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神戸市立博物館

名称 神戸市立博物館
所在地 神戸市中央区京町
起点駅・目安時間 新幹線新神戸駅・25分
経路 地下鉄三宮下車・徒歩10分 
国宝建造物 なし
国宝仏 なし
その他の国宝 1 桜ケ丘町出土銅鐸・銅戈 
公開情報 常設展示
お薦め度 ★★★

神戸市立博物館のこと

         

  三宮から花時計・港方面(南)に五分ほど歩き、右(西)に折れ五分ほど歩く。すると広い通りの角に異国情趣溢れる旧居留地街にあってもひときわ目を引く白亜の建物が目に入る。昭和10年建築の石造りの建物、それが神戸市立博物館である。
 中は、吹き抜けの大ホールとなっていて、造りの贅沢さに圧倒される。この建物の見学だけでも充分充実した時が過ごせる。

考古資料1件

桜ケ丘町出土銅鐸・銅戈

   

 神戸市立博物館が所蔵する国宝は、同市の灘区桜ケ丘町の丘陵地帯から出土した銅鐸(どうたく)14口と銅戈(どうか)7口からなる。
 この14口の銅鐸には、1号銅鐸から14号銅鐸まで識別番号がふられているが、この中でも4号銅鐸と5号銅鐸に注目が集まっている。
 いずれも、袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸と呼ばれるもので、銅鐸の表裏2面に縦横の襷をかけたような紋様が意匠されている。そして、そのたすき掛けによってできた各4つの面にカマキリ,トンボや狩りをする人等の線画が鋳出されている。

 また一般には銅矛と呼ばれる銅戈7口にはギザギザとした鋸の歯を組み合わせたような紋様が鋳出されている。大きさや形態、紋様等は、それぞれ微妙に異なる。
 これらの銅鐸、銅戈は、昭和39年に桜ケ丘町の丘陵地帯(斜面)から一括して偶然に発見された。当時としては、一度にこれほど多数の銅鐸、銅戈が出土することはあまりなく、また、銅鐸、銅戈が一カ所から出土されることもなかったことから、話題となった。

この国宝のここを見る

 
4号銅鐸と5号銅鐸については、やはり各区画の意匠を見たい。
4号銅鐸には、魚をついばむサギ、三匹の動物とクモ、鹿を追う人、座って桛(かせ)を持つ人、クモ、カマキリ、トンボ、スッポン等が描かれている。5号銅鐸の方はもう少し場面が増えて、臼で脱穀しているような場面も描かれている。
 これらの各区画の線画が、果たして各場面バラバラに、言い換えれば思いつきで描かれたのか、あるいは全てが一定の意図のもと統一的に構成されているのか、物語風に描かれたのか、これらの線画を鑑賞するには表裏計8面に順番があるのか、そのようなことを考えながら見ると興味も一層深くなる。
 ちなみに、一つの見解として、順に大きいものが小さいものを食べるという食物連鎖が描かれていて、自然界、神に対する感謝が表現されている、というのがある。果たして、どのように考えるべきか?

   

謎だらけの銅鐸

 銅鐸については、よく教科書等で目にしていることから、何となく古代の楽器かしら、と考えているが、どうもそうではないらしい。この銅鐸については、そもそも、いつ頃、何のために作られたのか、このあたりから定説もなく、ほとんど謎だらけ、と言っても良いようである。
 かつては、銅鐸が近畿、東海地方から、銅戈(銅矛)が西日本を中心として発見されていたことから、銅鐸文化圏、銅矛文化圏との語も用いられたことがあった。しかし、その後、この桜ヶ丘遺跡を始めとして両者が同時に、あるいは出雲地方から沢山の銅鐸が発見されること等が頻繁に繰り返されるにおよんで、現在では、「銅鐸文化圏、銅戈文化圏」なる呼称は、単なる仮説として退けられており、銅鐸、銅戈に関する研究は振り出しに戻った感がある。
 そこで銅鐸に関する謎を整理してみることとするが、ここに銅鐸とは、竜頭が見える位置に対象を置きそれを正面から見据えると台形を呈するが、その台形面が襷掛け模様により4つの区画に分けられていて、しかも底面は円形ではなく杏仁型であるものを言う、と一応定義しておく。

