国宝仏編№39
| 名称 | 吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ) |
| 所在地 | 奈良県吉野郡吉野町大字吉野山 |
| 最寄駅・目安時間 | 新幹線新大阪駅から3時間 |
| 経路 | 近鉄吉野駅・ロープウエイ吉野山駅下車,ケーブルバス奥千本口から徒歩 |
| 国宝仏 | 玉依姫命(たまよりひめのみこと)坐像 1件1軀 |
| 国宝建造物 | なし |
| その他の国宝 | なし |
| 秘仏・公開 | 非公開 |
| 仏像名 | 安置場所 | 備考 |
| 玉依姫命坐像 | 本殿 | 1軀 |
吉野水分神社は,別名子守神社とも呼ばれる吉野山子守集落の上に位置する古社です。
水分(みくまり)が訛って「みこもり」となり,「みごもり」さらには「こもり」に,水分の神からはじまり,子授けの神,さらには子守の神へ,と水分神社は,子守の神をも祀る神社として古来より崇敬を集めています。
水が生命のはじまりであり,また源でもあることから,水のもつ生命力に対する神秘性や畏敬の念が,子育ての神の創成へと繋がっていったのでしょうか。
吉野は,古くから西行が愛でた地であることが知られていましたが,中世から近世にかけても西行を偲び吉野を詣でた人は沢山いました。
その中の一人である本居宣長の吉野詣でについては,「菅笠日記」に詳しく記されていますが,宣長には,この水分神社に対しひときわ思い入れがあったようです。というのは,子供に恵まれなかった宣長の両親がここに詣でて授かったのが宣長といわれており,自身この神社の授け子,と称しています。
檜の寄木造の像はカラフルな彩色がほどこされる典雅な神像彫刻です。
平安時代の姫をモデルにしたと思われるこの像は,とてもえくぼが愛らしく穏やかな表情をしています。
この玉依姫坐像の背面等に建長三年(1251年)の墨書銘があります。
神像彫刻とは,文字通り神の像を彫り上げたものであり,天平時代から造られ始めましたが,神仏習合が始まった平安時代以降も盛んに造られました。
神像彫刻は,仏師の手になるものが多いせいか,神がモデルとなっていても,僧侶の様相を呈したものがほとんどです。そんな中,女性神をモデルとしたこの玉依姫坐像は,とてもめずらしいと言えます。
玉依姫は,なにを隠そう神武天皇の母です。そして,この姫は古事記や日本書紀の海幸彦,山幸彦伝承にも登場します。そこで伝えられる話は,細かい差異は捨象すると次のようになります。
山で狩りをして暮らす山幸彦が,海で漁をして暮らす兄の海幸彦から釣り針を借り釣りをしますが,海でそれを無くしてしまいます。
怒った兄はそれを許さないことから山幸彦は途方に暮れてしまいます,その様子を見ていた神が山幸彦を海中に案内し,山幸彦はそこでしばらく暮らします。その間に山幸彦は海中に住む豊玉姫と結婚し仲良く暮らしますが,ある時,山幸彦のなくした針が魚の喉から発見されます。山幸彦はそれを持って豊玉姫とともに故郷に帰ることになります。
その後,豊玉姫は,子供を産むことになりますが,ワニの姿に戻って子を産む姿を山幸彦に見られてしまいます。
豊玉姫は,そのことをとても恥じて海に帰ることにしますが,産まれた子の行く末を案じて養育係として自分の妹,玉依姫を山幸彦のもとに送ることにします。
話はさらに続き,何故か玉依姫は,その自ら育てた子と結婚し,子供を産むことになります。その産まれた子供が神武天皇です。
なお,上賀茂神社の丹塗矢伝説に登場する姫も同姓同名の玉依姫(玉依日売)です。
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