国宝仏編№24


| 山号・寺号 | 東大寺 |
| 所在地 | 奈良市雑司町 |
| 起点駅・目安時間 | 新幹線京都駅から1時間 |
| 経路 | JR・近鉄奈良駅からバス |
| 国宝建造物 | 8(国宝建造物編№64) |
| 国宝仏 | 盧舎那仏座像等 13件23軀 |
| その他の国宝 | 9 絵画・書跡・工芸品等(その他の国宝編№44) |
| 秘仏・公開 | 公開・ただし良弁僧正坐像・執金剛神立像は12月16日のみ 俊乗上人坐像は7月5日のみ。僧形八幡神坐像は,10月5日のみ。誕生釈迦仏立像等は奈良国立博物館に寄託中。 |
| 仏像名 | 安置場所 | 備考 |
| 盧舎那仏座像 | 大仏殿(金堂) | 1軀 |
| 不空羂索観音立像 | 法華堂(三月堂) | 1軀 |
| 日光仏・月光仏立像 | 2軀 | |
| 梵天・帝釈天立像 | 2軀 | |
| 四天王立像 | 4軀 | |
| 金剛力士立像 | 2軀 | |
| 執金剛神立像 | 1軀・秘仏 | |
| 四天王立像 | 戒壇堂 | 4軀 |
| 良弁僧正坐像 | 開山堂 | 1軀・秘仏 |
| 金剛力士立像 | 南大門 | 2軀・運慶,快慶作 |
| 俊乗上人坐像 | 俊乗堂 | 1軀・秘仏 |
| 僧形八幡神坐像 | 八幡殿 | 1軀・快慶作・秘像 |
| 誕生釈迦仏立像等 | 奈良国立博物館 | 1軀・1面 |
華厳宗の総本山であり,知らぬ人はない奈良を代表する寺の一つです。かつての金鐘寺が大和国の国分寺(金光明寺)となり,その後,総国分寺となって奈良の都の東を護ることから東大寺と呼ばれるようになりました。
広い境内の至る所に国宝が散りばめられ,まるで「国宝の宝石箱」のような寺です。
源平の争乱の際、平重衡の放った「治承の兵火」により大仏殿をはじめ多くの伽藍が壊滅するという悲運に見舞われ一時は衰退の一途を辿りましたが,法然の弟子重源が復興に半生をかけ全国各地を勧進して歩くことにより奇跡的な再興を果たしました。
仏師快慶はその重源と出会い東大寺復興に参加協力し東大寺に多くの作品を残しています。
快慶はその出生から没年等,その生涯は謎に包まれていますが,重源に帰依したことから重源より「安阿弥陀仏」の号を拝していいます。
彼の作品に共通する内面に向かう精神的な強さは、修行僧としての精神性がいかんなく発揮されていると言えると思います。
盧舎那仏を安置する世界一の木造建築物です。現在の建物は江戸時代に再建されたものですが,その築造技術は高く評価されています。

