国宝を訪ねて 国宝建造物編83

当麻寺

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山号・寺号 二上山当麻寺
所在地 奈良県葛城市当麻町
起点駅・目安時間 新大阪駅・1時間30分
経路 阿部野橋近鉄南大阪線当麻駅・徒歩15分 
国宝建造物 3 本堂・東塔・西塔
国宝仏等 1 弥勒仏座像    (国宝仏編bR8)
その他の国宝 4 梵鐘他 (その他の国宝編bS9) 
お薦め度 ★★★★

 うつそみの 人にあるわれや明日よりは
    二上山を弟世(いろせ)とあれ見む
   

大伯皇女・万葉集巻2ー165

国宝・当麻寺西塔と東塔

当麻の里

 当麻寺の駅を降りてすぐに当麻名物団子屋の角を右に曲がる。あとは,15分ほど当麻の町並みを散策しながら歩いてゆくと山門にいたる。
 門前町ではあるが,大阪に近いせいか,ここにも都市化の波が押し寄せ,古の当麻の里の面影は,全くない。しかし,門前町を過ぎ一段高いところにある山門を潜ると,天平の風情が伝わってくる。

当麻曼陀羅

 正面の本堂とその中の当麻曼陀羅を早速に拝見する。この曼陀羅には,蓮の糸で織り上げたという中将姫伝説がまとわりついている。しかし,材料が蓮ではないことは,科学的に立証されている。
 いずれにしても,相当の重量があり,吊すだけでも曼陀羅にとって相当の負担となり繊維の劣化が激しいことから,レプリカの展示となっている。

死者の書

 この中将姫を題材とした小説に,折口信夫(釈超空)「死者の書」(中央文庫)がある。
 二上山山腹に埋葬された容姿,学才ともに優れた悲運の貴公子,大津皇子が50年の時空を超えて墓中から彷徨い出て,藤原南家の郎女の閨をおとずれるというもの。しかし、この死者の書は、筋立てが複雑であり,加えて舞台となった天平期の情勢や人物が古語として頻出することから,その時代を理解していないと一度ではなかなか読み切れない。そこで,一読後に,文庫の解説と併収「山越阿弥陀の画因」続けて読むのがよいが,それでも恐らく読み切れない。なぜなら,この小説は,(背景は,時間をおっていわば編年体で,登場人物についてはその成長に従って,また,過去に遡る場合にはそのむね注意書きを入れて,さらに初出の事象等は,その際にある程度の説明がなされる,という)現代小説の編成上の約束事が全く無視されているからである。
 すなわち,時や場所その他の挿入されたプロット等が,読み進むに従い後になって理解できるような仕組みに,その意味できわめて技巧的かつ複雑な構成となっていて,編年体,事前説明に慣らされている私達には,難解きわまりないものになっているのである。
 加えて,その頃の時代背景や史実,権力関係等にも精通していることが当然の前提となっているフシがあり,大学入試程度の日本史の生半可な知識ではとても理解できない。また,それらの時代背景,描写は,必ずしもストーリーとは直結することなく例えば,家持も登場するが,本筋にからむことはない。 

死者の書の逐条解説

 宗教心厚い,良家の子女が,西日の中に仏の姿を観て,その者のために蓮糸でガウンを織る,という筋立てに対して,縦横に様々な話が複雑にそれこそ縦糸,横糸として織り込まれ,まさにもつれた糸を紡ぐような物語である。しかし,幸いにも20の細かい節(章)に分けられているので,ぶちこわしになるかも知れないが,各節毎にそのあらすじや,理解を容易にするための背景事情や後節で明らかになる時と場所等を予め入れておくことにする。まずは自分で読んでみて,分からないところがあったら以下の各節の解説を参照していただきたい。
 なお,この物語は,正邪,陰陽,生死等二つの概念の境目を意味する「結界」が重要な鍵となり,「語り部の媼」が能のツレに似た役回りをしている。
 ちなみに「死者の書」とは,古代エジプトのおいて,死者の魂を慰める,あるいは死後の世界での無事を得るための呪文等が書かれたパピルス製の書物で棺の中に死体(ミイラ)と一緒に埋葬されたコフィン(棺)テキストのこと。

