や菩薩の守護神です。
 明王と聞いてすぐに思い出されるのは、不動明王です。この不動明王をはじめ、明王の特徴は、何と言ってもその憤怒の形相です。 

五大明王の中心,不動明王

 では、仏の中に、何故、怒った顔の明王が含まれるのでしょうか。それは明王の役目からきています。すなわち、如来の教えを聞こうともしない、勝手気儘な人間達(難化の衆生)を如来に代わって懲らしめようとするのが明王の役割なのです。
 如来の意に従って役割を分担していることから仏様の中に入っています。
 なお、密教教義としては、明王は,インドで生まれた密教がヒンズー教の在来神を密教に取り込んだもので、大日如来の化身とされています。

 明王の作例としては、国宝仏の中では東寺の五大明王が有名です。五大明王とは、不動明王の他、東の降三世、南の軍荼利、西の大威徳,北の金剛夜叉(天台では烏枢沙摩に代わることもある)の各明王です。 

その他の明王

 この明王には、上記のような五大明王の他に、孔雀明王、愛染明王等、沢山の明王が伝えられていますが、聞き慣れない明王も多いようです。 

天部とは?

 天部とは、バラモン教(後のヒンズー教)から仏教に編入された異教の神々の総称です。帝釈天や梵天、吉祥天、弁財天、技芸天などがよく知られています。そして多くの場合「天」の字が付いています。
 
 この天部にまとめられる諸仏には実に様々な神が含まれていますが,その中の多くは、仏教の守護神、護世神として、仏教が諸国に拡大してゆく課程でその土地土地の神が編入されたものです。
 また、変わったところでは、悪業の限りを尽くす鬼や悪魔のようなものが仏の教えを聞いて仏門にくだり、仏の護衛をするようになります。これらも「仏の眷属」として認められ天部に属しています。

明王と天部の関係

 では,明王とはどのように区別したらよいのでしょうか。非常に沢山の天部の神々の中から,一部の者が出世して明王となり,天部はその明王の眷属,家来のような存在になったと考えられます。 

天部の特徴

 このように種々雑多な神が仏になったため、天部に属する仏像の特徴を一言で言いあらわすことは困難です。また,像容も,天女形、武将形、鬼神形、力士形、鳥獣形など実に様々なものがあります。

羅漢とは?

 羅漢様という名前を聞いたことはありませんか。
 羅漢様は聞いたことが無くても十六羅漢や五百羅漢という言葉は時折耳にすることがあると思います。
 
 羅漢とは、修行僧の中の最高ランクの人たち、すなわち釈迦の高弟達のことです。正しくは阿羅漢といい尊敬と施しを受けるに値する人の意味です。
 この羅漢も他の仏達と同様に絵画や彫像にと、好んで制作されましたが、国宝仏では、興福寺の十大弟子立像が有名です。

祖師とは?

 祖師とは各宗派の開祖のことです。
 もちろん実在の人たちで、仏と呼ぶにはためらいがありますが、彫像として表されたり、画像として残されたりして礼拝の対象になっています。
 
 著名なところでは達磨大師、聖徳太子、弘法大師等の画像等がこの中に入りますが、国宝仏としては,唐招提寺の鑑真座像がよく知られています。                


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