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西大寺

山号・寺号 西大寺(秋篠山四天院)
所在地 奈良市西大寺町
起点駅・目安時間 京都駅・35分
経路 近鉄京都線西大寺駅下車・徒歩3分 
国宝建造物 なし
国宝仏 なし
その他の国宝 6 舎利瓶・鉄宝塔 他
公開情報 金銅宝塔及び納置品のみ公開
お薦め度

西大寺のこと

 西大寺は,孝謙女帝と道鏡,ゆかりの寺である。
 764年,藤原仲麻呂が乱を起こす。その平定を四天王に願い,乱は鎮静される。そのことに感謝して建てられたのがこの西大寺である。 

藤原仲麻呂の乱

 孝謙天皇の頃,勢いのあった橘諸兄と藤原仲麻呂は鋭く対立する。仲麻呂には,孝謙天皇の母,光明皇后の後ろ盾があったが,光明皇后の死去とともに立場は急速に悪くなる。一方,母の死を悲しんだ孝謙女帝は,精神的に落ちこみ病を患う。そこに現れたのが,かの道鏡である。病気快癒後も道鏡は女帝の傍らを片時も離れず献身的に尽くす。
 かつて東大寺落成式の夜に仲麻呂の屋敷に泊まり物議をかもした孝謙女帝であったが,今やその心は仲麻呂から離れ,道鏡に移っていた。
 光明皇后,孝謙女帝,二人を失った仲麻呂にかつての求心力は失せていた。失地回復を期す仲麻呂にとって、乱は必然でもあった。

工芸品3件

金銅宝塔及び納置品

 聚宝館にて常設展示。西大寺は,合計6件の国宝を所蔵するが,常設展示されているのはこの1件のみ。

舎利瓶・鉄宝塔

 鉄宝塔は,現在,奈良博物館に寄託中。

金銅透彫舎利塔

 鎌倉時代の作品。これも奈良博に寄託中。

絵画1件

一二天像。

 帝釈天(東)水天(西),等12の神々を描く平安初期仏画の代表作。
 ちなみに12は東西南北,および西南,東北等の4維に天,地,日,月を加えたもの。

書跡・典籍2件

金光明最勝王経

  奈良時代に重んぜられた諸天善神による国家鎮護を説く教典。
 

大び廬遮那成仏神変加持経(だいびしゃなじょうぶつしんぺんかじきょう)

 真言宗の根本経典。別名大日経。

坂口安吾の歴史探偵方法論

 これまでに書かれたあらゆる書物の中で、孝謙女帝の評判、評価はすこぶる悪い。仲麻呂との情事の後、道鏡と自由奔放に生きたことがその根拠の全てである。これに対して、唯一と言ってよいほどに、この女帝を純真な童女のような心の持ち主であったと擁護するのが、かの坂口安吾である。
 安吾は、自らの史観を歴史探偵方法論と呼び、実証がない以上推論を積み重ねてるしかないとし、女帝の風評は、その後、権力を得た続日本紀等の正史編纂者の自由な筆になる、とする。その方法論自体に異論を差し挟むものではないが、その帰結が、坂口安吾「堕落論」(新潮文庫)の中の「道鏡童子」に納められている。

戒律の僧・叡尊

 乱の平定と鎮護国家を願い建立された西大寺であったが,孝謙女帝が死去すると,治世は天武系から,天智系に移り,都も京都に遷されることになる。こうなると西大寺を顧みる者はいなくなり荒れるにまかされる。復興は鎌倉時代まで待つことになる。
 鎌倉時代に入り,東大寺の叡尊が西大寺に入る。戒律を重視する叡尊は急速に帰依者を増やし,この西大寺を拠点に貧民救済にも情熱を燃やし,西大寺再興の師と称されるまでになる。
 叡尊はまた,元寇の際に祈祷により神風を吹かせた僧としても有名である。

 現在,西大寺は,真言律宗の総本山である。
 近鉄西大寺駅から歩いてすぐと便利ではあるが,見所には乏しい。
 近くに秋篠寺,少し足を伸ばして唐招提寺,薬師寺があるから時間がない人は,そちらに向かうのがよい。 

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