1節から10節

1節 
 686年頃,後の持統天皇から謀反の疑いをかけられ大津皇子は死を賜る。持統にとって大津皇子は,持統の息子草壁皇子を即位させるについて一番の障害だったからである。処刑される寸前,大津は刑場に居合わせた耳面刀自の顔を瞼に焼き付けたまま,その生きることへの執心を持って死に向かう。その大津皇子が岩屋の中で深い眠りから覚める。
 
 大津皇子の姉,大伯皇女は伊勢の巫女をしている。弟思いの姉は弟大津の死後も弟の事が忘れられない。大伯皇女と大津皇子の兄弟愛については万葉集の詞書きや歌等で高らかに歌われている。

2節 
 9人の修道者が藤原南家の中将姫の御霊を二上山にまで探しに来ている。実は,このとき既に,南家の郎女(中将姫)は放心状態で当麻寺に迷い込んでいたところを保護されていた。修道者達は,この姫の魂が二上山で彷徨っているであろうとして魂の山尋ねをしていたのである(15節参照)
 その行も終えて,修道者達は二上山上当麻路の関で休息し昔話をする。その話の内容から,この物語が大津皇子の死後50年ほど経た,すなわち740年頃の話であることが分かる。
 その昔話をしながら,修道者達は,一つの墓を見つけ,これが大津皇子の墓であると感慨にふける。
 謀反人であった大津は,かつてろくな埋葬もされなかったが,大津の死後3年程経って草壁皇子が夭逝する等の忌まわしいことが続いたことから,それらは大津の祟り,と囁かれるようになり,二上山上に丁重に埋葬され直されることとなった。
 修道者の一人は,その墓を移すときに,大津の御霊がその作業をしていた若者の一人にとりついたことがあった,などと話す。
 修道者らは,ここまで来たついでにこの墓に向い「魂乞」の儀式をすることにする。魂乞いをすると墓の中からそれに呼応する呻き声が聞こえてくる。恐ろしくなった修験者達は這々の体で当麻の里に逃帰る。

3節
 山田寺,万法蔵院,そして当麻寺の関係が説明される。
 藤原南家の中将姫が落慶後間もない当麻寺の北にある庵に座っている。当麻寺の結界に迷い込んでいたところを寺奴に発見され,その後この庵に保護されていた。直ちに,奈良の藤原南家に使いが走った。
 庵の中では,当麻里の語り部の老婆(媼)が,姫に付添ながら昔語りを始める。この地を開いた当麻の真人の氏物語である。かつて当麻の里は藤原家縁の地でもあった。
(史実)
 かつて河内の国(現在の太子町)に聖徳太子の弟古麻呂が建てた万法蔵院(この万法蔵院は河内の山田谷にあったことから山田寺とも呼ばれていた)を当麻真人が現在の地に移し当麻寺とした。

4節
 大津皇子が死を賜わる直前,大津は刑場を取り囲む群衆の中に鎌足の娘(不比等の妹)耳面刀自を見る。大津の現世に対する無念,生きることに対する残された執念は,最後に瞼に残った耳面刀自を求めて彷徨っている,と媼は語る。今,その彷徨える魂は,耳面刀自と親戚関係にある南家の郎女中将姫を耳面刀自と見間違えて姫を奈良の都からこの地に呼び寄せた,と。
 中将姫はこの一,二年の間の春分の日や秋分の日に観た梯人(おもかげびと)が大津のことかと思い返す。
 そして媼に問う。そんな罪人がどうして私には,神々しく見えるのか,と。
媼は語る。大津は,天若日子の成り代わりと考えられるから,と。
(神話)
 天若日子はアマテラスに背いた反逆の神。
アマテラスは,葦の国を平定すべく神を使いに出すが,その神が地上に降りたまま戻ってこない。そこで天若子を送り込むが,その天若子も地上の娘と結婚してその国を自分で支配しようとする。やがてアマテラスの怒りに触れる。天若日子は,恋いに溺れて使命を放棄し命を落とすという悲劇の神,天に楯突く神,美男の神として祀られる。

