国宝仏編№7

国宝を訪ねて

東寺

東寺(教王護国寺)案内

寺号・山号 東寺(教王護国寺)
所在地 京都市南区九条町
最寄駅・目安時間 新幹線京都駅から15分
経路 京都駅から徒歩
 国宝建造物  5(国宝建造物編№37
国宝仏 五大明王像等 8件21軀1面
その他の国宝 12 絵画・書跡・工芸品等(その他の国宝編№31
秘仏・公開 講堂は一般公開 宝物館は春と秋に特別展示,西院御影堂及び鎮守八幡宮の諸尊は非公開

東寺の国宝仏8件

仏像名 安置場所 備考
五菩薩像 講堂 4軀
五大明王像 5軀
梵天坐像・帝釈天半跏像 2軀
四天王立像 4軀
兜跋毘沙門天立像 宝物館 1軀
不動明王坐像・天蓋 西院御影堂(大師堂) 1軀・1面
僧形八幡神坐像・女神坐像 鎮守八幡宮 3軀
弘法大師座像 西院御影堂(大師堂) 1軀・康勝作

東寺の歴史

 平安京遷都にともない羅城門の東に建立され名前もそのまんま東寺です。その後嵯峨天皇の時代になって、空海に下賜され真言宗の根本道場として都会の布教拠点となります。
 空海はここで金剛界と胎蔵界を統合する「両界曼荼羅」の教義を思考します。
 
 広い境内には、東寺のシンボルともいえる五重塔がそびえていますが,観光客を除くと、ここを訪れる人の関心を集めているのは、寺の北西に位置する大師堂です。空海を祀るこの御堂では縁日はもちろん、平素から、線香の香りが絶えません。

空海と恵果

 空海は,入唐して間もなく当時の中国密教界のドン恵果から両界曼荼羅の教義を授かります。その頃,教義は一番の高弟にだけ相伝されることになっていました。未開の国から来た空海を見つけるや恵果は「お前が来るのを待っていた」と言って,奥義を授けます。あまたの弟子,学問僧を飛び越して,空海は一躍,中国密教界のリーダーになります。
 両界曼荼羅とは,恵果により唱えられた教義で金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を集大成したものです。 

講堂の諸尊

 講堂内の諸尊の配置は,この両界曼荼羅を立体的に表現したものと考えられています。密教の中心的な仏である大日如来を中心にその廻りを取り囲むようにして大日如来が様々に変化した四仏を整然と配しています。
 この五仏を中心に,右手に五菩薩,左手に五大明王,さらに堂内右隅に梵天,同左隅に帝釈天が,それぞれ祀られています。また,東西南北の四隅には四天王が配されています。

大日如来は国宝ではありません。

 これら21軀のうち国宝に指定されているのは15軀です。
 かつて講堂に,土一揆の農民が立て籠もったことがあり,そのため講堂は戦火をうけ灰燼に帰しました。
 その際,本尊である大日如来をはじめとする五仏と五菩薩の中の中尊が焼失しました。そのため,現在の五仏と五菩薩の中の中尊は後世の作であり国宝には指定されていません。

五菩薩像

 五菩薩のうち中尊を除く4軀が国宝です。像高は4軀とも95センチから130センチと小柄で蓮華座に結跏趺坐しています。槇材で造られ,表面に木屎漆を施した漆箔仕上げとなっています。
 肘の張り具合や膝の組み方に写実性が高く,平安初期彫刻の逸品です。
 なお,4軀の配置は,東北方に金剛薩埵,東南方に金剛宝,西南方に金剛法,西北方に金剛業,となっています。

五大明王像

 不動明王を中心に周囲を降三世,軍荼利,大威徳,金剛夜叉の4軀の明王が取り囲んでいます。像高は一番高い軍荼利明王が203センチです。
 五大明王像の最古の作例と考えられています。いずれも形相すざましく五忿怒と呼ばれています。

