国宝を訪ねて国宝建造物編120

宇佐神宮

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名称 宇佐神宮
所在 宇佐市南宇佐
起点駅・目安時間 小倉駅・1時間30分
経路 日豊本線宇佐駅下車・バス
国宝建造物 1 本殿
国宝彫刻等 なし
その他の国宝 1 工芸品孔雀文馨
お薦め度

八幡宮の総本宮

 宇佐神宮は,宇佐八幡宮ともいい,全国に三万とも,四万ともあると言われている八幡宮の総本宮である。祭神は,応神天皇,神功皇后,それと比売大神の三柱である。
 全国の神社の殆どは,この八幡社かお稲荷さんあるいは諏訪神社系であり,中でも八幡社とお稲荷さんが飛び抜けて多く,この二つで全国の神社の大半を占めてしまう。
 では,どうして八幡神はこのように全国的に広がりをみせ,隆盛を極めているのだろうか?

応神天皇と神功皇后

 八幡信仰の祭神は,実在が確認できる最も古い天皇,15代応神天皇である。
 誉田別命(ほんだわけのみこと・後の応神天皇)は,筑紫国で生まれ,母神功皇后の摂政のもと皇太子となり,やがて15代天皇として朝鮮半島出兵や東国平定をなしとげ大和朝廷繁栄の基礎を築く。
 死後,応神の諡号(しごう・贈り名)を受け,半島文化を積極的に取り入れたこともあり文武両道の神として祀られ,その威信が全国的に広まることになる。
 しかし,八幡信仰流布の基礎が造られ,これがさらに拡大し現在のようになるのは中世に入ってからのことである。
 なお,八幡とは天から降った八つの幡(はた),のぼり,旗を意味する。

頼朝と鶴岡八幡宮

 国家神として崇められながらも辺境の地,宇佐(大分県)にとどまっていた八幡信仰は,やがて石清水八幡宮(京都府)を経て全国に広まることになる。それには武家の棟梁・源頼朝が源氏の守護神として鶴岡八幡宮(神奈川県)を創り祀ったことが大きく作用する。応神天皇の輝かしい業績,朝鮮半島出兵や東国平定が源氏の守護神に相応しいと考えられたものと思われる。
 鎌倉から全国各地の武士層へ,やがてはその地の農民層へと圧倒的な勢いで広がったのである。

広大な神域

 そのような八幡様の総本宮だけあってさすがに広い。本殿には,大きな赤い鳥居を3つほど潜ってようやく到達できる。
 まず,駐車場脇に大きな1の鳥居がある。その鳥居までの参道脇には20軒ほどの土産物屋や食べ物屋が並び参詣客の多さを物語っている。その参道を直角に曲がりしばらく進むと,次の鳥居が,神社定番の赤い太鼓橋を渡るころ見えてくる。大きな2匹の狛犬に護られた鳥居である。
 砂利を踏み進み森が深くなり始め,突き当たりをまた直角に曲がる頃,3つめの鳥居が現れて本殿に至る石階段が始まる。
 八幡社の総本宮であることを誇示するように神域は,伊勢神宮にも引けをとらないほどの広さと風格を備えている。 

護られた本殿

 やっとのことで本殿前に到達しても,やはり社殿は殆ど見えない。
 多くの神社がそうであるように,ここでも拝殿からは本殿の一部しか見えない造りとなっている。
 それはそれで良いとしても,他の場所から本殿を見せることに何故消極的なのだろうか。神を見せろと言うのではない。神の住む社を観たいだけなのに。外国の宗教でもそうなんだろうか。日本の神社に特有の考えなのだろうか?

八幡造の代表例

 かつては広大な荘園を所有し,国東半島の両子山山系を中心としたいわゆる「六郷満山文化」のパトロンとして君臨していたこの八幡社には,三つの本殿があり,正面向かって左から順に応神天皇,姫(比売)大神,神功皇后が祀られている。
 
 これら三体を祀る本殿は,様式的には八幡造と呼ばれている。
 その特徴は,前殿と後殿と呼ばれる2棟の切り妻屋根の社殿が前後に並びその間に「相の間」を設え,ちょうどその上辺りにくる両殿の屋根の谷間に金銅製の樋を取り付けて雨水を受ける構造になっている,といった点があげられる。しかし,残念ながらそれを確認することはできない。

もう一つの国宝

 宇佐神宮には国宝がもう一つある。孔雀文馨(くじゃくもんけい・工芸品)である。
 文馨とは,中国から伝わった打楽器の一種であるが,ここに所蔵されている文馨は鎌倉時代に製作されたものとのこと。
 なお,宝物館参集殿は,二つめの鳥居の右手にある。見過ごしやすいので注意が必要だ。

悪僧の代名詞・道鏡

 この宇佐八幡宮は日本史にもしばしば登場するが,それらは主として神話時代から記紀の時代にかけてのものが多いが,そのクライマックスはなんと言っても,道鏡事件である。
 
 悪名高き怪僧道鏡は,女帝孝謙天皇(後に重祚(ちょうそ,再度天皇に即位すること)して称徳天皇となる)に取り入って,情を交わし,宇佐八幡の託宣があったとして天皇の座を狙う。
 しかし,和気清麻呂が,道鏡を天皇にせよとの宇佐八幡の信託は偽ものであり,宇佐八幡からは「未だ臣は,君にはならず」との託宣があったとして道鏡の失脚を画策する。(769年)
 その後,和気清麻呂は,孝謙天皇・道鏡により左遷,改名させられた後,大隅国に流される。しかし,しばらくして白壁王(後の光仁天皇)の時代になって召し返され,それとともに道鏡は失脚,流罪となる。

ここでの一冊

 この宇佐神宮と関連深い文庫本と言えば,当然黒岩重吾「弓削道鏡」(文春文庫)が思い浮かぶ。しかし,残念ながら,なぜだか絶版となっていて入手は相当困難。
 となると,邪馬台国は宇佐であった,とのお定まりの卑弥呼,邪馬台国ものの中に何かあれば面白くなるが,しかし,邪馬台国=宇佐を直接採用する文庫は見あたらない。
 そんな中では,井沢元彦「卑弥呼伝説」(集英社文庫)が,宇佐説に依拠していて興味深いものがあるが,どうだろうか。
 高千穂から吉野ヶ里,香椎宮,さらには出雲大社と,結構旅情をかき立てられて面白い。
 しかも,欠史八代や,神武東征,三韓征伐等の古代史の分かりづらい部分が平易に解説されているし,古代史を理解するための用語が満載されていて古代史の入門書としては格好の文庫本と言える。
 なお,井沢元彦「逆説の日本史」にも同様の記載がある。

お稲荷さんと狐

 最後に唐突だが,参考までにお稲荷さんの話。
お稲荷さんは,きつねと縁が深く,また商売の神として何となくイメージが悪いが,稲荷とは,稲成りの転化したもので,もともとは農業神を祀るものであった。狐は,春に里に下り,秋には山に帰ることから農業に親近性があり農事の神の化身,神の使いとして崇められていた。
 しかし,その後規則的な収穫の願いが,定期的な商売の利益に対する願いに転化し,商売の神様として各地の稲荷信仰に変わっていったものと考えられている。

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