5節
 前半は,大津が自分のことを回想し始める場面が続く。自分の名を語り継いでくれる子を耳者刀自に産んでもらいたいと願う。
 後半,中将姫は,庵の戸を叩く音を聞く。しかし,止む。
(参考)
 大津には,山辺皇女という正妻と子がいた。その妻は大津の処刑に際し,裸足で駆け出して気が狂いそのまま殉死したと伝えられている。また大津には,この山辺皇女のほか草壁皇子から奪った(三角関係となった)石川郎女等の女性関係が記録されている。耳面刀自はこれらとは無論別人であり,壬申の乱で天武に破れた大友皇子の妻と思われる。

6節
 奈良の都を出た中将姫は当麻の里にくる。二上山,その前にある麻呂子山,そしてその前に再建がはたされたばかりの当麻寺がある。この寺は,かつて河内国にあった万法蔵院(山田寺)を当麻真人国見がこの地に移したものである。当麻寺の伽藍を見物しながら中将姫は,2年ほど前のことを思い出す。
 父豊成から送られたお経を写し始めて大分時が経った去年の春分の日,その手を休めて西の方を見ると,二上山の峰の間に仏の姿を見つける。それから半年後の秋分の日にも同様に仏の姿を観ることができた。次の春分の日,すなわち今年の(数日前の)春分の日に念願だったお経を千部写し終えたことから,御仏の姿を期待したが,あいにくの雨模様となり,希望は叶えられることがなかった。そこで,中将姫は,二上山の近くに行けば二上山の峰の間に御姿を顕す仏に会えるかも知れないと思い,奈良を出て西に向かう。
(史実)
 不比等の4人の息子は,藤原四家を構える。そのうちの一つ藤原南家は武智麻呂が興すが,豊成はその南家武智麻呂の長男。
 なお,藤原仲麻呂は武智麻呂の次男。

7節
 中将姫は,二上山の間に見えた面影を確かめようと奈良の家を出る。どこをどう歩いたか,ともかく西を目指して歩くと,明け方には二上山近くの当麻の里に来ていて落慶間もない当麻寺の結界に足を踏み入れていた。そこで寺奴に発見される。

8節
 話は一転,大伴家持にうつる。東大寺に祀られる四天王造立によせて,仲麻呂(恵美押勝),道鏡,藤原宏嗣らがモデルではないかとの話が伝えられ,そしてその仲麻呂の姪,すなわち中将姫が神隠しにあったとの噂が聞こえてくる。

9節
 家持は石城で塀を作ろうと奈良の町を徘徊する。その時,中将姫が当麻寺で保護されたとの噂を聞く。
 その中将姫の伯父仲麻呂が,自分の子どもの嫁に家持の娘を欲しいと言いながら,仲麻呂は姪にあたる中将姫に気がある事,などが語られる。

10節
 石城が疱瘡や夜這いを防いでいた。その石城が壊されて疫病もはやり世の中は乱れ始めた。そんな中,中将姫のもとに,かつて父の写した経文が巡り巡って戻ってきて仏に感謝する。
(史実)
 疱瘡で藤原4家の当主が相次いで死亡することが語られる。

11節から20節

11節
 場所は当麻寺の庵。ホーキと鳴く鶯になった出雲の娘の話が思い出される。
 次に中将姫は,奈良南家での情景を思い出す。そこでは,女中達が世間話をしながら蓮の茎から糸玉を作りあげていた。世間話は,それまで仏によって,救われぬと考えられていた女達も法華経によれば救われると書かれているとの話である。
 語り部の媼の声で,場面は当麻寺の庵に戻される。そこへ奈良の南家から中将姫を迎えに従者らがやってくる。

