その他の国宝編 
国宝を訪ねて 
国宝を訪ねてTop 国宝建造物編Home 国宝仏編Home その他の国宝編Home 国宝情報Home
その他の国宝編 東日本ブロック 中部ブロック 京都・奈良ブロック 西日本ブロック
その他の国宝編
6ジャンル
絵画 工芸品(梵鐘・陶器類・その他) 書跡・典籍
古文書 考古資料 歴史資料
  ← 前の国宝再訪 次の国宝訪問 →

静嘉堂文庫美術館

名称 静嘉堂文庫美術館
所在地 東京都世田谷区岡本
起点駅・目安時間 東京駅・品川駅 1時間
経路 1 品川駅から京浜東北線にて大井町駅へ、そこで東急大井町線に乗換、二子玉川駅下車 そこからバス静嘉堂文庫下車すぐ
2 東京駅から山手線,地下鉄線利用等で赤坂見附に出て東京メトロ半蔵門線急行利用により,二子玉川駅。そこからバス
3 山手線渋谷駅から,東急田園都市線に乗換え二子玉川駅。そこからバス
国宝建造物 なし 
国宝仏 なし
その他の国宝 7 曜変天目茶碗他
公開 国宝の展示は不定期
お薦め度 ★★★

静嘉堂文庫美術館のこと

 三菱財閥岩崎家が収集したコレクションを多数所蔵する美術館。
 三菱財閥の、初代弥太郎の弟で、二代目の岩崎弥之助及び4代目の小弥太の親子で、作った陶磁器、書跡等を中心とする美術館。
 美術館を取り巻く敷地は広大で隣接する岡本農家園とともに世田谷に野鳥の飛び交う自然林、里山を残す。美術館横の階段を降りると庭園を散策できる。


美術館に向かう坂道

工芸品2件

■曜変天目茶碗

 「曜」とは輝きのことである。椀の内外に分厚くかかった黒釉が、高熱と灰の悪戯により、宇宙のどこかを彷徨う惑星のようでもあるし,深海で怪しい光を放つ夜行虫の集まりのようでもある、えも言われぬ光沢を醸し出す。
 
 世界に3椀しかない,と言われる曜変天目の一つである。ちなみに残り2椀は,京都大徳寺塔頭龍光院と大阪藤田美術館が所蔵し、ともに国宝。
 この茶碗は、藤田美術館と比較すると、茶碗摺から茶溜まりにかけて顕れている青の曜変がいくぶん淡くその分やさしく女性的である。まるで八重山諸島の海岸線を上空から眺めているような輝きである。そして直径5センチほどの茶溜まりは油滴が集まり丸く円を描いている。
 また、横から見るとスッポン口とも呼ばれる口縁が、ハッキリ作られていて女性の薄い下唇が丁度良い加減に当たりそうである。


 古来,多くの茶人がこの玉虫色の光に魅せられたが、この椀も徳川家から淀藩主稲葉家に伝わっているが、そこで「稲葉天目」との通称を得て、さらに稲葉家から、小野哲郎(三井財閥の関係者か?)、岩崎弥之助を経て現在の静嘉堂文庫美術館に所蔵されている。

太刀

 銘「包永」(かねなが)

絵画3件

源氏物語関屋及澪標図

 俵屋宗達の筆になる源氏物語に取材した屏風絵「源氏物語関屋及澪標図」は,左隻に明石上の帖「澪標」を,右隻に空蝉の帖「関屋」をそれぞれ題材として描かれる。隻(双)とは6枚の絵が連続した屏風の一組(一枚は扇と呼ばれる。6枚の屏風のことを六曲一双ともいう)。かつては,この一組(一畳,あるいは一帖)が一単位であったが,室町以降,二組(二畳,あるいは二帖)が一単位となる。

 「澪標」は,源氏が都を追われ不遇の頃,その身を寄せていた明石入道の娘明石上と結ばれる帖。源氏は,寂れた明石の地で,明石上と二人で静かに暮らしていたが,その後都から呼び戻され,妊娠中の明石上を残し都に戻る。残された明石上は元気な女児を出産しそのお礼のため住吉詣でをする。そこで偶然,豪華な源氏の行列に出くわす。田舎育ちの明石上は,その豪華さに気後れし源氏には告げずに身を隠す。