世界最大の木造金堂の中にこれまた世界最大の金銅仏が安置されています。像高は約15メートルです。
743年聖武天皇は大仏建立の詔(みことのり)を発します。552年の仏教伝来から200年後の752年にほぼ完成し,国際色豊かな開眼供養が盛大に行われました。
現在でもこのような造仏は困難ですが,今から1300年前の機械文明とはおよそ無縁の時代に一体どれくらいの財力と労力を傾注したのでしょうか。
また,当時の日本の人口は非常に少なく,600万人とも800万人とも言われています。一人あたりに課された労力はいかほどだったのでしょうか。
その様な状況の中で,エジプトのピラミッド,万里の長城等に匹敵するこのような大事業の必要性が果たしてあったのでしょうか。
いずれにしても文字通り国中の銅,国銅をかき集めての大作であり,金工の技術者37万人,人夫51万人という途方もない数の人々が参加したと考えられています。
しかし、その甲斐も空しく大仏は苦難の歴史を歩むことになります。
まず,完成後30年足らずで損傷や傾きがみられ,背後に山を築いて巨躯を支えます。
次ぎに地震のため頭部が落ちます。修理され再度開眼供養が行われますが,平重衡の兵火でまたしても頭部が落下します。
ここで重源と宋の陳和卿が活躍し再建にこぎ着けます。
しかし、さらに松永久秀の兵火で焼け落ちます。
その後,1580年と1690年との2度の大修理を経て今日に至ります。
現在の大仏は,元禄時代の頭部と天正年代の手先を持ち,建立当初の部位は,わずかに右肘の内側から腹にかけてと台座に,その痕跡をとどめているにすぎません。
華厳経の最終章とも言うべきエピローグ的な教典に盧舎那仏の座る蓮華座のことが書かれています。盧舎那仏は千枚の蓮の葉の上に座っていますが、それらの蓮の一枚一枚に釈迦が宿り,その釈迦の座る蓮弁にも同様に釈迦が控えるという,この太陽系の大世界大宇宙を記しています。
教典には,三千大千世界とし,それはすなわち千の3乗世界=10億世界となるはずですが,何故か百億世界と言われています。
ちなみに東大寺の盧舎那仏の蓮華座の蓮弁は1000が100に省略されています。
それはともかく盧舎那仏を「蓮台上の本仏」,千葉に描かれた釈迦を「葉上の大釈迦」,と呼びます。それぞれの大釈迦のもとの釈迦は合計で「千の百億の小釈迦」となります。