12節
 中将姫を奈良に連れ帰るとする南家の家人と長期間の物忌みをした後でないと帰せない,と主張する寺奴が争う。中将姫は,当分此処にいて罪を償うという。
 事の顛末を中将姫の父豊成に報告,連絡,相談のための使いが出る。
豊成は,身分は太宰の師だが,遠国の任地に赴かず現在難波にいる。

13節
 保護されてから次の次に日,寝所は,南家の中将姫に相応しいように整えられた。その夜,中将姫は,寝所に忍び寄る者の気配を感ずる。天若日子の話と語部の媼が4章の冒頭で歌った歌の一節を思い出し恐ろしくなる。やがて夢から覚めるが,そこにかつて見たおもかげ人の姿を感ずる。

14節
 仲麻呂(恵美押勝)と家持との会話が描かれる。
 仲麻呂が話の中心となり,家持はおそるおそる相づちをうっている。
「身」は仲麻呂自身を「お身」は家持をさしている。
 なお,大師は,唐風制度を取り入れるのに熱心であった仲麻呂が,太政大臣を唐風に改称したもの。また,兵部大輔とは家持のこと。
(史実)
 氏姓制度誕生以後,蘇我氏,物部氏の衰退を横目に勢力を維持してきた大伴氏ではあるが,天平時代に入ると藤原氏の台頭により急速にその力が衰え始める。しかし,その藤原氏も不比等の子供4兄弟が相次いで病死し勢力は急速に傾き始め,そこにつけいるかのように橘逸勢が実力をつけてくる。その頃になると,大伴は全く没落している。
 しかし,橘逸勢も左遷され失意のなかに死ぬ。そんな情勢の中,橘逸勢の息子奈良麻呂が乱を起こし,大伴古麻呂も参加するが,失敗。両名とも処刑される。その際,中将姫の父豊成(仲麻呂の兄)も連座して左遷される。

15節
 中将姫の南家の家人が奈良から迎えに来て半月が経つ。乳母は,中将姫の様子が相変わらずなので,看護態勢を縮小してこのまま此処にいることにする。
乳母は,中将姫の精神が元に戻らないのは,語り部の媼が「山尋ね」(第2章)などと言った余分なことを言い出したせいだとして憤慨する。
 中将姫は,梯人に逢うが顕わにした肌をみて寒そうだと思う。

16節
 中将姫は,梯人のために防寒用具を作ることを思い立つ。蓮の茎で糸を作るが弱いモノしかできなかった。工夫して麻のように作ることにしたが,うまくいかず何度も干したり乾かしたり叩いたりを繰り返す。そうこうしているうちに水無月氷室の朔日になった。中将姫は秋分の日を心待ちにするようになった。

17節
 彼岸の中日,秋分の日である。風が強く嵐のような日になる。さっきまで庵にいた中将姫が幾多の人目をかいくぐりいつの間にか万蔵法院にまで歩き出ていた。そこから背伸びをするようにして二上山の間を観ている。すると肌を顕わにした俤人があらわれる。

18節
 次の年,すなわち淳仁天皇が即位する天平宝字2年の8月から中秋にかけてのことである。淳仁天皇は,天武の皇子舎人親王の7男として産まれる。母は,当麻真人山背。この即位劇については,仲麻呂の強い後押しがあった。時代は,仲麻呂が兄の豊成(中将姫の父)をさしおき日の出の勢いで出世し,権勢を恣にしている。
 中将姫は梯人の肩に掛けてもらうための衣を織る。寒い冬がくるまえに完成させたいと願う。機が動かなくなる。疲れて微睡むと,語り部媼の化身である尼が表れる。化尼の指示通りにするとまた機が動き出した。
 その時化尼は,「隼別」のことを語る。隼別の話はおおよそこうだ。天皇が義理の弟の隼別皇子に雌鳥を后とするための仲介を依頼する。命を受けた隼別は,雌鳥のところに赴くが気に入り自分の妻としてしまう。天子は,雌鳥が織っているのは,隼の服,と女達が歌うのを聞いてこのことを知る。日本書紀にでてくる話である。ここでも天の若肥子と同様に,天子の命令に背く美貌の男子が,滋賀津皇子すなわち大津皇子のモチーフとして登場する。