 「関屋」は,空蝉がその夫の死後,世の中に嫌気がさして尼になる帖。
 常陸の国から都に戻る空蝉は,逢阪の関で偶然石山詣に向かう源氏の一行に出くわす。その出会いの場面が豪華に描かれている。
 あの漫画チックな風神・雷神を描いた絵師と同一人物とは到底考えられない程,筆致が異なるあたりが,見どころか。

風雨山水図

南宋院系山水画の代表作。馬遠の筆になると伝えられる。

禅機図断簡

 中国元時代の僧,因陀羅の筆になる。
 5幅に分蔵された中の1幅。残り4幅も国宝。

書跡・典籍2件

和漢朗詠抄巻下残巻

和漢朗詠抄下巻を華麗な下地の上に書き写している。

趙子昴書(ちょうすごうしょ)

趙子昴が中峰明本に宛てた手紙。


美術館に至る坂道

国宝番外編・つくも茄子

 この静嘉堂文庫美術館は,国宝にこそ指定されていないが,茶入れの名品中の名品「つくも茄子」を所蔵している。
 つくも茄子は,佐々木道誉から,足利義政にわたり東山御物の一つとなったあと,実に数奇な運命を辿り,多くの茶人の関心を集めた一品。
 義政の手を離れたあとも名品故に,時の権力者,実力者の間を転々とし,やがて松永秀久から織田信長のもとへとゆきつく。信長は,これを殊に愛用し,茶会が行われたとする本能寺へも持参するほど。その地であの本能寺の変に見舞われさしもの名品も文字通り灰燼に帰してしまう。しかし、その焼け跡から執拗に探し出され蘇り、やがて秀吉の手にわたる。もっとも、焼け跡から探し出された、という展に関しては、茶会から信忠が二条城に持ち帰った、実は、もう一つ同じような名品があった等様々な説がある。
 これだけでも十分と思われるが,さらに,この茶入れは、大坂城落城の憂き目も目の当たりにし,家康の命により焼け跡から探し出されたという。その後も多数の好事家の手を経て現在この美術館に所蔵されている。漆塗りによる修復の痕跡が、レントゲン検査により確認されている。
 なお、静嘉堂文庫美術館は、この茶入れを「付藻茄子」と呼称している。
 
 このつくも茄子については,利休の一番弟子山上宗二が記した「山上宗二記」(岩波文庫)に詳しい。
 山上宗二記は,利休の口伝や自らの経験をもとに茶湯に携わる人の交友関係,名物茶道具の紹介,さらには茶室の構造などを紹介しながら,当時の茶の湯の理念を余すことなく記す,その意味で,千家に限らず,自らを茶人と称する者のバイブル的読み物。
 ちなみに,「つくも」とは当初の売買代金が99貫であったことからきている,とある。そこで九十九茄子とも表記される。
 この山上宗二は,茶の湯に対し並々ならぬ情熱と信念を持つ。それゆえ,あの黄金の茶室に象徴される秀吉の茶心を明に暗に批判し,ついにはその勘気に触れ両耳をそぎ落とされる。
 このあたりは,野上弥栄子「秀吉と利休」(新潮文庫)に脇役として登場させているが陰の主人公とも言うべき役回しで秀吉による追放、放浪、死を賭しての利休との再会、秀吉による処断と、死をかけて茶を守る意志の強さと比類のない情熱を精緻なしかも力強い文体で描写。二つのクライマックスの一つを作り上げている。

近くに

隣町上野毛には、五島美術館がある。次行の「次の国宝訪問」をクリック。  

  ← 前の国宝再訪 次の国宝訪問 →
国宝を訪ねてTop 国宝建造物編Home 国宝仏編Home その他の国宝編Home 国宝情報Home
その他の国宝編 東日本ブロック 中部ブロック 京都・奈良ブロック 西日本ブロック
その他の国宝編
6ジャンル
絵画 工芸品(梵鐘・陶器類・その他) 書跡・典籍
古文書 考古資料 歴史資料
copyright. 2002. kokuhoworld .all rights reserved