三月堂は,大仏殿の東の丘に位置します。三月に法華会(桜会)が行われることから三月堂とも呼ばれるこの御堂には,不空羂索観音立像をはじめとして6件12軀の国宝仏が鎮座しています。文字通り国宝の宝庫,宝箱です。しかし,意外と訪れる人は少なくいつもガランとしています。
御堂の中央,一段高い八角二重基壇の上で金色燦然と輝いています。法華堂の本尊です。像高360センチの巨躯です。
衆生を救うためのロープすなわち「羂索」を左手に持つ三目八臂の菩薩です。
三目八臂ではありますが,頬から両腕,両足にいたるまですこぶる写実的で不自然さを感じさせません。仮に腕が8本あったら,こんな感じになるだろうな,という感じです。
また,頭上には二万粒の珠玉を散りばめた宝冠と銀製の化仏を載せています。
光背には唐草模様の透かし彫りも散りばめられ,全体として舟形になっていて贅が尽くされています。
何とも豪華な菩薩です。
唐風をいかんなく取り込んだ天平彫刻の代表にとどまらず,奈良時代美術中の白眉と言われています。
不空羂索観音の作例は少なく,現在,確認されているのは全国でも9軀ほどです。
二本の腕は胸の前で合掌していますが,よく観ると二つの手のひらに何か挟まれています。如意宝珠です。よっく観察しないと見落としてしまいます。如意宝珠とは,願いどおり物事をかなえてくれる魔法の珠のようなものです。
本尊を祀る八角基壇の左右に安置されています。
向かって右が日光仏,左が月光仏です。日光仏は袍衣の上に袈裟をかけ,月光仏は袍衣のみをつけていて,外形上は,梵天,帝釈天と似ています。寺では日光仏,月光仏と呼んでいますが,これは後世の銘々と考えられています。
また,三月堂内の諸尊とは大きさや材質,製法が著しく異なることから後年他から移入されたと考えられています。
塑土から造られたこの像は,肌理が細かく柔らかさや繊細さに富んでいて,顔もすこぶる女性的で高貴さや慎ましさも感じられます。
戒壇院の四天王とともに写実性に富んだ天平時代塑像の完成品です。
三月堂須弥檀の左右後方に安置されています。本尊と同じ列で並んでいます。
向かって右が梵天,左が帝釈天ですが,梵天が鎧をつけ,帝釈天のほうは鎧をつけていません。これは通例とは逆になっています。
恐らく,もともとは通例に従い,袍衣をまとった梵天が向かって右に,鎧をつけて経典を手にする帝釈天が向かって左に置かれていたものが,何時の頃からか何らかの理由で配置だけがひっくり返り,しかし,呼称だけはそのまま用いられたものと考えられます。
脱活乾漆造で,像高は両軀とも4メートルを超える巨像です。
梵天と帝釈天の位置の違いについて,置き間違えの可能性があると述べましたが事はそんなに単純ではありません。なぜなら,この三月堂内や南大門の仁王像(金剛力士像)も通例とは逆になっているのです。東大寺においては,儀軌の解釈につき特殊な考えがあったのでしょうか。
実は、世界の例をみても左右を同等とする考え方は少なく、優劣をつけるのが一般です。恒例は英語のRIGHTにみられます。右を正しい、としています。中国では王朝が変わる度にといって良いほど左右の優劣が変更になりました。左大臣は上位ですし、最右翼は良い意味で使われます。僧侶の偏袒右肩(へんたんうけん)という着衣方法は左肩を不浄として覆い右肩を露わにするものです。
東大寺では日光,月光菩薩でも,観音,勢至菩薩でも,文殊,普賢菩薩でも上位と考えられる菩薩が,向かって左側に配置されています。
この梵天,帝釈天でも,梵天は天部の最高神とされているのです。このように見てくると,東大寺における配置は単なる置き間違えではなく,何らかの意図で右を重視する中国王朝の見解を採用し、通例とは異なった配置になったと思われます。
東大寺には二組の国宝四天王立像がありますが,そのうちの一組がここ法華堂の須弥檀の四隅に佇立して,本尊の不空羂索観音を守護しています。
盛唐の作風がおおらかに伝えられ,天平時代の華やかな雰囲気が今に残されています。
それぞれの像高は3メートルを超える見応えのある像です。
東大寺には国宝の金剛力士立像が二組あります。一組はこの法華堂に,他の一組は南大門に,それぞれ安置されています。
ここ三月堂の金剛力士立像は,本尊の前方左右に置かれていますが,左が息を吐く阿形(あぎょう)、右が息を吸い込み口を閉じる吽形(うんぎょう)となっていて,通常とは逆の配置になっています。
また,金剛力士像は上半身裸が定番ですが,ここでは両者とも甲を身につけた着甲像です。
奈良時代の理想的写実主義の傑作です。それぞれの像高は3メートルを超える見応えのある像です。
執金剛神(しつこんごうしん)は,南面する不空羂索観音の背後で北面する厨子の中に安置されています。
毎年12月16日にのみ開扉される秘仏です。長年,秘仏として扱われてきたことから極彩色の唐風文様や金箔がよく残されています。
秘仏と聞くと如来や菩薩を想像しますが,忿怒の形相を,目と口その他に満面にあらわした天部に属する金剛神です。手には武器の金剛杵を持っています。執金剛神とは文字通り金剛杵を手に執るものと言う意味です。
足のふんばりやひねった腰,金剛杵を振り上げた腕と,初唐の清新さが出ていてさわやかささえ感じます。天平期のそれも早い頃の傑作です。
この執金剛神は,やがて金剛力士,仁王に姿を変えてゆきます。
この法華堂の執金剛神立像は,薬師寺の僧景戒の著した「日本霊異記」にも登場する当時から著名な仏像です。その話は次のようなものです。
金鷲(こんす)行者と呼ばれる修行僧が,昼夜を分かたず,ひとはしらの執金剛神の脛に縄を結びつけ祀り修業を続けていると,そこから光がでて宮廷の聖武天皇の元に届く。驚いた天皇はその光のもとを尋ねさせると金鷲行者が自ら建てた金鷲寺で修業しているためとわかる。天皇は,その修行僧に都での布教を許す。
金鷲行者とは,良弁のこと,執金剛神とは法華堂の執金剛神立像のこと,と考えられています。
なお,金鷲寺とは東大寺の前身の寺です。金鐘寺のことです。

