国宝建造物編bS| 名称 | 出羽三山神社 |
| 所在地 | 山形県東田川郡羽黒町手向7 |
| 最寄駅・目安時間 | 山形駅・約2時間40分 |
| 経路 | 高速バス鶴岡駅下車,乗換,バス羽黒センター前下車 |
| 国宝建造物 | 1 羽黒山五重塔 |
| 国宝仏等 | なし |
| その他の国宝 | なし |
| お薦め度 | ★★★ |
羽黒山中の雪の中,ポツンと取り残されたように佇むこの塔の写真は,これまで幾度となく目にしている。これほど雪の似合う五重塔は他にないだろう。
冬の塔は,雪に耐える杉木立の悲鳴を聞きながら600年の歳月を一人,出羽の山中で過ごしている。塔は,自らを墨色に変えて,毎年深い緑と燃え立つような朱,そして淡い白色を,この順に受け入れてきた。
湯殿山,月山とともに出羽三山と呼ばれる羽黒山は,東北の密教文化の中心である。その羽黒山の山頂にある出羽神社(いずはじんじゃ)には,月山,湯殿山,出羽の各神社を合祀した「三社合祭殿」があり出羽三山神社と呼ばれる。ここは東北随一の密教修験地である。
故森敦「月山」(新潮文庫)は,「三山といっても,月山ただ一つの山の謂いなのです。」とする。長く連なる山稜の三カ所に山の名を冠している一つの山だ。この物語は,一つの中に他の一切が含まれその一つは他の一切の中に入る,という一即一切,無尽縁起といった華厳経の根本思想をいたるところに散りばめている。
「わたし」は,庄内平野を彷徨した後,死者の行く山,月山の麓に一冬を越えるための住みかをみつける。倒れかかるような寺の庫裏の2階で,寒さを凌ぐために祈祷簿をほぐして繭のような和紙の蚊帳を作る。その蚊帳の中で「天の夢を見てやがて羽化するという蚕」のように,うずくまり,やがて一冬を越える。
森は自らの体験を綴ったこの作品で芥川賞を受賞するがその後も,その生活ぶりを変えることはなく,居が定まらなかった。
その放浪生活が芭蕉との親近を思わせるのか,NHKより奥の細道の解説を依頼され,以後,芭蕉と縁が深くなってゆく。
その芭蕉は,苦難の末に奥羽山脈を横断し,羽黒山に辿り着いている。歓迎の俳諧連句の会を開催してもらったり,その歓待ぶりも綴られている。
すでに功なり名を遂げていた芭蕉の老いたる躰を,荒れ野に導いたものは,何であろうか。漂泊に身をおき,蚤,虱,馬のしとする中で,芭蕉は,西行の生き方に己を重ねていたのか。
病気や強盗,追いはぎ等生命の危険を伴うこのような過酷な旅の目的は何か。
歌枕を訪ねるのがその目的,とされてはいるものの,ハッキリしない。
羽黒山は,確かに歌枕象潟への途中ではあるが,驚いたことに芭蕉は,羽黒山は勿論のこと他の二山にも登っている。
出羽神社(出羽三山神社)のある羽黒山は,標高も約500メートルに満たない低い山であり,ここには,月山神社,湯殿神社を併せ祀る「三社合祭殿」がある。参詣の困難な二社が合祀されていることから,一般の参詣客は残り2つの神社にまで足をのばすことなくここで引き返す。
ところが,芭蕉は,ここから月山神社に向かい,その山頂の山小屋で宿泊,さらに湯殿神社にも向かう。
現在でも,出羽三山神社から月山神社へは,バス30分徒歩2時間の行程である。湯殿神社へは月山神社からさらに1時間30分の旅程である。
このような困難な山行に芭蕉を駆り立てたものは,何だったのだろう。
二つの理由が考えられる。
一つは,同行の曾良が神社フリークであり,それに引きずられた,もう一つは,この出羽三山神社では,生死体験,蘇りができるとされていたことから,芭蕉がそれに興味を抱いていた,というもの。
最後の句については,奥の細道文中でも,湯殿山中の詳細は記すことができないと,あえて記述し,しかし,このような句までも残して,なかなか意味ありげな感じ。
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