銅鐸一般の謎

 ●銅鐸に関する疑問の第一は、日本で作られたのか、古代中国で作られたものが日本に持ち込まれたものか、そのルーツである。しかし、今のところ中国や朝鮮にこれと同じデザインの青銅器は発見されていない。もっともこの点については、歴史的に青銅器が鋳潰されて古銭等に変えられたことが古代中国に顕著な事実としてあり、そのために銅鐸の原型が地上から消失したとの見解もある。
 そうだとしても、一つや二つは消滅をまぬがれて発見されても良さそうであるが未だそのような事実は、皆無であることからすると、古代中国の同種の青銅器をモデルに、日本で独自のデザインや意匠を加え新しいものを作り出したと考えられる。
 もっとも、日本において銅が精錬されるのは700年代であるから、銅鐸様のものを含めて完成品として日本にもたらされた青銅器をわざわざ鋳潰ぶして類似品を再生したことになるが、どうしてそのまま利用しなかったのか、何のためにそのような面倒なことをしたのか、新たな疑問が湧く。 
 その目的、意図は全く不明であるが、鋳潰ぶした事実を裏付けるように古代中国の青銅器と鉛(錫)等の成分、含有量が同一であるとの報告がある。
 なお、制作年代は、弥生時代、2世紀頃と考えられていることから、当時、鋳潰してそれを原料とし精錬する技術は伝えられていたようである。  
 ●銅鐸は、弥生時代には盛んに作られたが、その後、何故か突然、全く製造されなくなる。その結果、古墳時代、飛鳥時代あたりまで当時の誰もが、そのような青銅器がかつて日本に存在したことすら知らなかったようである。日本書紀に、おかしなものが発見されたとの記事がある。
 さらに不思議なことに、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて和鐘とも称すべき梵鐘が日本においても製造されるようになるが、その梵鐘のモデルは、古代中国鐘、朝鮮鐘であることはハッキリしているが、日本の梵鐘は、外見的に底が杏仁型でなはなく円形である点を除けば、表面が襷掛け模様により区画される等、それらの鐘よりも銅鐸に酷似しているのである。
 梵鐘と銅鐸の紋様が偶然に一致したとは、考えにくいから、1,両者はともに同一の古代中国の鐘類をモデルとしたが、それが発見されていないだけ、2,銅鐸の存在は、飛鳥時代にすでに知れ渡っており、梵鐘は、銅鐸をモデルとした、くらいしか考えられないが、今後の研究が待たれる。
 ●次にこれが最大の謎であるが、銅鐸の用途、銅鐸は何のために作られたか、である。
 作られた当初は、銅鐸に音を出す機能があったものと考えられている。しかし、その音を何のために出したのか、すなわち人を集めるためといった実用的な目的か、あるいは祭礼用か、等は不明である。
 また、この音出し機能についても、外から叩いたのではなく、西洋ベルのように中の「舌」を振って音を出したことが、内部の擦過傷等から分かっているが、その後、時代が下がるにつれ、この音を出す機能は二の次となり、もっぱら装飾的なもの鑑賞用のもの、広い意味で祭礼、祭祀用の器具へと変化したと考えられている。
 ●最後に用途とも関連するが、銅鐸の発見状況等については、不思議なことが多い。銅鐸は、必ずといってよいほど、まとまって、しかも、山の斜面、さらにしかも頂上を少し下がった辺りから出土する。そのため、偶然にしか発見されないのである。
 その発見時の状態と言えば、横になっていたり、逆さまになったりしている。これが一体何を意味するのか。
 これについては、銅鐸は、地位の象徴であり、近隣の部族が統廃合を繰り返す中で、集められた、と考える立場が有力である。しかし、集落の中心、あるいは住居跡から発見されるのではない。
 古代中国では、他民族の侵略に際して、王侯貴族達が、逃げる際に後で掘り返そうと土中に隠したと思われる宝物が、多数発見されている。それに類似したことが行われたのか。
 また、他民族との境界辺りに、その異神を呪鎮するため土中に鐘類を埋める風習があったと言われており、この思想が日本にも伝えられていた、とも考えられる。 

桜ケ丘町出土銅鐸の謎

 桜ヶ丘の4号、5号銅鐸には、すでに述べたように蜘蛛やトンボなどが鋳出されているが、これらの銅鐸に、形態、意匠等がほぼ同一の銅鐸が瀬戸内海を挟んだ讃岐地方から出土している。江戸時代の話である。現在、東京国立博物館が所蔵している銅鐸がそれである。

       
               東京国立博物館蔵

 この銅鐸と桜ヶ丘の銅鐸を見比べると間違いなく同一人物あるいは同一工房の制作であると言える、それほど酷似している。
 しかし、大きさにおいて寸分違わぬ、とまでは言えないようでわずかに違いがあるようだ。そのことから鋳型は、陶器のようなしっかりしたものではなく、簡易なもので一つ一つ作られた可能性も否定出来ない。あるいは、両者は異なる酷似した鋳型から生産されたのかも知れない。そうであれば相当数の銅鐸が作られていたことになる。
 海を渡ってきた貴重な青銅器を、まとめて土中に埋めるために、鋳潰し再生産する。一体、何のために。 

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