19節
中将姫は,布を縫うことにしたがうまくいかない。微睡んでいるとまた化尼がでてきて僧衣のようにすればよい,と言いそれに従うが,よいものができない。

20節
 語り部の伝えが求められなくなる。8月に淳仁が即位するとき,お呼びがかかるかと思ったが,それもない。媼は,姫に語りかけることしか思いつかない。
 姫は,その布に絵の具で塔堂や塔頭等を描く。その中に俤人の姿も。衣ができあがり,皆が眺める中,姫は,頬に涙をためたまま人知れず姿を消す。

悲運の貴公子 大津皇子

 大津皇子は,天武天皇の子の一人であるが,天武天皇には,皇子として他に后との間の子,草壁皇子がいた。しかし,後継者レースとしては,凡庸な草壁皇子に対し,怜悧な大津皇子が世間の噂では優位に立っていた。
 天武天皇の没後,大津皇子とはなさぬ仲のその后が持統天皇として即位すると,当然のように大津皇子は疎まれることとなる。
 時をおかず様々な陰謀,策略が大津皇子の周りに張り巡らされ,天武天皇の死後わずか1カ月後に,謀反のかどで刑死させられる。
 天武の死後,大津皇子が伊勢神宮に詣でたが,それが反逆の準備である,というのが理由であった。
 それというのも,壬申の乱の際に,天武天皇が伊勢神宮に詣って戦勝祈願をしたことがあり,大津皇子も同様の行動をとるのではと,疑われたのである。
 
 何故,その頃大津皇子が,そのようなうかつな行動に出たかは謎であるが,伊勢神宮には大津皇子の実姉大伯皇女が斎宮として仕えていた。姉に会いに行った,という説明がなされているが十分ではない。
 表題歌は,万葉集に残された大津皇子を偲ぶ大伯皇女の挽歌であるが,尋常ならざる兄弟愛である。大伯皇女は他にも数種の歌を詠んでいるが,兄弟愛では説明できそうにない,想いが伝わってくる。

我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし
                 大伯皇女・万葉集巻2ー105
ふたり行けど 行き過ぎかたき 秋山を いかにか君が 一人越ゆらむ
                 大伯皇女・万葉集巻2ー106
当麻寺の塔は何時見ても,また何処から見ても美しい。しかし,夏の激しい西日を浴びた姿は格別だ。

金堂におわします

 本堂手前の金堂には,国宝の弥勒仏座像が安置されている。事前の知識もなく何の気なしに入ると,その荘厳さに驚かされ言葉も出ない。

 金堂を辞して,白壁の間の小径を辿り,東塔に向かう。さすがに,七世紀末の建造だけあって,重厚感があふれている。間近で見上げるとその凛々しさには敬服する。対面には西塔があるが,こちらは,平安時代の築造。
 
 最後に奥の院前の少し高いところから,深閑とした森を背景に夕日を浴びる東塔と西塔を拝むと当麻寺に来た目的の大半は果たされたことになる。
 なお,この奥院にも国宝があり,その宝物殿には国宝の硯箱が常設展示されている。霊気立ちこめるような趣の一品であり,しばし足が止まり見入ってしまう。

牡丹の当麻寺

 なお,当麻寺は,最近は牡丹の寺としても有名である。藤棚に紫の花が垂れる頃にも参詣客が多いが,その頃は,ゆっくりと国宝を鑑賞することは難しい。

                       当麻寺の牡丹と競う日傘かな  (秋雨)

 季節はともかく,時刻は夕刻に訪れたい。当麻の里から見上げる二上山の端にかかる夕日は見逃せない。

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