その他の国宝編 
国宝を訪ねて 
国宝を訪ねてTop 国宝建造物編Home 国宝仏編Home その他の国宝編Home 国宝情報Home
その他の国宝編 東日本ブロック 中部ブロック 京都・奈良ブロック 西日本ブロック
その他の国宝編
6ジャンル
絵画 工芸品(梵鐘・陶器類・その他) 書跡・典籍
古文書 考古資料 歴史資料
  ← 前の国宝再訪 次の国宝訪問 →

神護寺

 清滝や 波に散り込む 青松葉
                 芭蕉

山号・寺号 高雄山神護寺
所在地 京都市右京区梅ケ畑高雄町
起点駅・目安時間 新幹線京都駅から1時間10分
経路 京都駅からバス45分・徒歩25分
国宝建造物 なし
国宝仏 薬師如来立像等 2件6軀(国宝仏編№13)
その他の国宝 7 梵鐘他
公開情報 金堂は公開・多宝塔内部は事前申請が必要
お薦め度 ★★★

神護寺のこと

 道鏡排斥の立役者和気清麻呂ゆかりの寺院。モミジの名所。

絵画4件

釈迦如来像

 赤い着衣を身につけていることから「赤釈迦」と呼ばれる平安仏画の白眉。 

両界曼陀羅(高雄曼陀羅)

 金剛界と退蔵界の二つの宇宙観を約4メートル四方の紫綾に描く。 

山水屏風

 平安時代から鎌倉時代に掛けての風俗や庶民の暮らしぶりを知るうえで貴重な絵画。 

伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能像

 3幅とも藤原隆信の筆と伝えられる。特に源頼朝像は広く世に知られたお馴染みのもの。但し,「伝」とあるように頼朝かどうかは確証がない。推測の根拠は,神護寺略記に後白河上皇および藤原業房の肖像画とこの3幅,すなわち源頼朝像・平重盛像・藤原光能像の計5福が並べられていたとの記述があることによる。
 なお、これら3幅は足利一族のものとの説もある。

工芸品1件・梵鐘

 この鐘は,序(詞),銘,書が当時の三大家によることから,「三絶の鐘」と呼ばれる。鐘の表にある銘文が,橘広相の詞,菅原是善の銘,能書家藤原敏行の書,とそれぞれ当代を代表する各界の文化人の手になっている。

古文書2件

灌頂歴名(かんじょうれきめい)

空海筆。行者の頭(頂)から水を濯ぎ法を授ける儀式の顛末が記される。灌頂を授けた人の名の最初に最澄の名もみえる。 

文覚四十五箇条起請文

 文覚が寺僧に請うた四十五箇条の起請文を「山槐記」の著者藤原忠親が記したもの。この文覚については、平家物語をはじめとして多くの書物にその名が見られる。一番有名なのは人妻袈裟御前に懸想し袈裟御前に対しその夫殺しを持ちかけ悔いて身代わりとなった御前を夫間違えて殺してしまう、というもの。その後出家して僧門に入るが、行状修まらず、西行を打ちのめすと言ってみたり、朝廷に直訴してみたり、そのため配流された伊豆で頼朝と親交を深めその後の頼朝の出世に力をい貸すなど、多くの逸話の持ち主である。

芭蕉生涯終の句

 神護寺の眼下には清滝川の清澄な流れが見られる。清滝川はここ神護寺の下では大きく巻くようにしかも荒々しく流れる。
 表題句は、芭蕉最後の吟詠である。
 辞世句としては「旅に病んで 夢は枯れ野を かけ廻る」があげられるが、表題句は、「旅に病んで」が詠まれた一日後、死を迎える3日前に作られたとされる。正確には、「大井川(大堰川) 波に塵なし 夏の月」を推敲したものであり、そのため世間では、辞世句としてはとられていない。また、、「旅に病んで」は、漂白の芭蕉の辞世句には誠に相応しいとの配慮があってか、この表題句が最後の詠として取り上げられることは、少なかった。しかし、青々しく先の尖った若い松葉が清い流れに吸い込まれやがて大海原を目指すことを思うと、むしろこちらの方が辞世の詠に相応しいと言えなくはない。清冽な水の流れに身を委ねて自然の霊気を呼び込む呪的な神仙思想や山水思想もそこには在ったかも知れない。自らを桃青と称したことも思い起こされる。

類想句

 さて、この句が、推敲されたのは、類句のそしりを避けるためであったようであり、その対象となった句は、「しら菊の 目に立てて見る 塵もなし」である。前掲の「大井川」とこの句が類想句となるのだから、芭蕉ほどの極みに達すると一句作るのに大変な苦労を伴うであろう。ただ、塵なし、塵もなし、と同じ言葉が使われているに過ぎないとおもわれるが、これで類想句なら新聞の投稿句を見たら芭蕉はほとんど類想句としてしまうのではないだろうか。
 それはともかく推敲後に出た句は、大井川とは着想が全く異なり、原型をとどめていない。大井川を駄作として捨て、その作業過程で新たに作句したと評しうるのではなかろうか。確かに、文献上、「大井川」の推敲であるが推敲後のそれは、単に嵐山に遊んだ挨拶句ではなくなっている。形式的な事実にこだわると、「旅に病んで」を超えられない。 

謡曲・櫻川

 この終の句については、長いこと気になっていたあたりではあるが、最近、光田和伸(国際日本文化研究センター)のエッセイにであった。氏は、青松葉を芭蕉の化身とし、この句から謡曲櫻川が想起されるとして、狂女(狂母)が桜の花びらを掬うように、若くして故郷に残した母に掬われることを願っていたのかも知れないとしている。鋭い指摘であるが、それも芭蕉の並々ならぬ学識を知ればこそである。
 一体、凡夫ならまだしも、死期に及んで、あの芭蕉が嵯峨嵐山の挨拶吟を手直ししていた、というのもどうかと思う。やはり、終の詠であろう。
 「旅に病んで」は数ある句の中で、その詠まれた情景を想像すると、秀作中の秀作であることは間違いない。どうしても、漂白の思いが終生止むことがなかった芭蕉の辞世句にしたくなるのが、人情である。
 今後、研究が深まることを期待したい。

  ← 前の国宝再訪 次の国宝訪問 →
国宝を訪ねてTop 国宝建造物編Home 国宝仏編Home その他の国宝編Home 国宝情報Home
その他の国宝編 東日本ブロック 中部ブロック 京都・奈良ブロック 西日本ブロック
その他の国宝編
6ジャンル
絵画 工芸品(梵鐘・陶器類・その他) 書跡・典籍
古文書 考古資料 歴史資料
copyright. 2002. kokuhoworld .all rights reserved