戒壇堂壇上四隅に配される奈良時代を代表する塑像です。鎧が肌身に装着された様が質感豊かに表現されていて,塑造におけるヘラの用い方も完成されたものと言えます。
三月堂の日光,月光両菩薩と並び称される塑像の傑作です。
4軀は邪鬼のうえに立っています。その邪鬼がまたとてもユーモラスに造られていてアニメ全盛の現代においても十分に通用する出来映えです。
4軀とも等身大よりやや小振りの像高約160センチ程度の像です。

目を注視しましょう。瞳に黒い石が埋め込まれています。そのため中に人が入っているようにも見えます。見つめると見つめ返されるような気さえします。
それとともに,4軀のそれぞれのポーズが計算された4軀全体のバランスの上に造られていることにも注目したいところです。

東大寺開山・根本僧正良弁の肖像と伝えられています。
その容貌からは,些事には動じないずっしりとした安定感がうかがえます。開山堂の建築年等から没後200年以上を経て良弁50歳代を念頭において作られたものと思われます。
檜材を用いた一木造りで,右手に如意棒を持っていますが,それは良弁愛用の遺品として伝えられているものです。また,法衣がゆったりと開きぎみに掛けられて,その衣紋の刀法も鋭利ではないことから,全体として穏やかなものとなっています。
長い間,秘仏として伝えられてきたため当時の色彩がそのまま残されています。
なお,現在は毎年12月16日に開扉されています。

吽形金剛力士像・門に向かって右側(東側)

阿形金剛力士像・門に向かって左側(西側)
運慶,快慶らの制作です。8メートル以上もある巨像ですが、わずか70日余りで作り上げたと言われています。
この仁王像は,左が阿形、右が吽形となっていて,通常とは逆ですが,東大寺三月堂に祀られている一組の金剛力士像も同様に通常とは異なっています。
この像のモデルは,制作年代の先後から京都清凉寺の釈迦如来の像内から出てきた版画の金剛力士像そのもの,若しくはその版画のモデルと同一と考えられます。

勧進僧俊乗坊重源の鬼気迫る写実的な肖像彫刻です。すでに述べたように重源は平重衡の南都攻めにより焼かれた東大寺の再興を果たした僧です。治承の兵火と呼ばれるこの混乱で東大寺は炎に包まれ炎上,灰燼に帰しましたが,諸国勧進により再興を果たそうと重源が立ち上がりました。
像はその重源の晩年の姿を刻していると言われますが,その像からは重源の執念や意志の強さが伝わる傑作です。
毎年7月5日のみ開帳されます。
なお,俊乗堂は大仏殿の東,鐘楼の近くにあります。

もとは手向山八幡宮の御神体ですが,現在は,手向山八幡宮とは,大仏殿(金堂)を挟んで丁度反対側にある勧進所内の八幡殿に秘像として祀られています。
神と言っても,僧形と言うように僧侶の容姿をした神像であることから,いきおい生身の人間に近い外観になっています。
鎌倉時代1201年の快慶の作とされますが,モデルは神護寺の八幡神の画像です。着衣や台座には製作当初のうんげん彩色が残っていて鮮やかです。
なお,エックス線撮影により,頭の中に重源愛蔵の五輪塔が収められていることが分かっています。
毎年10月5日のみ開扉されます。
東大寺の「灌仏会」の時に祀られる誕生釈迦像と呼ばれる像高わずか47センチの銅造仏像です。「天上天下唯我独尊」と独特のポーズをとるあの像です。灌仏盤1基も残され,これも国宝の指定を受けています。
灌仏会とは釈迦の誕生の日に甘茶を注ぐ法会のことです。
現在は,灌仏盤1基とともに奈良国立博物館にて常設展示されています。
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