梵天坐像・帝釈天半跏像

 梵天と帝釈天は,ともにインドの古い神が仏教に取り入れられ仏法の守護神となったもので,ここでも講堂中央の如来,菩薩,明王を守護しています。
 東(入り口付近)に梵天,西に帝釈天が配されています。
 梵天は,四面四臂。四羽の鵞鳥が支える蓮華座の上に座しています。その来歴が偲ばれるインド風のエキゾチシズムが漂っています。
 帝釈天半跏像も見応えがあります。ほれぼれするようなとても美しい姿です。象の背の上に半跏の姿勢で跨り,手には金剛杵を持っています。やや伏し目がちなその視線の先が気になるところです。

四天王立像

 世界の中心,須弥山の四囲を護るとされる四天王も古代インドの神々が仏教に取り込まれ守護神となったものです。4軀とも忿怒の相と今にも動き出しそうな勢いが伝わり迫力満点です。衣はやや色褪せたものの華麗に彩色が施されています。造立当初の色彩が偲ばれます。
 特筆されるのは,多聞天です。多聞天は,毘沙門天と呼ばれ独尊として祀られることがありますが,この多聞天は,両脇に鬼神を侍らせる地天女の手のひらの上に立つ兜跋毘沙門天特有の構図を備えています。
 いずれの像も槇材から彫り出され,像高は162センチから187センチ程度です。

宝物館

兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)

 この兜跋毘沙門天立像は,もともと平安京の正門,羅城門の楼上に王城の守護神として祀られていました。
 羅城門は東寺と西寺の間に築造された平安京の入口であるとともに平安京鎮護のための軍事上の要衝でした。
 この羅城門を守護するものとして本像が安置されていたのですが,980年の台風により羅城門は倒壊します。その際、近隣のよしみで東寺に運び込まれたのが,そのまま東寺に祀られることになったものです。
 現在は宝物館に安置されています。
 なお、宝物館は、春と秋の年2回特別に公開されます。春は,3月20日から5月25日まで,秋は,9月20日から11月25日までです。

興福寺の阿修羅像と争う一番人気

 この兜跋毘沙門天立像は、一説には京都の仏像の中で一番人気があると言われています。奈良興福寺の阿修羅像と並び称されるほどの隠れた人気者です。
 均整のとれた体躯と全体的なプロポーションの良さ,威嚇する眼も魅力的ですし,風貌もとてもエキゾチックです。そのあたりに人気の秘密があるのかも知れません。
 肩から足の膝にまで及ぶ長い甲冑とやはり肩から手首にまで及ぶ長い籠手が古代の戦士を思わせ魅力を一層引き立てています。
 ちなみに、兜跋とは、チベットの意味とも鎧甲の意味とも言われています。
 中国からチベットにかけての東洋的な雰囲気のある美像であり,中国産の桜の木から造られていることからメイドインチャイナと考えられています。 

西院御影堂(大師堂)

不動明王坐像・天蓋

 西院御影堂の不動明王坐像は、日本最古の不動明王像といわれ,東寺の秘仏とされています。公開時期については特に定められていませんし,各種の仏像関係の書籍,図録等にもその写真すら掲載されていません。ただ,昭和36年刊行の便利堂「国宝辞典」には写真が載せられていることから,その頃は,現在のような厳しい秘仏扱いはされていなかったのかも知れません。いずれにしても,その写真によると,顔,形は講堂に置かれている不動明王の中尊によく似ています。顔をやや右に向け,左手の先を外側に開き,岩の上(瑟々座・しつしつざ)に座っています。
 なお,東宝記(国宝)によれば,1153年にこの仏像の修理をしたところ,時の長者寛信が数日後に亡くなったことからとかくの噂が立ったこと,また,その後は修理をしないことになった,と伝えています。
 なお,天蓋は京都国立博物館に寄託されています。

弘法大師坐像

 1233年に運慶の子康勝が製作したものです。この像も非公開とされています。
 なお,本像は平成12年に国宝に指定されました。

鎮守八幡宮

僧形八幡神坐像・女神坐像

 鎮守八幡宮は南大門のすぐ脇にあります。
 そこに祀られる八幡神は,八幡大菩薩という菩薩号まで有していて神とも仏とも言いにくいのですが,神仏習合が極端に推し進められた末の神の一種でもある,と言えるのではないでしょうか。そのためか僧形であらわされています。
 また,女神は比売神(ひめかみ)と神功皇后とされています。
 これらは,日本最古の神像彫刻の一つです。

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