国宝を訪ねて 国宝建造物編42

三十三間堂(蓮華王院)

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山号・寺号 蓮華王院
所在地 京都市東山区三十三間堂廻り町
起点駅・目安時間 京都駅・15分
経路 バス三十三間堂前下車
国宝建造物 1 蓮華王院本堂
国宝仏等 3 千手観音座像・二十八部衆立像・風神雷神像
(国宝仏編bX)
その他の国宝 なし
お薦め度 ★★★★


国宝・蓮華王院本堂

                 

                 かくも長き 甍を夕立ち 一走り (秋雨)

33という数字

 いつも修学旅行生で溢れているこの三十三間堂の三十三間とは,柱と柱の間が33あるという意味。
 この33という数は,西国霊場33ヶ所,近江西国霊場33ヶ所等と同じもので,観音信仰と深く関係する。
 観音様は,救いを求める衆生の前に33の姿,形に変化(へんげ)してあらわれる,とされこの三十三間堂もその数にあやかっている。
 
 この堂が長いことは,堂内の入り口に立つと一目瞭然であるが,その長い堂内は,鈍い黄金色の数百体におよぶ観音像により荘厳されている。

 かまびすしい修学旅行生も,その数に圧倒され,口をつむぐ。
 信仰心の無い者も,この壮麗な光景には思わずひれ伏し,胸が打ち震える。
 やがて,平常心に戻るが,そうなると何か願わずにはいられない。
 何かを願えば必ずかなえてくれそうな,そんな気になる仏達の有り難さである。

 中央に置かれた国宝千手観音の他,風神雷神,二十八部衆立像等の国宝仏が辺りを睥睨するかのように佇立する。

通し矢

 本堂の外に出て、心を落ち着かせるかのように,砂利の敷き詰められた境内を一回りする。
 本堂西側には,板張りの長い廊下が設えられているが,毎年、ここでは正月の風物詩の一つ「通し矢」が繰り広げられる。
 この弓の寺の近くには、かつては弓造り職人の町もあったようだが,現在では数人の職人が残り伝統の灯をつないでいる。

ここからはるか向こうに向かって矢を放つ
歩いてもずいぶんある
正面から見る
少し横に回り込む
実に優雅な姿である。

太閤塀

 三十三間堂南後方に回ると太閤塀と呼ばれる重文の築地塀がある。秀吉が築造したことからその名がある。
 築地塀(ついじべい)の築地とは「築き泥」の略であり,仮枠を並べて中に土を層状に積み上げ,乾燥後枠を外す,という方法で造られる。そして,中に定規筋と呼ばれる白い線を入れるようになり,やがてその線は5本を最上として,線の数がその社寺等の格を表すようになった。
 ちなみに5本線は,御所と門跡寺院にのみ用いられている。事情を知らない人達が我が家の塀にもと,5本の線を入れているが,いかがなものか。
 それはともかく,この塀には5本の線が入っている。皇室に対する,秀吉の「こだわり」がうかがえる。

三十三堂の来歴

 では,この三十三間堂と秀吉とはどのような関係があるのだろうか。
 現在,三十三間堂のあるあたりからすぐ横の京都パークホテル付近には、もともと後白河上皇の御所・離宮「法住寺殿」があった。後白河院は,平清盛に蓮華王院の造立を命じ,三十三間堂はその一部として建立された。
 そして,この蓮華王院は,一時廃れるも鎌倉時代に再興され,隆盛を取り戻していたが,やがて秀吉が,方広寺の造立を計画するに際してその寺域に編入されてしまう。そして,その寺域を画すかのように太閤塀が作られる。
 後白河院や清盛にゆかりのあるこの地に眼を付けた秀吉は,現在,京都国立博物館があるあたりに大仏殿の建立を始めることになる。 

井上靖・後白河院

 院政末期から武士の台頭へと時代が大きく変わる頃,「日本第一の大天狗」と言われながらも,激動の時を,したたかに,そして,ずる賢く生き抜いた後白河上皇。  この最も時代に翻弄された天皇(上皇)の一人後白河上皇は,それゆえ多くの作品に取り上げられることとなるが,権謀術数に長ける,から定見がない,日和見的,はては取り巻きの言いなり等否定的な評価が一般的となる。そんな中,井上靖「後白河院」(新潮文庫)は,彼につかえた4人の語り部を通してその人となりを4部構成で語らせるという斬新な手法を用いて,これまでにない後白河院像の描写に成功した傑作。
 平家の追い出しに始まり,義仲,義経,頼朝らを受容あるいは逆賊として追伐する等,思いつきと言われても仕方のないほどの安易な策を繰り返す。しかし,曲がりなりにも天皇制(院政)を維持して次の代に伝えることに成功する。
 武家が牙を剥けば,兵力を持たない天皇家はひとたまりもない状況の中,権力,武力を相互に対峙させることにより相互に衰退させ,あるいは権衡をはかる後白河院の孤独な姿があますところなく語られる。

妙法院の管理下

 しかし,秀吉没後は,家康によって秀吉が造立した建物がことごとく破壊されることになる。まるで何モノかに怯えるかのようなその所為は,方広寺は勿論のこと,現在の智積院にあった,夭逝した秀吉の遺児,鶴松の菩提寺祥雲寺も失わせてしまう。
 そして,その折りに三十三間堂も近くの妙法院(bS3)の管理下に組み入れられることになる。

国宝密集地

 この付近には,なぜかしら国宝が集まっている。
 三十三間堂のすぐ前には,数々の国宝が寄託され定期,不定期に公開している「京都国立博物館」,その横というか裏手には「豊国神社」(bS4)の唐門,また,「妙法院庫裏」(bS3)や,そのすぐお隣の「智積院」には長谷川等伯の襖絵と数え上げたらキリのないほど国宝だらけである。

 京都駅から近いことから,ちょっと時間がある,という時などの時間つぶしには格好のエリアである。事前にチェックしておきたい。

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